小説

『包帯をほどく女』中村市子(『蜘蛛の糸』)

 陽が傾きかけた校庭で、蓮見佑は女子生徒たちにもみくちゃにされていた。学ランのボタンは上から下まではぎ取られ、学ラン自体も争奪戦になっていた。この中学いち、いや、この島いち人気者の卒業だから当然といえば当然なのだが。
 環奈は完全に乗り遅れていたが、念のため蓮見の全身を慎重に品定めしていた。まだもらえるものが残っているかもしれない。ワイシャツ、ズボン、ベルト、靴……。ろくに話したこともない後輩が「ください」と言うにはどれもボタンよりハードルが高い。絶望的な気持ちになった時、ふいに蓮見と目があった。死んだ魚のような温度のない目は、まるで顔に真っ暗な穴が二つ空いているようだった。環奈はその目にぞくぞくした。
 周りのみんなは蓮見のことを、整った顔やスリムで程よい筋肉、無口で大人びた陸上部のエースという要素から爽やかでストイックな好青年だと評価したがるが、環奈は常々それは間違っていると思っていた。蓮見先輩が爽やかだなんてとんでもない。あれはゾンビだ。ゾンビが人を騙し、心を弄んで楽しんでいる。そんな邪悪な雰囲気がぐっとくるんじゃないか。いつか私が成仏させてあげるんだ……環奈は得体の知れない蓮見の不気味さに恋をしていた。

 蓮見は数日後、この島を出ていく。去年の夏、中学生の陸上全国大会で3000m8位に入賞し、東京の強豪私立高校からスポーツ推薦の打診を受けたのだ。そもそも、地方予選を突破して全国大会に進むだけでもこの島では島内放送がかかるほどの大事件なのに、東京の高校から名指しで声がかかるなんて前代未聞の快挙だった。それ以来、蓮見はこの島の「希望」であり「未来」になった。
 この島の若者は、みんな島を出たいと思っている。東京から飛行機で45分、一応住所だって東京都だし、島唯一の高校だって歴とした「都立」だ。だが、東京は果てしなく遠かった。精神的に遠いのだ。島にいたって条件の良い就職口もなければめくるめく出会いも期待できない。つまり、この島には希望も未来もないのだ。だから賢い若者はみんな、高校や大学に上がるタイミングで島を出る。島に残れば負け組とみなされた。環奈は自分が負け組の人生を歩むだろうと今から覚悟している。島を出て生きていく自信がなかったのだ。

 気づけば、校庭にさす西陽が厳しくなっていた。蓮見に群がっていた女子生徒たちもだいぶ数が減った。ふと、海から冷たい風が吹いて、蓮見が寒そうに腕を組んだ。その時、右腕に巻かれた包帯がちらりとシャツの袖口からのぞいた。環奈は思わず「あ」とつぶやいた。数週間前、蓮見は徘徊していた痴呆症の老人を助けようとしたところ「この化け物!」と入れ歯で噛みつかれ、振り払おうとした反動で石塀に右腕を強打して骨にひびが入ってしまうという災難にあっていた。環奈は意を決して、他の生徒と話し込んでいる蓮見の元に走り寄った。
「失礼します」
 と一礼すると、環奈は勝手に蓮見の包帯をほどき始めた。
「何してんの?」
 と蓮見が不思議そうに環奈を見る。
「もらっていいですか?」

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