ミナコさんはそのときも真っ赤なマニキュアをしていた。
黒くて薄いストッキングの下から血豆のような鮮やかなペディキュアが透けて見えていた。
十四歳になったばかりの私と双子の弟の真冬がお祭り騒ぎの座敷の隅で退屈そうに座っていると、ミナコさんがジュースを持ってきてくれた。通夜に色彩がないと気がついたのはそのときが初めてで、喪服と白菊のモノトーンの中でミナコさんの爪の赤だけが印象的だった。
何台かの扇風機が広い座敷の隅でうなだれた首を左右に振っていた。玄関のほうでは知らない大人たちが互いに両手と頭を何度も畳にくっつけて恭しい挨拶をし、それがすむとお酒を交わしながら大声で世間話をするのが聞こえた。
「ああいうときは、コノタビハゴシュウショウサマって言うんだよ」
と、真冬が私に耳打ちした。
亡くなったひいばあは百歳近かった。いわば大往生。けれど、ひいばあは、私たち姉弟にとっては見知らぬ遠い親戚でしかなかった。その証拠に真夏と真冬という私たちの名前は覚えられたためしがなかった。それはぼけのせいだったけれど、だからっていい気はしない。
「よくきてくれたわね、マナ、フユ」
ミナコさんは私たちをそれぞれこう呼ぶ。ミナコさんはかしこまって私たちの前に手を合わせてお辞儀をした。するとそれを待っていたかのように私の隣で真冬がわざとらしく額を地面にこすりつけた。
「コノタビハクロタビシロタビクロタビシロタビ」
私があきれて真冬をつつくとミナコさんは静かに笑った。真冬の挨拶は冠婚葬祭辞典からの引用だった。
「おばあちゃんは長生きしたから、お祭り騒ぎみたいでしょ。二人もかしこまらなくていいのよ。みんなに望まれて亡くなったようなものだから」
けれどそういった喪服姿のミナコさんは泣いているような笑い方をした。
私はプリーツスカートの下の正座を少し緩めた。ひざの後ろがじっとりと汗ばんでいた。真冬は扇風機の前に座り、喪服代わりの制服の開襟シャツのボタンをはずして風をいれていた。
ひいばあの家は開け放された二間続きの座敷のせいで恐ろしく広く見えた。いつもは暗くて陽のささない奥の間もそのときばかりは、まばゆい白菊で飾り立てられた祭壇のおかげで明るく見えた。座敷のあちこちで親戚の騒ぎ声がしていて、ミナコさんは親戚の間を縫ってお酒を注ぐのに大忙しだった。ひいばあの写真は生きていたときよりも高い位置からそんな様子を困った表情で見ているようだった。
「望まれて死んだ人と言うのはにぎやかな場所で一生を終わる」というミナコさんの言葉は本当かもしれないと、私はそんなふうに思った。