小説

『レモン』望月滋斗(『檸檬(京都)』)

 
 妄想は昔から得意だった。
 私は手のひらに置いたレモンをまじまじと見つめると、紡錘形のその中身がヘリウムガスで徐々に満たされていくさまを思い描いた。
 すると、あろうことか、実際にレモンは少しずつ膨らんで軽くなっていった。そして遂に、手のひらを離れてふうわりと宙に浮かんだ。
 風船と化したレモンは空気の流れに揺られながらゆっくりと上昇を続け、やがて店の天井まで達してその場にとどまった。
「こんな風に、うちのレモンは妄想次第でなんにだってなるんだ。ただし、一つ注意があってね」
 買いたいと逸る気持ちを抑え、店主の言葉に耳を傾ける。
「ひとたび妄想で姿を変えたレモンは搾っちゃいけないんだ。せっかく中に詰まっていた妄想が、果汁と共に外へ出てしまうからね」
 すぐさま、「なあんだそんなことか」と胸を撫で下ろした。普段からレモンを付け合わせるほどの凝った料理はしないし、レモンサワーなんてコンビニに行けばいくらでも売っているのだから搾るまでもない。
 結局、私はレモンを一つだけ買った。
 帰り際、店主は「もう一つ注意」と私を呼び止めた。
「くれぐれも、危険なことは妄想しないでおくれよ。かつていたんだ、それで爆弾を作ってとある書店を丸々一つ吹き飛ばしちまった奴がね」
 私はこれまた、「なあんだ、そんなことするわけない」と思いつつ、同意を求めるような店主の視線に頷き返した。


 えたいの知れない不吉な塊に立ち向かうには、目先の悩みを一つずつ潰していくほかない。そして間違いなくその手助けとなるのが、手の内にあるこのレモンなのだ。
 六畳一間の片隅に座り込む私は、もしもこのレモンが純金だったらと妄想した──。
 部屋の明かりを受けてレモンの表面から放たれていた自然な艶が、次第にギラギラとどすの利いた輝きへと変化していく。

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