『萌し』夏迫杏(『春は馬車に乗って』)
ジャイロアップに色とりどりのガーベラをめいっぱい積みこんで、春高は一度玄関に戻り、式台に置いていた青いヘルメットをかぶる。内部のクッションにあたまを包囲される窮屈な感覚を、そのむかしあなたと共有したことがあったけれど、 […]
『何千回もある』菊武加庫(『織女と牽牛』)
またこの日が来た。 心待ちにしているわけではない。今年も侍女に教えられて「ああそうなのか」と、思っただけである。 私にとっては十年も、百年も同じなのだ。ましてや一年など大河の小石にもならない。二千年ほど以上もこうして […]
『鬼のグレーテル』みきゃっこ(『ヘンゼルとグレーテル』)
恵方巻きにかじりつこうとしていた、まさにそのとき電話が鳴った。 黙って食べようねと娘に散々言い聞かせていたのに、そのスタートを邪魔されて少しむっとしながら着信を確認する。兄だった。 めったに電話などかけてこない兄が […]
『神待ち少女は演劇の夢を見るか』甚平(『笠地蔵』)
1 「あ~、おっそ~い」 今夜は雪が降る、とニュースで見た。 電車の乗客はまばらであった。忘年会帰りが多いのか、車内はアルコールのにおいをさせたサラリーマンが目に付く。吊革がゆっくりと揺れ、車内アナウンスが流れた。 […]
『どこにもいかずにここにいる』森な子(『みにくいアヒルの子』)
カナメちゃんはいつもどこかずうっと遠くを見ていて、心ここにあらず、といったかんじの女の子だ。 そうは言ってもべつに、今居る場所にうんざりしている風でもなく、話しかければにこにこ笑いながら答えてくれるのだけれど、それで […]
『腹ノ池』間詰ちひろ(『頭山』)
「こいつはかなりの大物だ」 ぐっと重い手応えと、竿のしなり具合が尋常じゃない。これは慎重にやりとりしないと、バラしてしまう。針にかかった獲物を、水面から引き上げるまでは少しの油断が命取りになる。針の先にかかっている獲物が […]
『瓶に閉じ込めた話』和織(『瓶詰地獄』)
彼が海辺の近くに住んでいるのは、波の音を聴くことができる場所でないと、うまく眠ることができないからだった。といっても、彼は海のある街の出身という訳でもなく、彼自身、特に海が好きでもない。海に入るのは億劫だとさえ感じる。 […]
『息子帰る』鹿目勘六(『父帰る』)
康一は、寝入り端をけたたましい電話で眠りから呼び戻された。 不吉な予感を覚えながら手にした電話口から、妹の志乃の沈痛な声が飛び込んで来る。 「お父さんの症状が悪化して危篤状態に陥ったらしいの。病院から直ぐ来て欲しいと […]
『吾輩たちは猫である』洗い熊Q(『吾輩は猫である』)
それは二月の晴天の日だった。 寒気の入り込みが和らぎ、季節外れに暖かい陽気。 雲一つない真っ青な蒼空。突き抜けるような天上に幾つも黒い点が見え始めるのを、偶々に空を見上げていた人達が気付くのだ。 「……ん??」 「 […]
『桃太郎の旅立ち』中村久助(『桃太郎』)
僕は、拾った桃から生まれたらしい。 川に飲み水を汲みに行くため、桶を持って歩いていると、畑仕事をしている知らない大人たちが僕を横目でちらりと見て、こそこそと、そう話したのが聞こえた。 小さいころから、村の子供たちが […]
『シー・サイド』永原はる(『浦島太郎』)
「時間とは何か!マナはどう思われる!」 それは、最後の春休みの、最後の一週間に差し掛かった日の事だった。私たちはアリサの部屋に居た。 「急に何よ」 アリサは、だって、と続けた。 「もうすぐ私たち離れ離れになるわけじゃ […]
『成鬼の儀式』西木勇貫(『桃太郎』)
ついに色別の日が来た。白鬼たちにとってそれは、今後の人生を決める重大な瞬間であった。 これまで十八年間、鬼吉は同年代の白鬼たちとともに、のびのび育てられてきた。幼少期は近所の鬼たちと、金棒野球などをして遊んだ。思春期 […]
『ブラックケープ ・マグダラマリア』泉鈍(『黒衣聖母』芥川龍之介)
「最近おかしな事が起こるんだ」と席に着くなり山川は言った。山川の机の上には白のハンカチが敷かれている。そしてケツの下には全く同じハンカチが敷かれていることをおれは知っている。教室の最前列のお仲間だから。山川のことはこれま […]
『フェイスケ』もりまりこ(『嘘』『久助君の話』新美南吉)
通学に使っている如意線の車窓はもはやマンガのコマだって、久助は思うことにしている。日常のややっこしいことをフィクションのように眺めて心の平静を保とうとしている。そう、うっかり死なないために。 走っている時は、そのコマ […]
『カラダの温度が変わるとき』藤井あやめ(『白昼夢』)
心地よい温度に設定されたオフィスは、今野雅子にとって生きやすい環境だった。 初夏の日差しを侮るものじゃない。爽やかと言うのは聞こえだけで、今朝は蹴りあげるように気温は上昇した。通勤時さえ耐え抜けば、雅子にはオアシスで過 […]
