上田岳弘(うえだ・たかひろ)
1979年、兵庫県生まれ。早稲田大学法学部卒業。2013年、「太陽」で第四十五回新潮新人賞を受賞し、デビュー。2014年、「惑星」が第百五十二回芥川賞候補になる。2015年、本作で第二十八回三島由紀夫賞を受賞。著書に『太陽・惑星』がある。
『私の恋人』上田岳弘(新潮社 2015年6月30日)
旧石器時代の洞窟で、ナチスの収容所で、東京のアパートで、私は想う。この旅の果てに待つ私の恋人のことを――。アフリカで誕生した人類はやがて世界を埋め尽くし「偉大なる旅(グレートジャーニー)」一周目を終える。大航海時代を経て侵略戦争に明け暮れた二周目の旅。Windows95の登場とともに始まった三周目の旅の途上で、私は彼女に出会った。
─新刊『私の恋人』拝読させていただきました。まずは物語の語り手について質問させてください。この作品は、クロマニョン人、第二次世界大戦下のユダヤ人、現代の日本人という三人の“私たち”の視点で語られる物語です。前作の「太陽」、「惑星」もまた、「かつてトマス・フランクリンであった私」、「最終結論である私」という特徴的な語り手でした。別のインタビューではそれを、「一人称・神視点」と表現しておられましたが、このような視点はどうやって生まれたのでしょうか。
もともと僕がデビューに向けて書いていた2011〜12年頃、純文学のなかでいわゆる人称の問題、「一人称の限界をどう越えていくのか。」ということがホットなトピックでした。それで、どうしてみんなそういうことに挑戦するのかと考えた時に、これは僕の持論ですけど、純文学が取り組む課題というのは、なにがしか社会の今持っている課題、あるいは人類全体の課題とリンクしているのではないかと思ったんです。だから、じゃあ一人称の限界を超えるんだったら、そういった課題に食らいつくためにそうしよう、と突き詰めていきました。その結果として、「太陽」や「惑星」のように全てを知る者が語ったり、『私の恋人』のように過去を全て記憶していて時間軸を飛び越えるという視点を試してみたというのが率直なところですね。
─高橋陽平による「行き止まりの人類の旅」の分類がとても興味深かったです。人類が地球上に伝播し、現生人類に絞り込まれていくまでの過程が一周目、二周目はイデオロギー間の闘争が第二次世界大戦の原爆投下によって決着するまで、そして、IT技術の進歩によって生まれる人工知能に思考や感情に至るまで侵食され、全方向において優位に立たれるまでが三周目。“私たち”であるクロマニョン人、ハインリヒ・ケプラー、井上由祐はそれぞれの周期を生きていますが、人類の歴史をこの三つで区切った理由をお伺いできますでしょうか。
明確にプロットを立てて書いたものではありませんが、技術的、物理的な転換点を意識していたかもしれません。例えば一周目の、人類が地表全部に行き渡ったというのは物理的な話ですよね。まあ海を渡ったとすれば、技術的な到達があったと言うべきかもしれませんが。それで、二周目の終わりに原爆が落ちた。つまり、技術的には地球そのものを破壊できる程のものが実現したということです。そして、三周目の“彼ら”という存在も明確に技術的な転換点です。そういうテクニカルなトピックを拾っているんだと思います。
─その分け方は最初から決めていたのでしょうか。
書きながらですね。もともと序文に続いて、原爆が落とされたという事実から書き始めていまして、世界において同じくらいインパクトのあるメルクマールは何だろう、と考えを紡いでいきました。すでに技術的には、その気になれば個人の意思によって地球を滅ぼすことができるという状態にある。小学生のときに広島・長崎について学ぶ僕らは、以降頭のどこかに、原爆投下の衝撃がずっと残っているというのが普通なのかもしれません。「太陽」でも、最後の大錬金の起爆装置のスイッチは原爆から始まります。「惑星」では、オリンピックの花火と水爆の実験を重ね合わせて書いたりもしています。
─エピグラフで引用されている『宇宙戦争』のGoogle翻訳は不完全な日本語でしたが、それは現在が三周目の途中であることの象徴のように感じました。
