小説

『フェイスケ』もりまりこ(『嘘』『久助君の話』新美南吉)

 通学に使っている如意線の車窓はもはやマンガのコマだって、久助は思うことにしている。日常のややっこしいことをフィクションのように眺めて心の平静を保とうとしている。そう、うっかり死なないために。
 走っている時は、そのコマが横長に伸びている感じで、流れていく。停車駅<干し草山>で止まると、開いたドアのコマは突然途切れて座席の後ろの窓のコマに人々が描かれる。人のいないコマは殆どなくって、どこかしらに人々が配置されてゆく。そこに登場するのは、たいてい急いでいて社会のしがらみをたっぷり背負ったような人々。久助とは違う他校の中学生もいる。前は向いているけど斜め四十七度くらいの角度、若いってぜんぜんうれしくないって表情で歩いていたりする。でもオジサン達に言わせるとそれが若いっていうことらしい。

 仁丹中学に着くと臨時担任、蛍原がやってきた。
 前の担任、細腹弘子が出勤してきても担当教室の扉をくぐれないという精神の病を抱えてしまい欠席が続いていた。そして柔和な表情の蛍原先生が赴任してきたのだ。蛍原は例によってほとちゃんと呼ばれた。ほとちゃんは、クラス担任になってしばらく経った頃、みんなに用紙を配った。
 久助に配られた紙には、<本多ヘイスケ>って書かれていた。隣の道田ハルヒの紙には、<東雲瑠香>だった。
 なにこれ? ってみんなでペラペラの紙をひらひらさせていたら、ほとちゃんは、君たちが今日から1週間、なってもらう人の名前が書いてあります。って平然と言った。なってもらうってここはワークショップかい? って独り言ちてたら蛍原は久助君、大正解って突然名指しされた。
「そう、ワークショップみたいなものだね」
 え? 俺声にしてないよねって思ってたら、蛍原が「驚いてる? 怪しい?久助君は、時々声にしないのに唇が動くでしょ。不満がある時は特にそう。今その唇の形を見てたんだよ。それだけ。驚かしてごめんね」
 って種明かしのようなことをしたや否や、他の生徒たちがナインしてるって、
 してるそういうのって口々に言い出した。ナインってのは、説明するのもばからしいけれど、久助の久の音からきていた。当たり障りのないあだ名は、あるだけましだということを、ここ数年で覚えたので言わせておく。
「君たち、みんないつかイジメられるだろうって顔して座ってるね。自分らしくあれとか、君のままでいなさいとかって言うよね、大人たちは。いい気なもんで。でも、まんまでいたらえらいことになってしまうってこと知ってるのは、君たちだけ。そういうのはやめにしよう。らしくとかは、もういいから。知ってる限りでいいから7日間だけ他の誰かになってみるんだよ。佐藤一二三さんなら、篠田天さんになるの。それって、たぶん誰かになるためには自分以外の誰かをよく観察することになるよね。ウザイだろうけどやってみよ。いつイジメられるかって考えるよりは、ましじゃない?」

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