小説

『すべての祈りがあつまるところ』ノリ・ケンゾウ(『陰火』太宰治)

 いったい何が特別なのよ、とオサムが続けて問うと、そんなん知らねえよ、と少し面倒臭がられる。しかし納得できないオサムがしつこく川端に聞き取りをすると、一つの原因が浮かび上がってきた。川端が話を終えると、ますますオサムは納得のいかない様子になって、川端に食ってかかる。
「じゃあなに? 親父のくだらない研究のためにこんなことになったの?」
 くだらねえってわけじゃねえが、と言って続ける川端の話をまとめると、マスジは客のひょんな要望のせいで、あるたった一つの折りの加工を完成させるため、人生の大半をつかって研究し続けたのだという。ありゃあ馬鹿がすることだよ、と川端は言い、マスジを懐かしむように今はほとんど動かないで眠っている折機の方を眺め見た。この機械こそ、マスジが改良し続けた特殊折り機である。幾層にも鉄の備品が重なって、他の折り機とは一線を画した雰囲気がある。
 マスジが作り上げたのは、紙の鶴を折る機械であった。折りの機械を見たことがない人間には少し想像がつかないかもしれぬが、機械で紙の鶴を折るなんていう芸当は神業である。話を聞いただけでは信じられない。しかしそんなものを作っても、需要がなければ宝の持ち腐れである。正気じゃねえ、とオサムが呟く。
「なんだよ、もっと実用的な折りの研究に時間を費やせばよかったじゃねえか」
「珍しくまともなこと言うな」
「俺は現金なんだよ。親父とちがって」
「へえ、そりゃあいいことだ」
「だろう、ねえやっさん、あの機械ばらしちゃおうよ。新しい折りができるように」
「そいつはダメだ。あれは、おやっさんの形見だ」
「いいよ変えよう、どうせ動かねえんだから。鶴の注文なんてこないよ」
「だめだ」
「なんだよ、若社長が言ってんのに」
「ダメだダメだ。あれをばらすんだったら、俺は辞めるからな」
「ちょっとやっさん、冗談はやめてくれよ」
「それが嫌だったら置いとけ」
「はいはい分かったよ、分かったから辞めないで」
 川端が頑なに機械をばらすことを拒むので、オサムはとうとう観念して仕事に戻った。

 オサムは社長になってからも相変わらずふらふらはしていたが、良いのか悪いのか周囲の予想を大きく裏切り、町工場を辞めることはしなかった。母も親戚も川端もこれには驚いていた。一年、二年と続いている間に、オサムには妻もできた。こんな小さな町工場に好き好んで嫁いでくるのがいるわけない、どうせオサムが自分は社長なんだとか言って自分を大きく見せたに決まっている、と皆が口を揃えて言った。たしかにオサムは当時水商売をしていた妻のミチを調子のいいことを言って口説いたが、ミチだってその口上に実態が伴っていないのは分かっていた。だってあんな小さな工場だし。それでもオサムの威勢がよくて間抜けなところを面白がって好きになり、結婚をした。しかしそれらの特長は当然短所でもあるので、ミチの気持ちは次第にオサムから離れていく。それにミチはミチでオサムと似たところがあり、ふらふらしているというか移り気というか、元々男好きが高じて水商売で稼いでいたくらいだから、オサムが夜工場から戻るといないとか、朝に帰ってくることもしばしばで、初めはもちろんオサムも怒っていたが、暖簾に腕押し。結果的にオサムはミチの行動に目を瞑っていたけれど、ある日オサムでも許容できないことが起きてしまう。オサムがミチを詰問する。

1 2 3 4 5