『マーメイドの食器棚』長谷川美緒(『人魚姫』)
もやのようにかたちの定まらない薄闇の中を、ただひたすら前へ、前へと進んで行く。 とっさにつっかけてきた履物が、ヒールのないパンプスで助かった。他人事みたいだけれど、何に足を入れるかなんて気にも留めなかった。いつもは家 […]
『シェフのいないレストラン』島田悠子(『透明人間』)
駅前の繁華街を五分も歩くと、あたりは落ち着いた雰囲気になった。華やかな街の灯りは遠のき、ちょうど住宅と店舗とが静かに共存している。まるで、海水と真水が混ざり合う汽水域のようなエリア。美夕花は迷子になった熱帯魚のように、 […]
『憑きびと』コジロム(『死神』)
悪いことをした人は死んだあとに、地獄の番人たちに捕らえられ、強制的に連行されていく。 反対に善いことをした人は、光の天使たちに祝福されながら天に昇っていく。 マンガやテレビでそういうシーンを見たことがある。 本当かどうか […]
『クレイン』影山毅(『鶴の恩返し』)
高田守は都内にあるIT企業で人工知能の開発をするプログラマーとして働いている。新卒で入社して4年、来る日も来る日もパソコンに向かってキーボードを叩き、プログラムを打ち込んでいる。オフィスは高層ビルの小さな一室にある、社 […]
『うし若とベンケー』島田悠子(『牛若丸と弁慶の逸話』)
一体いつからこうなってしまったのか。 五条高校といえば泣く子も黙るヤンキー高校であった。この界隈でそれを知らないヤツがいたら、それはモグリかただのアホ。伝統だけはやたらとあるこの男子校は、長らくその治安の悪さから地元 […]
『地獄リゾートへようこそ』二村元(『蜘蛛の糸』)
まさか、こんなに混んでいるとは思わなかった。その混み具合といったら、通勤ラッシュの新宿駅なんていうものではない。真っ直ぐ歩けないどころか、もはや、前に進むのも大変と言った方が正しい。 これが天国の現実だった。死んだら […]
『地球玉手箱現象』馬場健児(『浦島太郎』)
ある日の昼下がり、突然全世界が白煙に覆われた。 時間にしてわずか3秒程の出来事で、その一瞬の間に地球上の老若男女すべての人類が老人となってしまった。 この謎の災害はすぐさま『地球玉手箱現象』と名付けられ世界中の人々 […]
『河童の国』佐々木卓也(『河童』)
喫茶店に入るとジャズが聞こえてきた。薄暗い壁際から溢れるピアノの音は誰の曲だろうか?どこかで聴いた気がする。やがてそのリズミカルな音は、闇に吸い込まれるように消えてしまった。 店の僅かな照明の筋も失われている。停電に […]
『犬の果て』堀部未知(『老いたるえびのうた』)
勝ったのか負けたのか、よくわからない戦争がおわった。 未知果はひとり歩いて国境をわたり、雪の降る港町にたどり着いた。点在する商店はどれも唐突に営業を放棄した姿で朽ちていて、今は真新しい雪が通り全体を覆っていた。 漁 […]
『手の鳴る方へ』焉堂句遠(『桃太郎』)
都会に二人の男女がいた。 男は全ての物事には意味があると考えていた。 街を歩いて眺める景色は全て意思の産物で、煩いネオンの看板すらも、誰かのメッセージが込められていると思っていた。 女は全ての物事には意味はないと […]
『Gの恩返し』まいずみスミノフ(『鶴の恩返し』)
「わたしはあの時の」 「……」 「――あの時のGです」 × × × 「ぎゃあ」という彼女の叫び声がキッチンから聞こえてきたのでおれは取るものもとりあえず駆けつけた。 彼女は背伸びをしながら逆さまの茶碗を壁に押さ […]
『太郎会議』まいずみスミノフ(『桃太郎』)
議論の口火を切ったのは柿だったか林檎だったか。今となってはもう定かではないが、その発言は果物界全体に波紋をもたらした。 「桃て」 昔話「桃太郎」における桃の必然性について、彼らはかねてより疑問を抱いていたのだ。そして […]
『投げキッスの放物線』吉永大祐(『女生徒』)
チョコミントアイス、それは夜空に浮かぶ小さな惑星。 エメラルドグリーンのミントの海に、チョコで象られたいくつもの大陸が浮かんでいるようで―。 こんな星にひとりで住めたらいいな、なんて。お気楽なことを考える。ひとりぼ […]
『少女は非力な夢を見る』小田(『金太郎』)
ミオスタチン関連筋肉肥大。それが私の病名だ。人は、筋肉トレーニングを行い、筋肉を傷つけ、そこから超回復することで、以前より大きく強靭な筋肉を得ることが出来る。しかし、その超回復の際、ミオスタチンという成分が出ており、筋 […]
『螺鈿の小箱』霜月透子(『浦島太郎』)
レースのカーテンが風をはらんでふわりと膨らんだ。あたたかな風に運ばれて桜の花びらが一枚、志麻子の読んでいる本のページに舞い降りた。志麻子は花びらをそっと摘まむと、本を閉じて窓辺に向かった。バルコニーに出て手を開くと、花 […]
