『透明みたい』室市雅則(『不知火の松(神奈川県川崎市)』)
太陽が顔を覗かせるほんの少し前。夜と朝が混じり合っている束の間。空は真夜中よりも暗くて濃くなる。何色と言ったら良いのだろう。黒、濃紺、黒緑。そんな色の空を炙るように炎が煙突の先から噴き上がる。 フレアスタック。 コ […]
『女神』望月滋斗(『死神(落語)』)
「チクショー!」 男はポケットの中から取りだした指輪をケースごと海に放り投げ、思い切り叫んだ。しかし、そんなことをしたところで男の哀しみが癒えるはずはなかった。 「いっそのこと、ここから……」 海に身を投げてしまおう […]
『白狐』杉蔵一歩(『運』芥川龍之介)
江戸の夜の町に白い化け狐が出て、人を襲うという噂がたった。 その体は人ほど大きく、口が耳まで裂け、目が金色に光っている。その牙や爪で傷つけられれば、三日三晩も高熱にうなされる。 「悪者を懲らしめに来るのさ」と言う者もいれ […]
『カチカチ寺』大中小左衛門(『カチカチ山』)
境内へ続く門をくぐった。中には大勢の避難民が溢れている。みんな戦で家を失った人たちだ。清太は今日からここで暮らすことになる。 「少ないけれど、食事は必ず出すようにする。お前がいいと思うまで、ここにいなさい」 そう言っ […]
『時には、必要、かもしれない』真銅ひろし(『鉢かづき姫(寝屋川市)』)
嬉しいけれど、応えられない。 「ごめんなさい。」 一つ上の先輩はこの言葉を聞くと寂しそうに「そっか」と答えてどこかに行ってしまった。 「はぁ。」 とため息をつく。優しそうな人だった。でも、せっかくの告白も応えること […]
『嘘とウソ』宮沢早紀(『早池峰山の神様(岩手県花巻市)』)
「うさぎが一番かわいいからって理由で卯年って嘘ついてたんだよね」 薫は直樹の言葉を反芻した。世間一般の人々が眉を顰めるようなことをする人もいるのだから、こんなものは取るに足らない、ほんの些細なことであるはずなのだが、薫 […]
『チューリップの花が』太田純平(『大工と鬼六(岩手県)』)
「ハイハイみんな聞いて~」 と先生が手を叩く。修学旅行の肝試しで誰とペアを組むか、明日のホームルームで決めるというのだ。 「男子と女子、二人で一組です。明日までに決まらなかった子はクジ引きになります」 先生の言葉にク […]
『友達リクエスト』山本(『因幡の白兎(鳥取県)』)
金曜の夜で商店街は賑わっている。 開放したドアから漏れる笑い声の中を、兎和(とわ)はコンビニの袋をぶら下げながら通り抜けた。今週末も天気は良さそうだ。ハイキングにはもってこいだろう。 アパートに着くと窓を開けた。ス […]
『むくいる』ウダ・タマキ(『鶴女房(岩手県)』)
湿っぽい敷布団から仰ぎ見る天井の木目を視線で辿る。積み重ねる年齢に比例して、不安ばかりが増す今日この頃。周りを見るな、関係ないと言い聞かせては己を信じて歩んできたけれど、どうもその信念が揺らぎつつあるのは、むしろ人との […]
『謝辞』斉藤高谷(『はなたれ小僧様(熊本県)』)
妻が出て行って三日になる。連絡は、まだない。 出て行った理由はわからない。思い当たる節があるようでいて、直視すると霧のように消えてしまう。 妻とは見合いで知り合った。会社の上司の紹介で引き合わされたのだ。特別に感情 […]
『レモン』望月滋斗(『檸檬(京都)』)
このところ、私の心持ちはやけに窮屈だった。 それはそれは、何をするにもそわそわとして夢中になれない。 好きなバンドの新曲が発表されたとしても、歌い始める前のイントロ部分で両耳からイヤホンを外してしまう。レンタルビデ […]
『とある学生の憂鬱』睦月紗江(『鶴の恩返し』)
大変困ったことになった、というか現在進行形で困っている。 どれくらい困っているかというと、試験の直前になって自分の必死にした勉強範囲と実際のテスト範囲がずれていたことがわかった時くらい困っている。 いやまあこの場合は諦め […]
『みもろの恋』サクラギコウ(『万葉集 三輪大神神社の歌(奈良県三輪山)』)
神さまだって怒ることがあるのだろうか。 心を改めたら許してくれるのだろうか。 霞がかかった白金色の木漏れ日が樹々の緑をより深い色に照らしている。ここには山そのものが神だとされている神社がある。 奈良の三輪山は標高 […]
『マユミツキユミトシヲヘテ』香久山ゆみ(『竹取物語)』)
少年が放った赤い実は、黄金色の的に向かい真っ直ぐに飛んでいった。 「ああ、月へ行ってみたいなあ」 ぽつりと彼が呟く。 草原を吹き抜ける風に掻き消されてしまいそうな微かな声で。けれど、私だけはその言葉をしっかりと受け […]
『祭りの日』せとうちひかる(『石城山の山姥(山口県光市塩田)』)
『ドーン、ドーンドン、ドン』 村の広場から、和太鼓の音が大きく、大きく聞こえてきました。夏祭りの始まりです。 岩城山のてっぺんにある岩の上に、一人のおばあさんが白い着物の裾と、白く長い髪を風に揺らしながら立ち、祭り […]
