小説

『シャボン玉』伊藤円(童謡『シャボン玉』)

ツギクルバナー

 電車に揺られながら考えるのは祖母のことばかりだった。晦日や盆ではない平日の昼、乗客は少なく、しん、と静寂が車内に満ちていた。がた、ごと、車輪の音は眠気を誘い、きら、きら、車窓に滑り込む光は瞼を閉ざさせる。一人、二人、と頭を、こく、こく、揺らし始め、ぷしゅう、とドアの開閉音に、はっ、と体勢を戻す……。しかし、僕だけはっきりと目覚めていた。住宅が減り木々が増えていく。土の匂いが空気に混ざっていく。そんな帰省に毎度の田舎じみていく景色を眺めながら、僕はそはそは、尻の位置を直してばかりいた。
 祖母が実家にやってきたのは半年前だった。祖母は母の姉の家で暮らしていたが、止む終えない事情で僕の実家に越すことになった。引っ越しの手伝いに駆り出されて対面した祖母は、昔合わせた姿とは違い、いやに小さかった。たった六畳半の部屋が、祖母と比較するとあまりに広く見えた。それでも、祖母は元気だった。昔と同じ、線香のような、畳のような、つん、と静かな匂いがした。「失礼しちゃうわね」、と口癖も同じだった。しかし祖母も懐かしかったのだろう、「大きくなって」などと祖父母に似つかわしい言葉を呟き、引っ越し準備を終えると、先に一人暮らしの家に帰る僕を小声で引き止め、幾らかの小遣いを手渡してくれた。そんな態度は些か慣れなかったが、僕は二つ返事で受け取ってしまった。あの祖母が所謂『おばあちゃん』らしいことをしてくれたのが新鮮だったし、何より、僕は、母子になってしまった姉家族の何とも言えない沈黙の表情に心痛くなりながら、祖母が実家に来てくれるというのが嬉しくて堪らなかった。
 僕にとって、祖母と過ごした幼少期は、忘れられない幸福な時間だった。
 

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