環奈は蓮見の顔も見ずに言った。卒業式という非日常に便乗したとはいえ、自分がこんな大胆な行動に出られたことに驚いた。蓮見が何も言わないので、環奈はそのまま包帯の端を持って駆け出した。包帯はくるくるとほどけていく。3メートルほど離れたところで環奈は振り返ったが、ひどい西陽を背負った蓮見の顔は眩しくてよく見えなかった。二人を白い包帯が繋いでいた。環奈は思った。この包帯を手放さなければ、もしかして自分も一緒に「未来」へ連れて行ってもらえるのだろうか?いや待てよ。ゾンビが導く未来って、どんな未来だろう?
そんなことに思いを巡らせていた次の瞬間、どこからともなくわいてきた女子生徒たちが、一直線に伸びた包帯を次々とハサミで切り取り、きゃーきゃー言いながら破片を握りしめて散って行った。環奈の手には、残った包帯の切れ端がだらりと垂れ下がっていた。環奈は泣きたくなった。こんな布切れに一瞬でも未来を託しそうになった自分が情けなくなったのだ。顔を上げると、もう蓮見もそこにはいなかった。
「勝てるわけがない」
蓮見は目の前を疾走していく背中たちを追いかけながらうんざりしていた。レースを終えて掲示板を見上げると、今年も目標にしていた大会の参加標準記録には遠く及ばなかった。中学卒業と同時に島を出て、あっという間に4年半の月日が流れていた。まもなく大学2年の夏が終わろうとしている。
中学まではなんとか才能だけで突き進んでこられた。しかし、島を出て全国の猛者が集まる高校に入ると、蓮見レベルの選手はそこら辺にごろごろ転がっていた。才能があるのは当たり前、その中からストイックに努力ができる人間だけが生き残れる世界で蓮見は負け続けた。蓮見は、努力ができなかったのだ。
島を出る前からこうなることは分かっていた。自分の能力はすぐに限界にぶつかる。なぜなら、蓮見はただ身体能力に恵まれたため速いだけで、陸上競技を心から好きだと思ったこともないし、向上心もなかったからだ。そんなモチベーションで全国トップレベルの戦いになど、はなから耐えられるはずはなかった。
しかし自分の気持ちとは裏腹に、日に日に高まる島の人たちの期待が中学生だった蓮見に重くのしかかった。高校から推薦の話が来た時、両親も、先生も、島の人たちも、蓮見以外のみんなが眩しい未来を夢見た。蓮見はあの時、推薦を辞退するべきだったと今でも思っている。だが、そんなことは出来なかった。島のみんなを失望させる勇気がなかったのだ。
だから蓮見は、打診にやって来た高校のコーチにこう答えた。
「東京に行って、日本一を目指したいです。Wikipediaのこの島のページに島出身の有名人として初めて名前が載ることが、僕の夢です!」
島中がこの言葉に胸を打たれ歓喜したが、東京での生活は蓮見にとってはじめから時間稼ぎの茶番にすぎなかった。蓮見が島の「希望」でも「未来」でもないという事実が明るみになる日を1日でも遅らせるための……。
蓮見は東京で孤独だった。ただただ頑張るふりをしながら時間をやり過ごした。陸上の成績は少しずつ落ちていったが、なんとか中堅大学の陸上部に滑り込み、競技を続けていた。もう最近ではレースにいくら負けても何も感じなくなっていた。生きている感触は何もなかった。
「お疲れー」
「お疲れーす」