小説

『鑑定眼』三坂輝(『魔術』)

「世界ではたくさんのアート作品が売買されています。市場規模は7兆円とも言われます」
 彼は机の上に手帳を広げ、7兆と書いた。
「海外では特に盛んです」
 私はうなずいた。
「ですから、売り買いをすることはおかしなことではありません。ですが、売り買いをしても、本当に大切な一品は手元に置いていたりするんです」
 彼は黙って、私の目を見た。私もまた、色素の薄い彼の瞳を見返した。中東系の彫りの深い顔立ちで、世慣れた表情を見せているが、もごもごと動かす口ヒゲにはどこか幼さを感じた。実際、私とは親子ほど歳が離れている。
「欲を出してはいけないのです。あなたにそれが守れますか?」
 彼が言う。私は、またうなずいた。開け放った窓から、春の夜風が吹いてくる。
「わかりました。では、お教えしましょう。アートを見抜く魔術を」

 社長同士の会合で、彼の名前を聞くようになったのはこの一年のことだ。
 その会合に参加すること自体がステータスになるため、私は地方の中小建築会社の社長ながら背伸びをするように会合に参加していた。
 会話のアドバンテージを取ることなどない。しかし、アートという言葉が出れば、首を突っ込んだ。建築学部出身として、アートには昔から関心があり、多少の知識があったからだ。
 その会話の中で
「『アートの魔術師』に勧められて絵を買った」
 という社長が次々と現れた。
 気になって聞き出すと、「アートの魔術師」という異名を持つのは、若い男性だということがわかった。経歴は謎に包まれているが、掘り出してくる作品は瑞々しい才能に満ちたものばかり。絵画だろうが彫刻だろうが、ジャンルの区別はない。それでいてどれも一定のクオリティと、何より、伸びしろを持つ作品だという。
 伸びしろとは社会的な評価、つまり相場の値上がりに他ならない。数か月で価値が倍になったという話がたびたび出た。
 鑑定眼はあたかも魔術のよう。
 皆が言った。
「ああもアートに詳しい男が身近にいるのは、心強いことだね」

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