その通りです。今はまだこの程度で、そこまで恐るるに足らないのかもしれないよ、と。でも逆に言うと、現状ここまでは来てしまっている。そういう物差しを最初に提示しておいたら面白いかなと思ったんです。“彼ら”は、今はまだこういうレベルだけど、今後、人間よりも精密な翻訳ができるようになってくるかもしれません。
─上田さんは別のインタビューで、「予知や予言が文学の果たすべき役割。純文学は、新しい物を提示する使命もあると思う。できなければ消化試合。いや、負けた気がする。」と語っておられました。上田さんが未来を描く上で、拠り所となるものを教えてください。
やはり現在がベースになっていると思います。今あるものがどうであるのかを見つめて、これまでどう動いてきたのかという加速度や方向性を観察したり、今後どうなっていくのかを考えたりします。逆に言うと、今どうなのかということを把握し表現するために過去や未来を書いているんですよね。それでもし、読者にリアリティを感じてもらえない荒唐無稽な作品になってしまったとしたら、それは作家の視点があまり良くない、認識の仕方が間違っているということだと思います。
─捕鯨反対運動に参加するキャロライン・ホプキンスが語った「ロブスターより鶏かわいそう、鶏より豚かわいそう、豚より鯨かわいそう、鯨よりイノウエかわいそう。ゆっくり広げていって、かわいそう広げていくの」という言葉が印象的でした。「太陽」では ドンゴ・ディオムが「自分たち」の範囲について、「人間というカテゴリで絞るなら、(中略)余裕があれば俺を含めた黒人も「自分たち」という範疇に入れてもらえるというものだ。しかし、余裕がなくなれば「自分たち」の範囲はどんどん狭まっていき、自分の人種、自分の国、自分の家族、自分、という具合に限定されるのではないか?」と同じ意味のことを語っています。この考え方について詳しくお聞かせください。
僕は、「自分が自分である」ということが偶然のような気がしているんです。たまたま先進国に生まれ、たまたま男性で、たまたま五体満足で、という全てが「まぐれ」だと感じます。そうすると、カテゴライズというのは居心地が悪く、すごく苦手なものに感じられます。そういう僕の違和感は身勝手なものかもしれませんが、皆さんにも味わってほしくて、そのような表現をしたのではないかと思いますね。
─自分は偶然、今の自分であるということですね。
区別や差別というものは、自分が他者より少しでも優位に立つため、本来の生存欲求に由来するのではないかとは思うんですけど、自分がそのどちら側で生まれてくるのかというのは、たまたまですよね。もしかしたら迫害される側に生まれたかもしれないし、もっと言うと人間でない動物に生まれた可能性だってあります。そう考えたときに、何かで区別して、より優位な方はこちら側だと主張しようとしても、全体で見ると自分にとっても都合が悪くなってしまうんですよね。
─なるほど。
それで僕の精神衛生上のことですが、安楽な境遇に生まれたのであれば、その有利な立場を使って何か義務を果たすというか、難しいことに挑戦することが救いになるように思うんです。そのために僕は純文学というなんでも扱える、ノンカテゴリ、無差別級な感じがする表現を好んでいます。そして僕の作品は、SF的であると言われることもありつつ、純文学として受け止められている。やっぱりカテゴライズってわかんないなと(笑)。ともかく、自分が好き放題に書いたものを読んでいただけ、好き勝手に受け取っていただけるのは、非常に幸せなことだと思っています。
─上田さんの作品の、「グジャラート指数」、「基礎パラメータ」など数値や分類を使った明快な論理は、まるで、論文を読んでいるかのように感じる時があります。そのあたりは何か意識されていることはありますでしょうか。
一般に、文学は論文に比べて、割り切れないものをそのまま描いてよいとされていると思うんですけど、それなら逆に、どこまで割り切れるのかを試していきたいと思って。心情的な違和感を強引に割っていく内に、学術的に証明されていることや、数値への置き換えが関連していきます。それでも割り切れないで残るものは何なんだろうと。僕にとっては、その割り切れない固いものが現時点の文学なのかなと思うんです。
