小説

『踊る双子の姫と踊らない僕』和泉ミチ(『おどる12人のおひめさま』)

「お会計は280円です」
 レジが機械音でアナウンスしている間に、僕はパンを素早く袋に入れる。このパン屋でのアルバイトは4年目になる。
 去年、コストカットとして、このレジが導入された。客が選んだパンの種類を僕がレジに入力する、レジが会計を機械音で読み上げる、客はレジの投入口に直接お金を投げ入れる、というシステムだ。
「ありがとうございました」
 僕は言い、袋に入れたパンを客に渡す。この言葉は、僕が存在している証だ。
 でも、毎日毎日、機械音の読み上げを聞いていると、そのうち、自分なんか必要なくなるんじゃないかという気持ちになる。

 そういえば、最近、あまりパンが売れ残らない。オーナーがギリギリの数しか作らせないのだろう。残ったパンを貰うことが目的で始めたバイトなのに。
 コンビニでパンを買って帰る時は、虚しい気分になる。
 僕は、パン屋のバイト以外の時間は、いつになったら受かるかもわからない資格の勉強をしている。この資格は、機械に奪われることはないだろうか。不安に思いつつも一度始めた勉強はやめられない。大学を卒業してから2年、両親は地元に帰って来いと機会があるたびに言う。

 バイト先のパン屋から、僕のアパートまでの道のりは暗い。パン屋は住宅地の一角にあり、僕のアパートは同じ住宅地にある。同じような一戸建が続く道、毎日がバイトと自宅の往復。
 そんなある日、一軒の家に工事車両が止まっていた。
 次の日になると、家の壁がガラス張りになっていた。
 またその次の日。いつものように、帰路についていると、薄暗闇の中に、そこだけがボーっと浮かんだような光が見えた。
 僕はじーっと見つめた。
 家をぐるりと囲んでいたコンクリートの壁は取り払われ、腰までの高さの植栽に代わっていた。その向こうには、大きなガラス窓があり、木の床が見えた。部屋の中は空っぽで、壁は全面鏡張りになっていた。柔らかい光の空間。その真ん中には、薄いピンク色のレオタードを着た女がゆっくりと手足を動かしていた。長い手足、長い首に乗る小さな顔。
 透けとおりそうな白い肌。僕と同年代くらいだろうか。
 彼女は、バレエのトウシューズのつま先ですっと立つとクルクルと回った。柔らかい光をクルクルとかき混ぜるように。
 はっと我に帰った僕は、パンの入ったビニール袋を握りしめて、走り出していた。

 あれから1か月が過ぎて、僕の日常には、すっかり彼女が入り込んでいた。

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