小説

『石の声』盧仁淳(『セメント樽の中の手紙』)

 蝉時雨と、暴力的ともいえる暑さで目を覚ます。
「あっつ」
 独り言ちて壁掛け時計を見上げると、秒針は午後の十二時を差している。まどろみの最中で凝り固まった自身の首やしびれた腕に気付き葵は顔を顰めた。どうやら昨晩、レンタルした映画を見ているうちに、リビングで寝入ってしまったようだった。食卓に置かれたメモ書きにはおそらく母親の筆跡で、「カップ麺、戸棚」と書かれている。
葵はカップラーメンを作り、再びソファに座り直した。白いソファだから、汁を飛ばしでもして汚したら大目玉だろうな、なんてことを思いつつ、ラーメンを匙ですくい食べながらつけっぱなしのテレビに目を向ける。
 テレビでは無骨な彫刻家の男と可憐だが芯のあるヒロインの恋模様を描いたドラマが放送されていた。特に見たい番組もないため、葵はドラマを流し続けることにする。家庭、恋敵、互いの将来等、様々な障害に苦しむヒロインと彫刻家の男は、結ばれてさえも苦しそうな顔をしていることが、不思議に感じる。ヒロインは、事あるごとに泣いていた。
 毎話二人が様々な障害を乗り越えていくこのストーリー展開は、巷では人気らしい。雨の中、二人が抱き合うシーンが流れたのち、放送は終了した。
 葵にとってそのドラマはほどほどに暇を潰せる、毒にも薬にもならないものだった。このような作品はカップ麺のお供に丁度いい、なんてことをぼんやり思った。
 四、五のCMが放送されたのち、番組はドラマからドキュメンタリー番組へと変わる。
 番組のタイトルは「無機物に恋をした人間」というもので、気になった葵はチャンネルを回す手を止めた。映像にはエッ フェル塔と結婚した女性や、ベルリンの壁に恋心を抱いた女性、果ては道路に恋をした男性といった、様々な「物」に愛を注ぐ人の姿が映し出されていた。
 彼らは皆、まるで愛しい人の肌に触れるような手つきで物体に触れ、愛でている。「物」を見る彼らの瞳は風に揺れる蝋燭のようにとろとろとゆらめく。
 その姿が妙に生々しくて、美しくて、妙に釘付けになった。はじめての、感覚だった。
 対物性愛という特大のテロップが画面いっぱいに映し出されるのを葵はじっと見つめた。
 映像の人々のように、人間や動物といった命あるものではなく、命を持たない「物」に心を奪われ、深く惹かれる性的指向のことをそう呼ぶことをナレーションは淡々と説明していく。
 言葉を交わすことも、体温を分け合うことも出来ない「物」を愛する彼らの表情は晴れやかで、さっきまでぼんやりと流し見していた人間同士の恋愛模様と比べ物にならないほど、幸福そうだった。テレビを見ていると、不意に携帯電話の着信音がけたたましく鳴り響いた。
 液晶に表示されていたのは母の名前で、電話を取る。この時間に母から電話が来たことは今まで一度たりともなかったから、焦りのような、ざわざわとした感覚に襲われた。
「母さん、どうかした」
「葵、葵、おばあちゃんが、倒れたって」

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