小説

『あなたはだんだんだんだんとてもすごくきれいになる』ノリ・ケンゾウ(『智恵子抄』)

 チエちゃんは自分の拳しか信じない。「私は私の拳しか信じない、私のすべてはこの拳の強さだし、この拳の強さだけがわたしの存在意義」が小さい頃からの口癖だった。初めてチエちゃんの口からそれを聞いたとき、私はその言葉の意味が分からなくて、チエちゃんに「ソンザイイギ、ってなに」と聞いた。するとチエちゃんはまっすぐに私の目を見て、「私の生まれてきた意味」と言った。それまで自分が生まれたことに意味があるなんて考えたことがなかったから、私の考えたことのないことを考えているチエちゃんがとてもかっこよく見えた。チエちゃんかっこいいねえ、と言うと、チエちゃんは誇らしそうに笑った。
 今では二人とも高校生になっていて、別々の学校になってしまってはいるけれど、チエちゃんはここら辺じゃちょっとした有名人だから、会わなくたってチエちゃんの話はいつもどこかから耳に入ってくるので寂しくはない。チエちゃんは隣の高校で番長をやっていた。喧嘩が圧倒的に強く、この地域の不良たちの間では、というより不良じゃない子でも、チエちゃんのことを知らない人はいなかった。

 母が私を生んだのとちょうど同じ日に、近所で五つ隣のお家に生まれた子がチエちゃんだった。もともと面識のあった両親同士は、あまりの偶然に喜んで、生まれてきた子供たちの名前を「智恵子」と、「多恵子」と名付け、まるで双子のように育てた。
 チエちゃんの強さの片鱗を見たのは、幼稚園の時だった。すぐ近くの距離に住んでいた私とチエちゃんは、当然のように同じ幼稚園に通うこととなり、行きも帰りも幼稚園の中でもいつも一緒だった。ある日、私がお母さんに買ってもらった犬のぬいぐるみのトミーを、幼稚園に持っていってしまったとき、同じクラスの男の子に見つかって、胸に抱いたトミーを思い切り引っ張られた。私はいやだいやだと言いながらトミーを決して離さなかったので、そのまま引っ張られた拍子に床に転げてその場で泣き出してしまった。その様子に、トミーを引っ張った男の子も驚いて泣き出した私の様子を見て呆然と立ち尽くしていた。そこへチエちゃんがやってくると、わんわんと泣く私を見て、誰にやられたの、と聞いた。私が呆然と立つ男の子を指差すと、チエちゃんはすぐさまその男の子をグーで殴った。殴られた男の子が、痛い!と叫んだけれど、チエちゃんは止まらずポカポカと男の子が泣くまで殴り続けて、先生が止めるまで止まらなかった。それを見ていたわたしは、自分を泣かした男の子が泣かされているのは少しだけ気分がよかったけれど、チエちゃんのあまりに圧倒的な強さと容赦ない姿にただただ驚いて開いた口が塞がらなかった。
 後日、チエちゃんはお母さんに連れられて男の子の家に謝りに行ったのだが、だってあいつが悪いんだもん、タエちゃん泣かしたから、と最後まで抵抗したらしい。それでも無理やりお母さんに連れられ男の子の家に行くと、男の子はしゅんとした感じで出てきて、チエちゃんが謝るより先に、私に謝りに行きたいとチエちゃんに申し出た。その申し入れにチエちゃんは、私もごめんね、とまず謝って、そのあと私の家に男の子を連れてやってきた。チエちゃんの横で、上目遣いでもじもじする男の子であったが、私と目が合うと気まずそうにしながら恐る恐る、ごめんなさい、と謝ってきた。私が、ううん、いいよ、と言うと、男の子は安心したように照れ笑いを浮かべ、それから無言で私の前にグーで握った手を差し出し、私が手を出すと、そこへメロン味のキャンディーを落とした。ありがとう、と私はお礼を言い、それを見たチエちゃんはにっこりと笑って、もうすんなよ、と言ってぽんぽんと男の子の頭を叩いた。こうして私たち三人は仲直りした。

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