小説

『机の裏の銀河』柿沼雅美(『片すみにかがむ死の影』)

 完璧すぎる遮光カーテンのおかげで、この部屋は一日中暗い。ほんとにシングルサイズなのかなぁという狭いベッドへの疑問が年経ってもぬぐえていない。マットレスがいつまでたっても固くて、起きた時から午後になるまでずっと左肩が痛い。
 スマホを見ると後輩のえみりんごからラインが入っていた。
 パイセンパイセン、月曜ですねぇ、1週間早すぎませんかぁ? あと3時間、テレワークがんばりまっしょい!
 すごくかわいいけれど、言葉の端々に30歳という雰囲気がぬぐえない。かくいう私もそんなえみりんごの3歳年上であるということを肝に銘じて、がんばろうねー、と返信をした。
 あれぇ? パイセンもしかして午後休憩中ですかぁ? だめですよぉもう遅刻遅刻~。
 文字を見ているだけなのに、えみりんごの声が聞こえてきそうで、なんなら二の腕あたりをちこくちこくぅと、つんつんされたような気がする。
 パイセンひとりぼっちだと思いますけど落ち込まずに仕事がんばりましょうねん! と、先週と先々週と同じことを今日も書いてきて、私も、はいはいー、と返事をした。
 今朝もパジャマのままパソコンを開き、会社のネットワークにログインしていた。メールの返信をすませ、フォルダに入れられていたデータをただ入力しつづけている。
 楽になったなぁと思う。朝起きてごはんを食べて着替えをして化粧をして、歩いて、満員電車に乗ってまた歩いて、ドアを開けて挨拶をして、部長の来客を確認してお茶を淹れて、コピー機の用紙を補充して、午前と午後の郵便を受け取る、そういった作業がひとつもなくなったのだ。
 気楽だ、と思った次の瞬間には孤独だ、と思う。
 長く家にいるだけで、これまで気がつかなかった小さなことに気がついてしまった。
 玄関のドアにコインで引っ掻いたような線が目立つこと、掃除機をかけるたび、ラグの端っこに追いやられた髪の毛が集まっていたこと、ラグをめくるとフローリングに敷いていないところとの境目がくっきりとして汚れていること。午後2時を過ぎる頃には窓から陽が入らなくなること。カラスがベランダの手すりに1列に並んで鳴くこと。昼間のワイドショーで別人の司会者から延々と同じことを聞かされること。
 家から出なくなっただけで、これまで思わなかったことを思うようになってしまった。
 ほんとうは自分なんて存在していないんじゃないか。百歩譲って存在しているとしても、誰かの身代わりなのではないか。

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