『黄昏を笑う』高平九(『死神』)
病室の窓から見えるのは倉庫の屋根と高圧線の鉄塔ばかりだった。高圧線の彼方から人の声がした。 「海の見える部屋で終わりたかったなあ」 良子は心の奥でそう呟いた。でも、仕方ない。一人息子の俊太郎は市役所に勤めるしがない公 […]
『コウソクロード』香久山ゆみ(『ウサギとカメ』)
『間もなく二番線を電車が光速で通過します。ご注意ください――』 駅の構内アナウンスに、文庫本に落としていた目をぱっと上げる。上げてすぐひとり苦笑する。一体何を期待しているのだ、僕は馬鹿か。電車が「光速」で通過するはずが […]
『バス』高平九(『蠅』横光利一)
小さな影が羽音とともによぎった。泉水みさきは思わず空を仰いだ。気温はまだ低いが空は晴れ渡っていた。それを見つけたみさきは慌てて顔を俯けた。 「ママ。ヘリトプター」 2歳くらいだろうか、女の子がベンチの上で足をぶらつか […]
『七夕の夜』南口昌平(『織姫と彦星』)
無数の星が宇宙の海に浮かんでいます。色とりどりの明滅が、辺りをキラキラと華やがせ、まるで色濃い水彩画のような世界です。 その中で、天の川が小舟を自分に浮かべ、彦星と会話をしていました。 彦星はそわそわと落ち着かない […]
『かぐや姫は未確認生物が好き』渡辺鷹志(『竹取物語』)
「この5人の中から決めなさい」 「わかったわよ」 父親の言葉に、美月は観念したように返事をした。 美月は世界的にも有名な財閥グループの一人娘。 もうすぐ30歳になるがいまだに独身だ。顔もスタイルもモデルのような美人 […]
『君達に会うまでのファンタジー』五条紀夫(『桃太郎』)
世界は穏やかに終末へと向かっている。戦争やら少子化やら問題を数え上げたらキリがない。近頃では突発性昏睡症候群という奇病さえ流行っている始末。とはいえ、俺には関係のない話だ。今日もバイト。明日もバイト。俺は、いまをただ生 […]
『ロマネスク前夜』ノリ・ケンゾウ(『ロマネスク』太宰治)
芸術的な作品を後世に残したい。たとえ自らが死しても、作品だけは生き続けるような、そんな、ロマンスに溢れた作品を書きたいとオサムは思う。それが一体どんな作品なのかは、まだ分からない。オサムは長く生きるつもりがないから、悠 […]
『にゃーちゃんのこと、またはそれらを巡る記憶などについてのあれこれ』ノリ・ケンゾウ(『玩具』太宰治)
赤ん坊のころのことを、オサムはよく憶えているのだという。一歳から三歳くらいまでの記憶なら、ほとんど鮮明に、思い起すことができるとも言っている。試しに当時の流行っていた音楽や、芸能人のことなどを聞くと、すらすらと答えてみ […]
『すべての祈りがあつまるところ』ノリ・ケンゾウ(『陰火』太宰治)
春のことである。オサムが二十五の誕生日を迎えて間もない夜のこと、父のマスジが亡くなった。マスジはもう長くないと言われてから、五年も生き抜いた。それでも還暦を迎えることすらできなかった。 マスジが残した遺産は多くない。 […]
『逃避の行方』小山ラム子(『みにくいアヒルの子』)
胸がちりつく違和感が薫の胸に広がった最初のとき。それは地区の行事であるクリスマス会の最中であった。薫は小学校高学年であり、他数人の子と共に大人達とスタッフ側として参加していた。 ぎゅうぎゅうにおしこめば三十人ほどは入 […]
『教えと旅する女』秋月秋人(『押絵と旅する男』江戸川乱歩)
時は就職氷河期、東京。 リカコは絶望していた。啖呵きって上京したにもかかわらず就職に失敗。六畳間のアパートには不採用通知が降り積もり、短冊に『玉の輿』と書く始末。彼氏ナシ。二十四歳にしてコンビニバイト。人間関係はまる […]
『爺捨山』鹿目勘六(『楢山節考』)
義男は、縁側に腰を落として故郷の夕焼けを眺めている。濡れたような太陽が、青々と拡がる水田とその向こうの街並みを染めて盆地の彼方の山脈にゆっくりと沈んで行く。時々手にした缶ビールを口に運ぶ。 故郷に帰って来て三ヶ月、よ […]
『祖父、帰る』斉藤高谷(『浦島太郎』)
最低限の着替えと貯金通帳を鞄に詰める。親父が帰ってくる前に、と一番気に入っている靴を履き、玄関を出ようとしたところで人とぶつかりそうになった。 「おっと」玄関の前に立っていたのは男だった。二十代後半といったところか。大 […]
『雨にも負けない』洗い熊Q(『雨ニモマケズ』)
その日は嵐だった。 嵐という表現は控えめ。 季節外れの爆弾低気圧。首都圏目下直撃中。朝の通勤、通学に大打撃。 注意喚起程度の予報を信じたばかりに、暴風の中で路頭に迷う人多数。 新人社員の浅子もその一人。 そし […]
『凍える夢』和織(『怪夢』)
氷の床の上に横たわる血まみれの女の死体を、樹は見下ろしていた。ああ、自分が殺したのだった。そう思ったとき、視線を感じて振り返ると、そこには黒い男が立っていた。ああ、見つかった。と樹は思った。「黒い探偵だ、逃げなければ」 […]