小説

『シャボン玉』伊藤円(童謡『シャボン玉』)

 車内アナウンスが鳴って、僕は鞄を閉めた。まだ停車もしていないのにドアの前を陣取った。車窓はすっかり田舎としか言いようがない程に変化して、地平線は見渡す限りが山稜で、空は障害物の一つもなく海のように広々と伸びていた。僕は長らくここで育った。ここで、青春の一時を育んだ。恋があった、挫折があった、奮起があった。しかし今は、それよりもずっと嬉しい思いが胸を焦がすのだった。

 車に乗って十分もしないうちに家に着いた。家に入ると早速飼い犬が飛びかかってきて、その後ろで飼い猫が足を揃えて僕をじっと見詰めていた。母は嬉しそうに僕にかける言葉を犬に代替させて、父はリビングから声だけを上げて、そんなものにはやはり、ぐっ、と懐かしさが込み上げて微笑が止まらなかったが、僕は、靴を脱ぐとリビングではなく隣の和室のドアに手をかけた。
「ジュンちゃん!」
 僕が挨拶をする前に祖母が言った。ベッドの上、上体を起こして動こうとしたのを見て、そうさせないよう直ぐ傍に駆け寄った。祖母は、前、引っ越しの時に見たよりも小さかった。ニットの帽子を被って、その下の顔は青白かった。ぶかぶかのパジャマを着て、袖から覗いた手首は枝のように細かった。迎えの車内で母に聞いた通り、元気ではあるそうだが、やはり、老いは着実に祖母を蝕んでいるようだった。それでもベッドサイドに設えられた小さなテレビには、テレビゲームの画面が映っていて、ふと微笑ましくなった。
「いや、久しぶりだね、どうだい、元気かい」
 念のため、僕はゆっくり、はっきりと言った。
「元気、元気、こんな毎日ゲームなんかしちゃって」
 しかし、祖母の耳は、そして口調もはっきりとしていて、僕はふと自分の行動を恥じた。が、祖母は別段何も気にしていないふうで、にこ、にこ、微笑んでいた。
 

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