「綾さん、どうしたの」夫は私の動揺に気付かずに質問してきます。「気に入ったのか?」
何か言わないと。と、焦っていたところでした。
「実君、こんにちは」
二人の背中に声を掛けられます。
振り向くと、背の低い女性が立っていました。厚手のカーディガンを着て、丸い顔に黒色のニット帽を被っています。
「荒木さん」夫が微笑みます。「久しぶり」
「懐かしいねぇ」
荒木さん。男性的で剛健な印象を受ける作品とは裏腹に、彼女自身はとても柔らかく繊細な女性という印象を受けました。
「ああ、ほんとに」夫は微笑み返します。「大学の近くで飲み会をやって以来だからさ、五年ぶりかな」
「あの時は飲んだよね」荒木さんは、私に目くばせしました。「こちらの方は?」
「綾さん。僕の奥さんだ。結婚したんだ、式にも呼んだでしょ?」
「そうだったね、三年前だっけ。すいませんでした。私もちょっと難しい時期だったから」
荒木さんは私たちに頭を下げました。
夫が続けます。「さっき、パンフレット読んでいたら、工房がこの街にあるんだって?」
「そうなんだよね。ずっと東京にいるの疲れちゃって、転居してきたんだよ。こっちは空気がきれいで過ごしやすい、かな。まだ半年しか住んでいないけどねえ」
「また機会があればご飯でも一緒に行こう」
「ええ」荒木さんは、私に向かって微笑みます。「綾さんとも是非、お話がしたいですし」
「もちろん」私は咄嗟に言葉を発しました。
結局、私は言い出せませんでした。
この作品は、私の夫がモデルなのですか、とは。
個展から帰っても、私の動揺は収まりませんでした。それどころか一週間経っても、一カ月が過ぎても。いや、時間が経過するほど、不安が心の中で大きくなっていきました。
二人にどんな過去があったのか。なぜ裸の彫像だったのか。
一方、夫の態度はまったく変わっていませんでした。荒木さんと連絡している様子もありません。余計に私は心を乱されました。
気が付くと、私は荒木さんの工房へ足を運んでいました。
荒木さんが住んでいるのは、市街地から離れた丘の上にある一軒家でした。私は庭先へ自動車を停めると、裏庭にあるコンクリート造りの平屋の建物へ進みました。そこが工房でした。
「すいません。荒木さん」
鉄製の扉をノックしてからドアノブに手を伸ばすと、鍵はかかっていませんでした。中は広く、天井が思ったよりも高い空間でした。