小説

『スワンボート』吉岡幸一(『ハムレット』)

 家出をしたことを後悔はしていませんでしたが、行くあてもなく街をさまようことには疲れました。十七歳の僕が夜の街で行ける場所なんてそうありません。お金も千円札が三枚と、十円玉が二個、一円玉が四個しかありません。これだけの金があれば、どこかの格安ホテルやインターネットカフェに一日くらいは泊まれるかもしれませんが、泊まる前に高校生だということがばれて警察に連絡をされてしまうでしょう。
 午後九時、まだ街にはたくさんの人がいました。酒に酔って千鳥足で歩いているサラリーマンもいますし、目をつり上がらせて恋人らしき人と口論している人もいます。仕事が終わって家に帰っている人と、仕事が終わって街で遊んでいる人と、仕事をしている最中の人が交じり合っています。
 僕のような高校生の姿はありません。大学生くらいの歳の近い人は見かけましたが、その人たちも一人ではなく友だちといました。おそらくは映画でも観た帰りなのか、ショッピングの帰りなのでしょう。沈んだ気持ちで見るせいかもしれませんが、どこか楽しそうな顔をしているように見えてなりませんでした。
 二十四時間営業のコーヒーショップにでも入って朝まで過ごそうかと考えましたが、そもそもコーヒーが嫌いでしたし、高校生が夜遅くまで店に一人でいれば怪しまれるに決まっています。せめて外見が老けていたら誤魔化せるかもしれないのですが、僕はどう見ても高校生、ヘタをしたら中学生にでも間違われかねないほど童顔だったのです。内面は年齢以上に成長はしていると思いますが、内面は外からは見えないので仕方がありません。
 僕はどこか落ち着いて朝までいられる場所はないかと探しながら漠然と街を歩き回っていたのでした。朝になったらどこへ行くというような考えはありませんでした。とりあえずこの夜さえ無事に過ごせれば後はどうにかなるような気がしていたのです。
 家出した理由は家に居場所がなかったからと言ったら良いのでしょうか。自分専用の部屋はありましたが、そこは家の中の牢獄のようでけっして居心地の良いものではありませんでした。
 父が亡くなってわずか一年後に母は再婚しました。再婚相手は父の弟でした。赤ん坊の頃から何度も会ってきた人ですし、可愛がってくれてもいましたから、当然母が叔父と結婚したのはショックでした。本当ならもう父さんとでも呼ばなければいけないのでしょうが今でも叔父さんと呼んでいます。父さんなんて呼べるわけがありません。
 母と結婚した叔父が僕のことが邪魔になって虐めることもありませんでしたし、家を追い出したわけでもありません。叔父は結婚する前と変わらず僕に優しく接してくれましたし、きっと亡くなった父に代って僕の本当の父親になろうと努力してくれたのだと思います。外からみれば叔父は申し分のない父親として写ったことでしょう。
 僕も叔父さんのことを新しい父として受入れれば良かったのかもしれません。母はそう望んでいました。でも僕には無理だったのです。母の幸せのためにも僕が努力しなければいけないことはわかっていました。せめて我慢して表面だけでも家族を演じていればよかったのかもしれません。はじめは我慢しました。しかし我慢にも限度があるのです。まるでバケツに入れた水が溢れだすように僕は我慢ができなくなったのでした。そして家出をしました。前もって準備などしていませんし、準備する心の余裕などありませんでした。

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