小説

『憑きびと』コジロム(『死神』)

悪いことをした人は死んだあとに、地獄の番人たちに捕らえられ、強制的に連行されていく。
反対に善いことをした人は、光の天使たちに祝福されながら天に昇っていく。
マンガやテレビでそういうシーンを見たことがある。
本当かどうかはもちろん分からない。
もし本当だとしたら、ぼくは少し疑問に思う。
なぜ地獄の番人たちは、悪い人が生きているあいだは何も手出しをしないんだろう。
生きているうちに懲らしめてくれればいいのに。そうしたら不幸になる人が減るのに。
でもそんなことをいくら嘆いてもしかたがない。
人間が自分たちでどうにかしなければいけない。
日本では警察がその役目を担っているけれど、残念なことに万能というわけじゃない。

世の中には、悪いことをしても捕まらずに、一生を過ごす人がたくさんいる。
詐欺、暴行、強盗。中でも殺人はタチが悪い。最悪だ。
迷宮入りした事件の数だけ、殺人犯は世に放たれている。
いや、自殺として片付けられた事件だって、本当は殺人だったかも知れない。
犯人たちは、うまくやったとほくそ笑んでいることだろう。そして今この瞬間もひっそりと、あるいはのうのうと、善良な市民の仮面をかぶって暮らしているはずだ。どこかの町で。

ぼくが小学4年生のとき、近所のおばあさんが行方不明になるという事件があった。
熊谷さんというそのおばあさんはずっと前から認知症で、大人たちの話ではおそらく、散歩に出たあと帰り方がわからなくなり、どこか草深いところへ入ってしまったのではないか、ということだった。
おばあさんの家族はすぐに捜索願を出した。
警察と、町内会の人たちが近くの河原一帯を捜したけれど、見つからなかった。

それからしばらくたった頃、あれは学校の運動会の帰りだったと思う。
ぼくが母と一緒に歩いていると、むこうから熊谷のおじさんがやってきた。
おじさんの後ろにぴたりとくっつくようにして歩いている人がいた。
それは行方不明のはずのおばあさん──つまりおじさんのお母さんだった。
ああ、おばあさん、いつの間にか見つかったんだ、とぼくは思った。
母が小さく会釈しながらすれ違おうとしたそのときだ。ぼくは、おばあさんのようすがおかしいことに気づいた。
ずっと下を向いたままで、ひどく悲しそうなのだ。それにものすごく顔色が悪い。
ぼくは思わずおばあさんに声をかけた。
「おばあちゃん、どこか痛いの?」
そのとたん、熊谷のおじさんが電気に触れたようにビクッとなった。
母も唖然としてぼくを見ている。

1 2 3 4 5 6 7 8 9