小説

『すべての祈りがあつまるところ』ノリ・ケンゾウ(『陰火』太宰治)

 春のことである。オサムが二十五の誕生日を迎えて間もない夜のこと、父のマスジが亡くなった。マスジはもう長くないと言われてから、五年も生き抜いた。それでも還暦を迎えることすらできなかった。
 マスジが残した遺産は多くない。多くないどころか、遺産というものに相場があるとすれば、マスジの残した額は平均と比較しても雀の涙ほどだった。小さな頃からろくにお金のない生活をして、最後までろくにお金がないまま死んでいった。
 マスジはオサムに金を残さなかった代わりに、小さな町工場を残した。印刷物の折り工場である。チラシや薬の能書などを折っていた。祖父の代から始まり、マスジが継いで、オサムで三代目。子供のころから工場の手伝いをして、高校も行かず工場に就職し、以降折り一筋で死ぬまで働いたマスジとは違い、オサムは高校まで行った後はふらふらと遊び歩いていて、工場もろくに手伝ったこともなかったのだが、マスジが死んでしまえば当然オサムが町工場を継ぐという話が出てくるわけで、とはいえ今のご時世では町工場の経営はなかなか厳しいし、無理に継がなくてもよいと母や親戚は説得したが、継ぐとか継がないとか、特殊な状況に置かれて無駄に刺激されてしまったのか、オサムはなんだか乗り気になってしまい、結果的に工場を継ぐ決断をした。
工場の従業員はオサムを除いて二人。勤続三十年のベテラン川端と、オサムと同年代のチュウヤ君だけだった。川端は当初マスジが死んでからは引退するつもりだったが、オサムが工場を続けると言い始めたので、マスジに対する恩義もあることだし、もう少しだけだ、と逃げ道を作りつつも残った。これにはオサムも大変に感謝していて、というのも川端がいなければ、オサムとチュウヤ君ではまともに機械を動かせない。チュウヤ君はもう三年くらいこの工場で働いているが、バンドかなんかをやっているらしく業務に対するやる気は皆無、ことあるごとに練習やライブだなんて言って休んだりするし、仕事も折りあがったチラシなんかを紐でまとめたり仕分けしたりする雑用をしているだけだ。つまり川端がいなければ、オサムは工場をたたむしかなかったのである。
 働きだしてオサムは気づいたのだが、工場は折り専門であるのに、二つ折りや四つ折りと言った簡単な折り方しかできない。それもあってか仕事は少ないし、ましてこんな簡単な折り方の仕事では一枚折っても一円にもならなくて、六十銭だとか四十銭だとかの売り上げにしかならない。あまりの安さにオサムも自分の家がどうして貧しかったのかが今になってよく分かり、よくもこんな仕事を続けていられたな、と天国のマスジに対して尊敬ではなくシンプルに疑問を抱いた。早くも仕事に飽きてきたオサムは、川端に疑問をぶつけてみる。
「ねえね、やっさん」オサムは川端のことをやっさんと呼ぶ。
「折り工場ってのはさあ、どこもこんなちまちまとしか稼げないわけ?」
「まあそうだな。うちは特別だけど」

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