『星空列車と夜』亀沢かおり(『銀河鉄道の夜』『よだかの星』)
怖いか、と彼は尋ねた。柔らかいテノールの響きが耳を撫でる。他に乗客は見当たらないが、なんとなく声を出すのも憚られて、返事の代わりと重ねた手に力を込めた。すっかり溶け合った体温が愛おしい。 ごとごと音を立て不規則に揺れる […]
『負け惜しみはもう言わない』渡辺鷹志(『きつねとぶどう』)
ある年老いた男が自宅のベッドの上でまさに今、一人さみしく死を迎えようとしている。 男は負け惜しみばかりを言ってきたこれまでの人生を振り返った。 高校時代、男は大学受験で第1志望の大学に落ちた。同じ学校から何名かが同 […]
『道草おばあちゃん』香久山ゆみ(『赤ずきん』)
ずいぶん遠回りばかりの人生だった。 「志望校は?」 「A校に行きたいと思っているんですけど……」 「うーん……、B校にした方が安全だと思うよ」 「そうですか。……ならB校にします」 あっさりと志望校を変えた私に、担任 […]
『奪うこと、失うこと』吉田猫(『ジャックと豆の木』)
塗装用スプレーでマネキン人形を一体仕上げた古株のやっさんが防塵マスクを顎までおろすと、今夜うちに来るか、と俺を見て言った。 俺はこのマネキン工場に入ったばかりの見習いだ。ちょうど二か月前、仕事も見つからず競馬でも全部 […]
『逆立ち、たったそれだけのことが』もりまりこ(『双子の星』)
なにげなく、カーテンを開くと、夜の空をすっと下降する放物線に似た曲線が光を伴いながら落ちてゆく。気がつくと、それは双子座流星群のなかのひとつの流れ星だった。スギナが硝子越しに見えるそれを確認したとき、ちいさくあっと息を […]
『ミナコさんの思い出』明里燈(『人魚姫』)
ミナコさんはそのときも真っ赤なマニキュアをしていた。 黒くて薄いストッキングの下から血豆のような鮮やかなペディキュアが透けて見えていた。 十四歳になったばかりの私と双子の弟の真冬がお祭り騒ぎの座敷の隅で退屈そうに座 […]
『レイン・ゲート』もりまりこ(『羅生門』)
屋根を突き破りそうな轟音が聞こえてきて、篠原は雨宿りすることにした。雨宿りをどこかの店先でしようかと思いながら。した後なにか、すべての煩わしいものから解放されているというわけでもないから、別に雨宿りなんてどうでもいいの […]
『あるく姿は』間詰ちひろ(『源氏物語』第九帖「葵」)
「お婆ちゃんのこと、お願いね」 ちらりと目配せをする母の明子に向かって、夕奈は「大丈夫だよ」とわざと明るい返事をした。 「せっかく夫婦水入らずの旅行なんだから、楽しんできて。お土産、よろしく!」夕奈の言葉に母はそうねと […]
『なんともまぁ狭き世界で』太田純平(『如何なる星の下に』高見順)
彼女は座席の端から二番目に座っていて、電車の扉が開くとすぐに目が合った。近くへ行って「あけおめ」なんて会話を二、三すると、吊り革に掴まっていたおばさんが横にスッと退いてくれた。おばさんに会釈をして彼女の前に立つと、ウエ […]
『呼ぶ女』中山喬章(『オオカミ少年』)
このところ毎日のように引っ越し業者がやって来る。 特に引っ越しのシーズンでもないのに、一日に五回やって来ることもあった。 向かう先は、決まって五〇九号室だ。 どうにもこの五〇九号室の住人、佐倉香は人を呼ぶのが好き […]
『光と泡』小山ラム子(『人魚姫』)
「じゃあそれでいこう! 姫歌(ひめか)もそれでいい?」 まるで小さな子を見ているかのような穏やかな笑みを浮かべた友人に、姫歌は大げさなくらい何度も首を縦に振っていた。 教室を出て階段を下りてから渡り廊下を歩く。楽器の […]
『未完』ノリ・ケンゾウ(『猿面冠者』太宰治)
さて、人々を唸らせるような大傑作というものを、オサムも書いてみたいと思っている。え? 何を書くのか? そんなもん、小説に決まっているだろう。 奇しくもオサムは、文豪・太宰治と同じ名を持ち、小説家を志している。しかしオ […]
『決闘の予言』ノリ・ケンゾウ(『逆行』太宰治)
馴染みのバー「シゲ」の常連が集まって行われる新年会で、オサムは予言を受ける。あなたは決闘をすることになると言われる。しかも勝ち目はほとんどない、というか、それは言葉を濁してあるだけで、つまり間違いなく負けるのだという。 […]
『スクールライフ・イズ・ノットグッド』ノリ・ケンゾウ(『道化の華』太宰治)
「オサム~! 飛田くんと小菅くんが遊びに来てくれたわよ」 母親に声をかけられ、気怠そうに体を起こしたオサムが呟く。 「なんだよ、別に来なくたっていいのに」 オサムが学校を休み出してから、もう二週間が経っていた。 ドア […]
『俺は卑怯者』渡辺鷹志(『桃太郎』)
「鬼よ、すまなかった。俺は卑怯者だ」 俺は鬼の墓の前で手を合わせた。今日は鬼の命日だ。 俺の名は桃太郎。桃から生まれ、鬼を退治して英雄になった男……ということになっている。 「鬼を退治した英雄・桃太郎」 俺の住む村 […]
