小説

『私は寅子』淡島間(『寅子伝説(埼玉県蓮田市)』)

 私はかつて寅子だったという自覚は、今や純然たる事実として思い起こされた。
 毎月第二、第四土曜日になると、寅子だった頃の記憶が順を追ってよみがえる。まるで連続ドラマの脳内再生だ。なぜ隔週なのかは知らないが、これより頻繁に思い出すことになったら、きっと気が狂うと思う。
 最初に浮かんだのは幼児の頃、母が死んだ風景だった。私たちは母娘で旅をしていて、道中に立ち寄った村で病に倒れ、客死した。今の私と同じくらい、まだ二四、五歳の、色が白くてきれいな人だった。
 泣きすがる私に、横たわる母は潤んだ目を向け、すうっと息を吸い込み、それきりだった。遺体は荼毘に付され、宿主の老夫婦と一緒に手を合わせて弔うまでが、第一回目の回想だった。
 これを思い出した時、令和を生きる私はちょうど寄席を聴きに行っていたので、周りの客が爆笑する中、ひとりボロボロと涙をこぼすはめになった。
 それから少しずつよみがえった記憶は、気が滅入るほど古いものだが、どれも過去の私に起こったことに違いなかった。
 存在すら知らなかったアルバムに、見たこともない自分が写っているような、妙な気分だ。しかも一度思い出してしまえば、逆になぜ今まで忘れていたのか理解に苦しむほど、鮮明な記憶として刻印される。
 老夫婦は私を引き取り、「とらこさん」と呼んで大切に育ててくれた。亡くなった母は身分がある人だったから、私の容姿や所作にも品があると、ことあるごとに褒めてくれた。
 養父母だけではなく村の人々も、優しい、美しい子だと言って可愛がってくれた。
 そこは小さな農村で、天候を心配したり、収穫を喜びながら、幾年もの月日が流れた。
 何年目かの春、年端もいかない私に縁談が来た。父も母も驚いて、まだほんの子供だからと断った。相手は近隣の大 地主で、狩りの途中に私を見初めたという。現代であれば中学校にあがるかどうかというほど幼い私を、二回り近い中年の男が望むという構図は、正直言って気持ち悪かった。嫌なことを思い出したと思った。
 しかし、これはほんの序章に過ぎなかった。
 成長するに従って、私を嫁に欲しいとの申し出は倍増していった。
 降るような縁談に途方に暮れ、夜が更けるまで相談を重ねる父母を、私は寝床を抜け出して盗み見た。ふたりともすっかりやつれ、心労のために老いが加速したようだ。何か不吉な予感が鳴りやまなかった。
 ここまで回想すると、現代の私に思い当たる節ができた。
 いや、まさか、そんなことは。でも、万が一……。
 土曜日が来て、記憶の復元が進むにつれて、懸念は確信に変わった。
「とらこ」という名前も、武蔵の辻谷という地名も一致する。夫婦の里子として育ち、求婚者が殺到するという展開も。
もはや疑いようがない。これは「寅子伝説」だ。私によみがえったのは、かつて寅子だった頃の記憶だ。
 寅子伝説は、埼玉県の蓮田市に伝わる民話だ。今でも供養塔が残っていることと、供養の必要があるほどの凄惨なオチは、かろうじて覚えている。幼い頃、祖母から聞いたことがあるからだ。蓮田は母の故郷だった。

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