小説

『踊る双子の姫と踊らない僕』和泉ミチ(『おどる12人のおひめさま』)

「うん。家を出た時から。まさか着いて来るとは思わなかった」
と言って、彼女は笑った。
「ここはなんですか?」
「何って?踊っているだけよ。見たいと言ってくれる人がいるから。あなたも見たかったのでしょ?」
 僕は顔を上げた。そこには、白いTシャツにデニムのショートパンツを履いた彼女がいた。
 僕は、半裸で妖艶に踊る彼女を思い出し、目を伏せた。
「また、踊る姿見せてあげる。めがね君!」
と彼女は言った。
 僕は、毎日帰路の途中で姿を見かけていることを伝えようか悩んだが、ストーカーと思われるのが嫌で、何も言えなかった。
 彼女は気づいているのだろうか?
「今週の日曜日、自由が丘で。7時頃に駅に来て」
と彼女は言って、テーブルのアレンジメントから、赤い薔薇を1本取り、僕に渡した。
 断る理由など、何もない。僕は、薔薇の花を受け取り
「うん。行きます」
と言った。

 赤い薔薇は、コップに入れてちゃぶ台の上に置いた。
 目が覚めて、昨日の出来事はすべて夢だったのではないかと思ったが、朝の明るい光の中、コップに差した赤い薔薇は咲いていた。

 パン屋のレジの前に立ち、いつも通りに会計の補助をする。パンの種類をレジに打ち込む。レジが会計を読み上げる。僕がパンを袋に入れる。そして「ありがとうございました」と言う。一連の流れの中に、彼女の妖艶に踊る姿が入って来る。
 そもそも名前も知らない。彼女が、僕が知っている彼女かもわからない。約束をしてしまったけれど、約束と呼べるようなものなのかもわからない。
 何か怖い目にあわないだろうか?「マリア」と呼ばれていたけれど、それが彼女の名前なのか?

 約束の日が来て、自由が丘の駅に着いた。駅の改札を出ると、人だかりができていた。バスのロータリーにやぐらが立てられ、赤と白の提灯がぶら下がり、法被姿の男達が太鼓を叩いていた。その周りを浴衣姿の人達が輪になって踊っている。駅前にお祭りの風景が広がっているとは想像しておらず、いつもと違う風景に呆気にとられた。

 僕は、軽快な太鼓の音と、スピーカーから流れる東京音頭に、踊り出したい気分になり、人の波を掻き分け、輪の方へ進んだ。
 そうだ、彼女が踊っているかもしれない。
 辺りを見回すと、やぐらの向こうに、手をひらひらさせ踊っている白い浴衣を着た彼女が見えた。いつもの、柔らかい光に包まれた彼女だった。
 この間の彼女とは、まるで違う。

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