小説

『カラダの温度が変わるとき』藤井あやめ(『白昼夢』)

心地よい温度に設定されたオフィスは、今野雅子にとって生きやすい環境だった。
 初夏の日差しを侮るものじゃない。爽やかと言うのは聞こえだけで、今朝は蹴りあげるように気温は上昇した。通勤時さえ耐え抜けば、雅子にはオアシスで過ごす一日が待っている。
「女性は体を冷やしてはいけないよ。」と何度も祖母が口にしていたが、その言霊に守られるように、オフィス内はいつも暑さも寒さもない空間だった。気温の概念がなくなるほど雅子の体に合っている。最新の空気清浄機、自社売れ筋のエアコンだ。人の動きを関知してほどよく風向きや温度をコントロールしているらしい。
 雅子は電気メーカーを取り扱う会社に3年前入社した。仕事内容は決して楽とは言えないが、兼ねてから希望していた営業部への移動が、雅子の毎日をさらに充実させている。

「雅子、会議11時から。行くわよ。」
 先輩の四条由香は入社当時から営業部で、語学堪能を武器に社内で一目置かれる存在だ。しかしその性格は非常に気さくで、雅子が移動してくるなり指導役を買って出てくれる面倒見のよい一面を持っていた。
「はい、今いきます!」
 雅子は会議に必要なプリントをまとめると、四条の後を小走りで追いかけた。

 第一会議室とかかれた扉はすでに15名ほど飲み込んで、最後の雅子が入ったところでバタンと音を立てて閉じた。室内はテーブルがコの字型に並んでおり、資料を確認する同僚達がすでに着席していた。四条と雅子は空いてる席に滑り込んだ。なんだか今日はやけにザワザワしている。

「突然だけど。」
 四条が雅子を見ずにさらりと言う。
「ランポ社が新製品を開発したらしくてね。うちで取り扱ってほしいらしいの。今日はそのプレゼンがあるのよ。」
「え?何が来るんですか?」
「さぁ、なんでしょ。なんでも、今後海外展開を考えているランポ社だから。あそこの家電は人気あるからね。気に入れば、うちが独占販売できる可能性もあるわ。」
「へー。そうなんですか。」

 この落ち着かないざわめきが何を意味しているのか、雅子にはようやく分かった。
 間もなくして、小綺麗なスーツに身を固めた40代位のランポ社の社員が、一人の中年男性と姿を表した。その男は遥かにスーツの男性より年上という事が、顔のシワから読み取れる。素朴な印象だが、上下緑のジャージを着用している姿が現場にただならぬ異色を放っている。
 予期せぬ事態に雅子は慌てて四条の顔色を伺った。

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