小説

『熱』和織(『寒さ』)

 どうしようか、どうなるだろうか。そればかりがずっと、頭の中を駆け巡っている。それは、何を考えるにしても同じこと。そういう性分で、止められない。昔からそうだったのだろうか?いつからこうなのだろう?考えてもわからない。もう長いことそうやって生きていて、自分のことなどわからなくなってしまった。わかりたくない。知りたくない。これは、病気か?そう、気づいても、自身で認めても、他人にそう認定されるのは怖い。
 人はフリができる。そしてそのフリに、周りはたやすく騙される。いや、周りもまた、騙されたフリをし続けることができるのだ。誰も、気にしたくない。知りたくない。だから後から皆、こう言うのだ。
「そんな風には見えなかった。信じられない」
 ありありと浮かんでくる情景。何かしらを見て見ぬフリをしたとき、他ならぬ自分が、何度も繰り返してきた場面。そうやって、自分を騙し続けながら生きていくことが、平気で出来てしまう生き物。人は汚い。汚い。精神的潔癖症。そうなったのは、気づいたからだ。自分の心の醜さに。
 寒い日がいいと思ったのは、寒さが助けになるからだ。凍えや痺れを、赦しに似たもののように感じられる。それに、寒いほうが綺麗だ。私は、「申し訳ない」という気持ちなど殆ど持てないまま、むしろすがすがしい気分で家を出た。寒さ、静けさ、薄暗さ。その中に溶け込んでしまいたい。閉じた空に咲く、白い息。子供に還ったようにほっとした。しかしそれでもまだ、どこか片隅で、考え続けることを止められない。もう関係ない。そう思っても、ああ、こうなるだろう。あの人はきっと悲しむだろう。こんな風に言われて、たくさんの人に迷惑だと思われるのだろう。ああなってこうなってこんな風に・・・・・・。私は馬鹿な奴なのだ、本当に。自分でも嫌という程、そう思う。そう、だから、自分一人で解決出来る方法が、一つしかない。
 日曜の始発の時間。その十五分前に駅に着いた。プラットホームに入って、冷えたベンチシートに腰掛ける。自分が、冷えていくのがわかる。熱が消えていく。心を奪われるようで、とても心地がいい。自分の他には、三人ほどしか人がいない。逆の、上りのホームにだ。人が少なくて、良かったと思う。
「冷たいですねぇ、椅子」
 突然空から落ちてきたような声に、思わず震えた。左を振り向くと、いつの間にかそこに人がいた。席を三つ挟んだ向こう、はじの席に、男性が座っている。帽子を深くかぶっていて、人相はよくわからない。私は黙っていた。自分が座っているのもはじの席だったし、聞こえなかったフリを決め込んだ。今誰かと会話をするなんて、御免だった。
「私ね、ここで自分の人生において一番の景色を見たことがあるんです」
 二メートル弱は離れている筈なのに、その声はまるで隣でささやかれているように響き、私はゾッとした。仕方がないので、彼から顔を背け、迷惑だというアピールをする。

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