小説

『きっと、きらきら光ってる』志水菜々瑛(『ラプンツェル』)

 年長さんだった私が初めて自主的に取り組みたいと申し出たのは、ピアノでも、水泳でも、野球でもサッカーでもなく、ヘアードネーションだった。
「お母さん! あおい、ヘアードネーションやりたい!」
「ヘアードネーション?」
 母は目を丸くした。
 テレビで見たのだ。病気で髪の毛が亡くなってしまった人、生えてこなくなった人の為に髪の毛を寄付して医療用のウィッグとして提供する。「決定的!10年伸ばした髪の断髪式!」という赤いゴシック体がブラウン管テレビの右上に踊り、若い女性にマイクが向けられていた。
「ずっと伸ばしてきた髪の毛を切るのは、少し緊張します。でも、やっと、この日が来ました。誰かがこの髪の毛を待ってくれていると思うとわくわくします」
 誇らしさと喜びと緊張が織り交ざった女性の顔は、頬肉がぷっくりと盛り上がり、柔らかく色づいている。
 素敵。あおいも伸ばしたい。もっとも私が伸ばしたかったのは、どこかの誰かのためではなく自分のためだ。私の髪は有無を言わさずいつも短く切りそろえられていた。長いのはみっともない、不衛生だと。完全に両親の意向で髪型が決まっていた。「病気の人のため」という免罪符があれば、伸ばせるかもしれない。できれば、リカちゃん人形みたいな髪型にしたい。自由で豊かで、ストレートにもふわふわパーマにもできる髪。
 母が父に伝えると、顔を見合わせ、二人そろって渋い表情をした。ノーと言いたいけど、ノーと言えないのだ。これは攻め時だと察知した。図書館で病気に関する本やウィッグに関する本を読み漁り、父にプレゼンをした。
「医療用ウィッグはこんなに昔からあって」「本当は欲しい人がたくさんいるのに、皆知らないの」「髪の毛を伸ばすだけで、そういう人たちの役に立てるんだよ」
 十分にその必要性を示せれば、真面目な父親は頷かざるをえなかった。見事両親の了解を得て、ヘアードネーションを目指すことが決まった。
「なんでそんなに長い髪なの?」
 そう聞いてくる友達はたくさんいた。私は毎度、ヘアードネーションの説明をした。丁寧に話せば話すほど、本当にヘアードネーションの為に伸ばしていると自分に言い聞かせているようで、安心して髪を伸ばすことができた。
 もちろん、「すごい」「えらいね」と褒めてくれる子がいた反面、いまいち理解してくれない子も少なくなかった。長い髪のせいで、引っ張られたり、ガムを付けられることもあった。「気持ち悪い」と直接言われたこともあったけど、切ろうとは思わなかった。一番の壁だった両親がせっかく許してくれたのだ。

 小学5年生になり、私の髪はもう腰近くまで伸びた。かなり理想に近い長さだ。洗面所で櫛を使って一つに束ねていると、髭剃りに来た父親が洗面台の前に横入りしてきた。鏡越しに汚物をみるような目つきを投げてくる。
「葵、その髪、そろそろ切ったらどうだ?」

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