小説

『幻のお供』池田啓真(『桃太郎』)

 剣八は首をブルルと震わせた。寒かったわけではない。
 一行の上空を覆う夕日に色づいた紅葉。塗装が剥がれるようにひとひらの葉が舞い落ちる。葉は剣八の先の尖った耳にあたり、急に力を失ったように地面に落ちる。
 「ここいらで間違いないんだな?」
 剣八が振り返ると、桃太郎は剣八の方を向いている。
 口を真一文字に結ぶ桃太郎。普段は自信に満ち溢れているその口元は、かすかに緊張の糸で左右に引っ張られている。
 剣八はうなづいた。
 「間違いないです」
 桃太郎はその団子鼻の頭に人差し指を当てる。
 その一重の瞳は力強く、この先に待ち構える強者に相対す決意が見て取れる。
 桃太郎は赤、黄、橙の木々の中に浮かび上がる一本道の先をじっと見据える。
 「……池があるんだな?」
 「はい。村人の話によるとそのようで」
 桃太郎は黙々と歩を進める。剣八は桃太郎についていく。
 かすかに揺れる黒の陣羽織。その下に隆起する筋肉が、陣羽織に影を作り出す。
 桃太郎という男はその強さを誇示するに後ろ姿だけで十分なようである。
 村では剣八に敵はなかった。山中の村ということもあって、日頃から狩に鍛えられた男達は岩肌を駆け抜ける屈強な足と、獲物を一突きに仕留める強靭な腕を持っていたが、それでも剣八に敵はなかった。村での力比べに辟易していたところに現れたのが桃太郎だった。
 山頂にそびえる岩肌で寝そべっていた剣八の横に、桃太郎はスッと現れ、腰掛けた。
 剣八は起き上がることすらしなかった。
 得体の知れない男が現れたことに対する警戒すら無意味と思わせるほどのただならぬ雰囲気が桃太郎にはあった。
 そのまま寝そべる剣八に、桃太郎は静かに話しかけた。
 桃太郎は「鬼」を退治しに行くと言った。剣八も「鬼」と呼ばれるならず者たちの存在は知っていた。この岩の上から、はるか西にかすかに見える海岸線。そのさらに向こうにあるという鬼ヶ島に根城を構えているらしかった。
 剣八は今まで「鬼」を退治しようなど考えたことすらなかった。それは「鬼」がおよそ敵いもしなさそうな輩達であったからではない。そんなはるか遠くで悪事を働いているという輩に興味すら抱いたことはなかった。そんなわけであるから、まして退治しようなどとは頭の隅にも浮かんだことはなかったのである。

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