『葬儀屋』空亡(『河童(妖怪)の伝承』)
「黒良さんって、黒い服しか着ないんですか?」 連れの女性に、そんなことを聞かれた。夜のファミリー・レストランでのことだ。 「ほら打ち合わせの時も、スーツは黒で」「そういえば」「そうそう、違うスーツでしたけど」 彼女た […]
『さくら』森な子(『さくら、さくら』)
父のことが大嫌いだった。無口で無愛想で何を考えているのかわからない。母が、私たちもう別れましょうと泣きながら話を切り出した時に、そうか、の一言だけ呟いて、引き留めもせずに離婚した冷たいところを心底軽蔑した。 どうして […]
『勇者はおばけの如く』鈴木沙弥香(『桃太郎』)
僕の中から溢れ出た生暖かい体液が足元に大きな水溜りを作った。僅かに漂うアンモニア臭が、教室を支配していた制汗スプレーの爽やかな匂いを一瞬で嫌な臭いへと変化させた。夏でなれれば良かったのに。ふざけて僕の頭に冷水を浴びせた […]
『シャフリヤールの昼と夜』里中徹(『アラビアン・ナイト』)
彼女が帰ってからはチェックアウトをするのも面倒で、そのまま眠ってしまった。結局起きたのは午前八時前で、もう休憩でなく宿泊扱いの時間になっていた。 金曜の夜だからって油断しすぎた。窓を開けると、外は思っていた以上に晴れて […]
『あなたはだんだんだんだんとてもすごくきれいになる』ノリ・ケンゾウ(『智恵子抄』)
チエちゃんは自分の拳しか信じない。「私は私の拳しか信じない、私のすべてはこの拳の強さだし、この拳の強さだけがわたしの存在意義」が小さい頃からの口癖だった。初めてチエちゃんの口からそれを聞いたとき、私はその言葉の意味が分 […]
『心礼動画』洗い熊Q(『東海道四谷怪談』)
ツイート これはあるカップルが地元で有名な心霊スポットで撮った映像だ。 昼過ぎなのに薄曇りで陰気な景色の神社。戯れながら社に向かう道中。参道を囲む枯れ木の幹には不気味に意味不明の札が打ち付けられる。 一本の幹をまじ […]
『踊る双子の姫と踊らない僕』和泉ミチ(『おどる12人のおひめさま』)
ツイート 「お会計は280円です」 レジが機械音でアナウンスしている間に、僕はパンを素早く袋に入れる。このパン屋でのアルバイトは4年目になる。 去年、コストカットとして、このレジが導入された。客が選んだパンの種類を僕 […]
空蟬の街』広瀬厚氏(『幻影の都市』)
ツイート 彼は夜毎タブレット端末を両手にごろり寝ころび、ネットにあふれる猥雑な女の裸体を飽きることなく舐めまわすよう見つめるか、そうじゃなければ、これまた雑音と紙一重な音楽の動画をイヤホンをして目に耳にしながら、電子タ […]
『男と鬼』加藤照悠(『桃太郎』)
ツイート 男は、都心からだいぶ離れた農村の村外れに居を構える、とある家庭で育った。乳児の頃の最初の記憶では、既に50歳を過ぎた夫婦に寝かしつけられていた。家族はこの3人だけだった。男はこの夫婦のことを、「お爺さん」「お […]
『恋愛孫子』太田純平(『孫子』)
ツイート 三月の風がぼろい窓をガタガタ揺らす。薄い壁から忍び寄る寒さ。思わず半纏を羽織り直す。はあ。正直、世間の『三国志』ブームが腹立つ。蔓延する上辺だけの知識。下らないスマホアプリ。挙句に萌えキャラときた。真剣に東洋 […]
『居酒屋タクシー』サクラギコウ(『粗忽長屋』)
ツイート 「明日はお願いね」 結婚当時から共働きを続けてきた空木は、ひとり娘のために妻と連絡を取り合いどちらかが早く帰るよう調整してきた。中でも特に大事なルールは 「娘の誕生日は家族3人で祝う」 というものだ。この日だ […]
『午前0時の舞踏会』島田悠子(『シンデレラ』)
ツイート チャイムが鳴り、みんなが各々の席へと戻っていく。ボスザルが文月ナツメの肩にドン、とぶつかった。 「あ、ごめん。見えなかった」 ボスザルが皮肉っぽく言う。ナツメは落としたメガネを拾ってハンカチで拭くと黙ってそ […]
『堪忍卵』虹埜空(『堪忍袋』)
ツイート そう書かれている立札を、駅の路地裏にあるいかにも怪しい露店商で見かけた時、斉藤浩一(さいとうこういち)が近寄ってしまったのはたぶん酒が入っていたからだろう。あるいはその飲み席で、同期の近野(こんの)から聞いた […]
『GUM』松野志部彦(『貨幣』)
ツイート 私は一介のしがない梅ガムです。恐らく、皆さんも私達と一度、お目にかかったことがあるかと思います。私はかつて、五枚入り九十八円で売られていた安物のガムなのでございます。 私の最も古い記憶は、包装紙の暗闇の中か […]
『四七人も来る』平大典(『忠臣蔵』)
ツイート 昨晩の降雪で、事務局棟の周囲にも真っ白な雪が降り積もっていた。 「吉良課長」新人の女性職員が震えた声を出していた。「一〇時からのお客さんが、今ですね、受付に来られているんですが……」 「そんな予定、あったかな […]