小説

『ある彫像について』平大典(『地獄変』)

 美術大学出身である夫に連れていかれたのは、隣町にある美術館でした。
 なんでも夫の学生時代の友人が、そこで個展を開いているというのです。その人は女性で、最近では雑誌などでも目にすることが多くなっていた彫刻家でした。夫とは同じ彫刻学科に籍を置いていたそうです。
「荒木さんがあんなに有名になるとは思っていなかった」運転席でハンドルを握る夫は嬉しそうに語っていました。「……ここ数年は連絡も取れていなかったのにさ、急に手紙で連絡が来たんで驚いたよ。顔を見せてほしいってさ」
 私は助手席に座り、車窓から田圃が拡がっている景色を眺めていました。
「付き合っていたとかじゃないの?」私は夫の横顔を向きました。
「綾さん、まさか」夫は顔を歪ませました。「僕なんか美大を卒業して家業を継いだ人間だ。才能が無くってさ、荒木さんの眼中にもなかったはずだよ。彼女は学生時代から展覧会で賞を獲りまくっていたからね」
「ふぅん、すごい人なんだねえ」
「感性が違うんだよ」
 夫は大学を卒業してすぐに家業である建設会社に就職しました。大学に在籍しているうちに、彫刻を続ける意欲がなくなってしまったらしく、体裁のために卒業だけはしたようです。
 プライドは大いに傷ついていたのでしょう。出会って数年になりますが、夫がおおよそ芸術らしきこと、彫刻刀を握ることはもちろん、スケッチなどをする姿は一度も見たことがありませんでした。

 
 荒木さんの作品の多くは、木製の荒々しい彫像でした。迫力があり、禍々しく生命力が溢れている印象を受けました。
 夫は懐かしむような視線をじっくりと作品たちに向けていました。目を見開き、情熱的でした。私は自分が知らない時代の夫の姿を見せつけられているようで、少し嫌な気分になっていました。
 私が目を止めたのは、ある作品の前でした。
 裸の男性が腰に手を当てて立っている作品でした。題名は、『沈黙』。
「どうしたんだい」
「いや、これ」私は言い出しそうになった言葉を飲み込みました。
「男の人、の像かな」夫は目を細めて彫像を子細に観察していました。
 夫は気付いていない様子でしたが、私には一目でわかりました。
 いや、私にしかわからないかも。
 その彫像のモデルは、夫でした。
 腰への手の当て方、顔の俯き具合、身体のバランス。すべて私が見たことある姿だったのです。なぜこんな作品が。荒木さんが夫を呼びつけたのは、この作品を見せつけるためなのか。

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