─「太陽」に出てくる“高レベルの幸福や不幸に対しての許容度を表す数値”というグジャラート指数は、本当に存在するものだと信じてしまいました。
そう思っていただけたのは、おそらく腑に落ちたからだと思います。なんかありそうだなと。そういうリアリティが達成できたのは嬉しいですね。グジャラート指数のような指標は、もちろん学術的には証明されていないでしょうけど、そういうものを勝手に作っていいのが小説ですから。「惑星」でも、“法整備レベルと技術レベルがAのカテゴライズの国に関しては、中央集権タイプの国家で人口上限が1億2千万人、連邦制タイプで3億6千万人”という嘘をついています(笑)。学術的な証明はできないだろうけど、真実っぽいものを作るのが好きなんです。そこにリアリティを感じられる時は書いていて本当楽しいですね。それに対して、読んでくださった方が色々な考えや知識を返してくださるのは、作家としてありがたいです。
─話題が変わりますが、私たちブックショートは、「おとぎ話や昔話、民話、小説などをもとに創作したショートストーリー(1,000〜10,000文字)」を公募する企画です。
上田さんの著書『惑星』は、別のインタビューでお答えになっていたように、「惑星ソラリス自体の内面描写」と言える作品ですし、『私の恋人』にも『宇宙戦争』のGoogle翻訳されたテキストが登場します。先行する作品をもとに新しい作品を作り出すことについてのお考えを教えてください。
僕にとって、先行テキストを使わせてもらうということは結構緊張することなんですよね。その内側にあるものしか書けていないとしたら、引用させてもらう意味がありませんから。例えばH・Gウェルズやスタニスワフ・レムの作品を使わせてもらうのであれば、どの方向でもいいから1ミリでもはみ出すということを目指すべきだと思っています。『宇宙戦争』では火星人が突然地球に攻めてきましたが、今書くなら内側から人間を超えにくるAI、人類はその台頭を志向しているかもしれないということだったり、『ソラリス』であれば、それが遠い異星に最初からあるのではなく、この地球で出来ていく過程を書く、ということだったり。それはアレンジなのかもしれないですけど、そういう風に少しでもどの方向でもいいから動かすということをやりたいし、やるべきなのではないかなと思います。
─単なる置き換えではなく、そこから新しいものを生み出すことが必要なんですね。
あくまでも引用としての話なので、ブックショートの趣旨には合わないかもしれないんですけど、順序としては自分の表現に必要だからどこかから引っ張ってくるという方が正しいと思うんですよね。僕は『宇宙戦争』をそれまで読んだことがありませんでしたが、必要だから引っ張ってきました。そういうやり方がならば、単なる置き換えにはならないのかなと思います。
─今のお話と真逆になるかもしれませんが、特定の先行作品ありきで書きたいという気持ちはありますか?
具体的に書こうと思っている作品があります。それが何なのか今はまだ言えないですね。かなり先の話になると思いますが、そういう作品の構想はあります。
─それは楽しみです。では最後に、ブックショートに応募しようと思っている方、小説家を目指している方にアドバイスをいただけますでしょうか。
先行する作品をよく読み、その仕組みを理解した上で、自分の気持ちや思いを込めるべきだと思います。気持ちだけで作品を書くのは難しいので、まず技術的な部分や演出法をよく学ぶこと。それで、最後に自分の気持ちを入れるというステップでやるとうまくいくのではないでしょうか。
─ありがとうございました。
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*インタビューリスト*
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