小説

『レモン』望月滋斗(『檸檬(京都)』)

 このところ、私の心持ちはやけに窮屈だった。
 それはそれは、何をするにもそわそわとして夢中になれない。
 好きなバンドの新曲が発表されたとしても、歌い始める前のイントロ部分で両耳からイヤホンを外してしまう。レンタルビデオ店で借りてきたサスペンス映画も、事件が起こる前の主人公が平穏な日常を送っているシーンだけを見て、気づけばプレイヤーからディスクを取り出している。
 かといって、六畳一間のボロアパートでひとり何もせず時計の秒針が進む音をただひたすらに聞き続けていれば、だんだんと気が狂いそうになってくる。やがて本当にいてもたってもいられなくなると、部屋を飛び出して京都の街をあてもなくぶらつく。
 そうして寺町通りを歩いていたとき、『昔ながらの』という言葉がよく似合うこの八百屋の前で足を止めた。
 店には、この一区画だけ戦前で時が止まっているのではないかと錯覚させるように、いくつかの白熱電球が裸のままぶら下がっており、その下にある棚には艶めくカラフルな果物たちが所狭しと並べてあった。
 その中で、私はなぜかレモンに強く惹かれた。
 思わず一つ手に取ってみて、そのひんやりとした感触とほどよい重みを確かめるように何度も握り直しては、ときに鼻元まで持ち上げ、ほのかに放たれている爽やかな香りに癒やされた。
 店主に話しかけられたのは、その最中のことだった。
「もしやお客さん、えたいの知れない不吉な塊に心をおさえつけられているのだね」
 店主の言葉に、妙に合点が行った。そうだ、私の心を蝕む言語化しようのなかったあれは、『えたいの知れない不吉な塊』と表現するのがベストだったのだ。
「分かるんだよ。ここに来てまず始めにレモンを手に取る客は、たいていそうだ。どうだい、レモンを握っていると不思議とその不吉な塊も紛れてくるだろう?」
 私はコクリと頷いた。レモンを手に取った瞬間から、気分が晴れていくのをたしかに感じていたのだ。
「ただ、うちのレモンがすごいのはそれだけじゃない。ためしに、そのレモンがもしも風船だったらって妄想してみるんだ」

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