『水神の沼』紗々木順子(『照夜姫伝説(宮城県大崎市)』)
遠い昔のお話です。長者の家には三人の娘がおりました。三人ともそれぞれ美しい娘なので近くの村ばかりでなく遠く離れた町や旅人たちの間でも噂に昇ることがありました。あるとき、少し離れた峠の旅籠の主人が自分の息子の嫁に三人のう […]
『涙の確証』加持稜誠(『竹取物語』)
僕はその日、『女神』を見つけた。 仕事帰り、ささくれた思いの最中、その『女神』は現れた。 彼女は薄汚れた街の片隅で、不浄を洗い流す母性に充ちた微笑みを湛えながら、一際光り輝いていた。そして目の前を通り過ぎてゆく、無 […]
『白鶴の桜』宮脇彩(『鶴の恩返し』)
あの日、私は初めて人の優しさに触れた。 羽を少し休ませようと、地上へ降り立ったその時、足に縄が絡みついた。人間の仕掛けた 罠だと気づいたときにはもう遅く、私は、悔しさで胸が締め付けられるのを感じていた。 「もう、あの […]
『秋の恩返し』川瀬えいみ(『信太狐(大阪府)』)
山田太郎がジョン・スミスに初めて直接会ったのは、テレビやネットの日々のニュースで紅葉前線の南下報告がされていた頃。東京の銀杏並木はすべて黄色。その黄色が陽光を受けて金色に輝いて見える、晴れた日の午後だった。 ジョンは […]
『昼下がりの空き部屋から』斉藤高谷(『春の野路から(岩手県)』)
今更ながらどうかしている。 高校生には場違いな、日曜日のオフィス街のレストラン。人は確かに多いけれど、誰もが小声で話し合っているのか静かで、食器の触れ合う音が時々聞こえる。その窓辺のテーブルに、わたしたちは着いている […]
『まんじゅうこわい』香久山ゆみ(『まんじゅうこわい』)
「おれは、饅頭がこわい」 酒の席での馬鹿話。何が怖いかって話題になり、皆が「蛇」やら「仕事」やら「貧乏」やら答える中、ヤスが素っ頓狂なことを言う。きょとんと場が白けちまう。馬鹿言ってんじゃねえよ、と頭を叩かれたヤスはぶ […]
『石の声』盧仁淳(『セメント樽の中の手紙』)
蝉時雨と、暴力的ともいえる暑さで目を覚ます。 「あっつ」 独り言ちて壁掛け時計を見上げると、秒針は午後の十二時を差している。まどろみの最中で凝り固まった自身の首やしびれた腕に気付き葵は顔を顰めた。どうやら昨晩、レンタ […]
『二年目でも待てない』平大典(『三年目(江戸)』)
おばあちゃんが亡くなって二年近くが過ぎていましたが、おじいちゃんはふさぎ込んで悲嘆に暮れたままでした。 「あのままじゃ、こっちまで気が滅入るかも」お母さんはテーブルの上に肘をついていました。「遺影を見てはため息を吐いて […]
『路地』千田義行(『とおりゃんせ(神奈川県小田原市や埼玉県川越市など日本各地)』)
「その路地の入り口はよく通る場所なんだけど、それほど注意深く見たりはしてなかった。あったかどうかも分からない、そんな感じの路地だった。ただ、暗闇の中でじっとその路地を見ているとなんだかこの世のものではないような、そんな気 […]
『鶴の置き土産』彩原こだま(『鶴の恩返し』)
始めはただの好奇心でした。 大雪の中、やってきた娘さん。彼女は長くホコリを被っていた機織り機を使って、あっという間に織物をいくつも仕上げました。私が町に売りに出ると、どれもこれも高値がつけられ、私たちが一年かけても得 […]
『散る花の願い』五条紀夫(『花咲かじいさん』)
父さんとの散歩の最中、地面と空がひっくり返った。 あまりにも突然のことだったので何が起こったのか分からなかった。どうやらいまは宙を舞っているようだ。ゆっくりと景色が流れて、逆さまのお日様が視界の外へと逃げていく。やが […]
『大きなつづら、小さなつづら』小山ラム子(『舌切り雀』)
「波多くんってさ、小さなつづらみたいだよね」 「え?」 おそらくキョトン、としているだろう僕を見て、里中さんは「忘れて!」なんて言って、再び机に向かった。 それは、普段の彼女には似つかわしくない態度で。だけど、だから […]
『私は寅子』淡島間(『寅子伝説(埼玉県蓮田市)』)
私はかつて寅子だったという自覚は、今や純然たる事実として思い起こされた。 毎月第二、第四土曜日になると、寅子だった頃の記憶が順を追ってよみがえる。まるで連続ドラマの脳内再生だ。なぜ隔週なのかは知らないが、これより頻繁 […]
『オオカミさんの正体』夏目会(『おおかみと七ひきのこやぎ』)
「いい?絶対にドアを開けちゃだめだからね。もし開けたら・・・」 「オオカミさんに、食べられちゃうからね。」 そう言ってママは部屋を出て行った。カツカツとママの靴の音が響いて、ドアが閉まると再び部屋の中は暗闇に包まれる。 […]
『黒い果実』裏木戸夕暮(『初恋(島崎藤村)』)
彼女は緊張した面持ちで椅子に掛けていた。部室の窓から夕日が差し掛かり前髪が金色に光っている。少し眩しそうに目を逸らし、俯いた後で彼女の目が真っ直ぐに僕を射抜いた。 「先輩の描く林檎って、美味しくなさそう」 他の誰もが […]