『ともしび少女』香久山ゆみ(『マッチ売りの少女』)
ある日、マッチ売りの少女が消えた――。きっかけは、冬の日のとある街角だった。 「マッチはいかがですか? マッチはいりませんか?」 寒い冬の夜、街頭に立つ一人の少女。貧しい家を支えるために、マッチを売っている。売れない […]
『運べ、死体』永佑輔(『走れ、メロス』太宰治 、『粗忽長屋』落語、『耳なし芳一の話』小泉八雲)
「ゴールデンウィークにもかかわらず、今日の関東は真夏日で……」 今朝もまた、熊沢は点けっぱなしのテレビから流れる天気予報で目を覚ます。右足だけをベッドから下ろすと、柔らかい感触が。何だ、とフロアを見やる。 男がうつ伏 […]
『墓じまい』鹿目勘六(『野菊の墓』)
佐藤次郎。戦争の終わった二年後に生まれた、団塊の世代である。 彼は、古希祝賀会に出席するため故郷の高等学校を訪れた。学校は、正面玄関のバルコニーに昔の威厳を留めているが、その他は新しい建物になっている。 次郎が母校 […]
『間抜けなのはだれ?』小山ラム子(『裸の王様』)
「お父さん、お疲れ様。お弁当持ってきたよ」 「おお、マミ! ありがとうな」 汗をふきながら私の方に歩いてきたお父さん。その手に持っているのは鉄のシャベルだ。 「わあ。大分掘れたね」 「そうだな。このくらいなら、一週間以 […]
『走れタカス』吉田猫(『走れメロス』)
周りは嫌なことばかりで二度目の騒ぎを起こした後は誰も何も言わなくなった。両親ですら好きにしなさいって言うから進路希望には「家事手伝い」って書いた。 外で大人と付き合って悪い噂をされた時だって、結局悲しい目に合っただけ […]
『眠り姫の末路』窪あゆみ(『眠れる森の美女』)
見えてきたのは、小さな丸太小屋だった。 霧がたちこめて視界が悪くなり、道がわからなくなってしまった。みすぼらしい小屋だが、誰か住んでいるのだろうか。ミシェルは小屋に近づきドアをノックした。 「はい、どなた」少ししわが […]
『名も知れない花』洗い熊Q(『名もなき草』)
名も知れない花が咲くことに人は想いを寄せるのだろうか。 まして名も知れない花がそこに咲くことに意味があると思うだろうか。 慎ましく群れ咲き乱れる花たちに、美しい以外に釣り合う言葉も思いつかない。 ただそこに咲くこ […]
『ホタルが見送る銀河鉄道』洗い熊Q(『銀河鉄道の夜』)
あの子はさも今し方に、いや今まさに目の前で起こっている様に、それを興奮しながら語るんだ。 あの子とは僕が七歳の時に、同い年だった従兄弟の女の子だ。 「あれはね。 火も出しながらモクモクと白い煙を吐いていたんだよ。 […]
『野生のヒト』霜月透子(『桃太郎』)
里からほど近い林の中、敵を追って走る。 「モモ、後ろっ!」 樹上からの私の声に、モモのしなやかな肢体が真横に飛んだ。勢い余って左膝と右手の指先が地面に触れるが、すぐさま体勢を立て直し、襲いくる敵に向かう。私は更に広い […]
『コール&レスポンス』もりまりこ(『眠れる森の美女』)
丸く切り取られたガラス窓の向こうの水がたゆたっている。時折、ひかりの屈折を放ちながら。 あっちの水は、甘いのか苦いのかよくわからないけれど、カエルがいた。水がそこで揺れているだけで、涼しさに触れているような気持ちにな […]
『白い影』和織(『影のない犯人』)
妹は、何かとても不服なことがあるとでもいうような顔で個室へ入ってきた。兄はそんな妹の顔を全く気にせず、笑顔を作った。それが、妹が自分といるときのスタンダードな表情だと認識しているからだ。 「悪いね忙しいのに。勝手に決め […]
『イナバ君』御崎光(『不思議の国のアリス』)
小学校5年生の頃、同じクラスにイナバ君という男の子がいた。「イナバ」は本名ではなくあだ名だ。本当の苗字は何だったか思い出せない。イナバ君は色白でちょっとぽっちゃりしていて、ある男子生徒が「因幡の白兎みたいだ。」と言った […]
『賢女たちの贈り物』町並知(『賢者の贈り物』)
「せーの、メリークリスマース!」 せーのと言いながらプレゼントを胸の前に持ち、メリークリスマースと言いながら相手に差し出す。タイミングもイントネーションも毎年同じだ。 早紀と舞は毎年12月25日に食事をして(24日は […]
『吉備団子フォーエバー』アキ・オオト(『桃太郎』)
(1) 「あっさりした味ね・・・何か物足りない」 桃香は手にした吉備団子を一口齧りそう漏らした。 「こ、れ、が、今の流行りです。若い子には好評ですよ」 たった今、工場でできたばかりの吉備団子の試食品を桃香の部屋に届け […]
『盗るが先か、死ぬが先か』霜月透子(『うさぎとかめ』)
空き巣に入ったら、女が自殺中だった。 俺は空き巣専門で、居空きはしない。だから、住人と鉢合わせになったら部屋を間違えたふりでもして即座に逃げるべきなのだが、俺の頭が情報処理に手間取ったせいで、ただぼんやりと玄関先に突 […]