父のことが大嫌いだった。無口で無愛想で何を考えているのかわからない。母が、私たちもう別れましょうと泣きながら話を切り出した時に、そうか、の一言だけ呟いて、引き留めもせずに離婚した冷たいところを心底軽蔑した。
どうして母を引き留めてくれなかったのだろう。母が出て行った後、私と父は妙に広い家に二人きりになってしまった。父は料理が下手だった。野菜を炒めれば焦がすし、卵を割るとほとんどの確率で殻が入るし、炊いたお米が水を吸いすぎて御粥になるなんてことはしょっちゅうだった。父の料理はすべからく全然美味しくなかった。私は母が恋しかった。母の作る美味しい料理が、頭を撫でる優しい手が、私を呼ぶ声が、ただただ恋しかった。母を想えば想うほど、父のことを嫌いになった。
「私、出て行くから。この家」
十八歳の春。高校を卒業するのを機に一人暮らしを始めることにした。三年間アルバイトをして必死に貯めた貯金をすべてはたく覚悟をして、そう固く決意したのだ。一人娘が家を出るというのに、その時も父は表情一つ変えずに頷いて、
「そうか」
とだけ呟いた。
不動産会社で何件かおすすめの物件を見せてもらっている時、横で私と同い年くらいの女の子が両親につれられてやはり物件探しをしていた。春から大学生になるにあたって、一人暮らしをはじめるらしい。自分の担当の人が資料をコピーしに行っている間、私はぼんやりと横の会話を聞いていた。
「ここがいいんじゃない?」
「えーっ。家賃月六万なんて払えないよ。五万以下がいいって」
「何言ってるんだ。女の子の一人暮らしなんだから、多少高くてもセキュリティがちゃんとしたところに住みなさい。ほら、ここはどうだ。オートロックだし、女性限定だ」
「そこ七万もするし、管理費込みにしたら七万五千円もする!バイト代だけじゃ生活できないよ!」
「だから、月五万は振り込んであげるって言ってるじゃない。残りの家賃と光熱費は自分でなんとかしなさいよ」
「でも、もっと安いところに住んで、貯金もしたい……」
どうやら地方から上京してくるらしい。横で賑やかに話をする家族の声を聞きながら私は、ぎゅっ、と拳を強く握りしめた。大丈夫。私は一人でも大丈夫。ずっと一人になりたいと思っていた。念願叶ってようやく家を出れるのだ。嬉しい、嬉しい、超嬉しい。心の中でそう唱えるとざわついていた気持ちが少しだけ落ち着いた。
「お待たせしました。では、ええと、先ほど仰っていた三件、今から内見に行きましょうか」
「え。今日、お部屋が見れるんですか?」
「はい。あ、ご都合が悪ければ日を改めますか?ただ、何分引っ越しシーズンなので、どの部屋も埋まりやすくはなっておりますが……」
不動産会社の人は優しかった。私が十八の小娘だから、親と相談したがっている、と思ったのかもしれない。私が相手の立場だったらそう思う。けれど私に相談したい親はいなかった。こんな家庭内のこと気軽に話せる友達も、まして恋人もいなかった。