小説

『レモン』望月滋斗(『檸檬(京都)』)

「……あたし、結局はレモンなのよ。だから日に日に水分が抜けては肌にシワが寄って、あなたが妄想した美しい姿とはかけ離れていってしまう。初めのうちは化粧でなんとかごまかせていたけど、とうとう身体が腐り始めてからはもうダメね。とにかく、もうあなたの前にはいられないわ」
 なんとか引き留めようと、私は考えるよりも先に口を開いた。
「シワが寄るからなんだ、身体が腐るからなんだ。そんなことはどうだっていい。エリカがいなくなったら、私はきっとまたあの不吉な塊に心を占拠されてしまう。頼むから、ずっとそばにいてくれよ」
 エリカは目に涙を溜めながら首を横に振った。
「愛する人の思い描く妄想の姿から日々遠ざかっていくことが、どれだけ怖くて悲しいことか分かる?」
 エリカは「それに」と付け加えながら自らの白髪になった前髪と、コタロウの前髪を同時に掻き上げた。そしてまた、私は絶句する。
 露わになった二人の額には、青カビが生えていた。
「同じ箱の中に入ってるとね、腐敗やカビはこうやってすぐに伝染してしまうの。あたしは、あなたにはうつしたくない」
 しばしの沈黙の後、エリカは「行くわよ」とコタロウの手を引いて部屋を出ていってしまった。


 それからというもの、私の生活はえたいの知れない不吉な塊に心をおさえつけられていた頃のものに逆戻りしてしまった。
 金庫いっぱいの純金と化したレモンを眺めていても今までのようには心躍らず、むしろ虚しさが募るばかりである。
 私が愛した妻子は、所詮は最期までレモンだったのだ。今もどこかでレモンのまま存在しているのだろうか。
 そのとき、ふと、ある考えが脳裏をかすめた。
 現在もレモンのままならば、私の妄想次第で自由にコントロールできるのではないか──。
 すぐさま目を閉じて頭の中で思い描いた、あの二人が肌にハリを取り戻した姿でこの部屋に帰ってくるさまを。そして、私が彼らを思いきり抱きしめるさまを。

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