阿刀田高(あとうだ・たかし)
1935年、東京生まれ。早稲田大学文学部卒。国立国会図書館に勤務しながら執筆活動を続け、78年『冷蔵庫より愛をこめて』でデビュー。79年『来訪者』で日本推理作家協会賞、短編集『ナポレオン狂』で直木賞、95年『新トロイア物語』で吉川英治文学賞を受賞。
03年紫綬褒章受章。著書に『佐保姫伝説』『箱の中』『ストーリーの迷宮』『ギリシア神話を知っていますか』『源氏物語を知っていますか』など多数。
『アンブラッセ』阿刀田高(文藝春秋 2015年1月9日)
身体と心が記憶する、快哉。
いまなお疼く思いに身を焦がしながら
男は、そして女は生きる。
大人の渇きを潤す、傑作短篇集。
─新刊『アンブラッセ』は、読後、温かく切ない気持ちになる作品から、紀行文のような小説、“奇妙な味”のする短編など、様々なテイストを楽しむことができる短編集でした。まずは今回の作品集に全体を通してのテーマがあれば教えて下さい。
全体を通してのテーマはありません。これまでに初めからはっきりとテーマを決めた連作短編集、例えば、各話必ず日本の都市が舞台になっているものや、女性の小道具を登場させる作品なども書いていますが、今回はそうではありません。テーマを決めない方が面白いアイデアを思いつくこともあるんですよね。
─『アンブラッセ』には十篇が収録されています。作品の順番はどんな基準で決めているのでしょうか。
二番打者最強説がジョーク混りの私の持論です。作品集の二話目に自分が一番良いと思う作品を持ってきて、二番目にいい短編をトップにします。そして、三番目にいいと思ったものを三話目に持ってくる。四番目にいいと思ったものは最後。残りはその時の流れで決めています。
まず一話目はとても大切です。書評家だって第一話だけしか読まない人もいるくらいですから。だけど、第一話だけ良くて二話目で落ちると、予想通り、なんて思われるだろうと(笑)。だから、第一話がNo.2、次にNo.1を出します。それだけで心証が相当違うわけですよ。三話目も三番目にいい作品を置いておきますから、そこでもういい流れができます。それで、最後は締めとして No.4の作品。短編連作集はそういう順番がいいというのが私の提案です。
─かなり計算されているんですね。No.3の三話目、『第三の道』は、“徐福伝説”を思わせるような男が、仙人を訪ね不老不死について教えてもらうというエピソードが登場します。『サン・ジェルマン伯爵考』(『ナポレオン狂』に収録)でも書かれていたように、不老不死や生きることの意味について考えさせられました。
よくぞ『サン・ジェルマン伯爵考』がここで出てきましたね。
『第三の道』で書いたのは、私の心の中に一貫してあるモチーフ、つまり小説を構成する中核となる考えです。
私は昔、鮭の産卵というものが非常に気がかりでした。どうして鮭は子供を産むためにあんなに必死に川に帰ってくるのだろうか、あの執念は何なんだろう、と。それであるとき、あれは子孫を残すのではなく自分の命をつなぐ営みなんだ、と気づいたんです。自分の命をつなぐためだと考えたら人間だってどんな努力もしますよね。
その考えは『サン・ジェルマン伯爵考』(1978年)を書いていたときも頭のどこかには当然あったろうと思います。ただあの作品では、サン・ジェルマン伯爵という奇怪な人物がうまく利用できたものですから鮭は登場していません。でも、その考えはずっと頭に残っていたので、今作で鮭の産卵と不老不死のお話を書きました。
─二話目、No.1である『めぐりあいて』は、小倉百人一首の紫式部の歌「めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半の月かな」を題材にした短編でした。とても面白い視点で書かれた小説だと思います。
この歌の解説には、“ある月の夜に童友達に会ったけど話もできずに別れてしまった。”という意味のことが、どの本にも書いてあります。
けれども、私はこの歌を読んだとき、どう考えても恋の歌だよな、と思ったわけです。「めぐりあいて」という言葉自体、恋を連想させますよね。紫式部の研究家は誰もそんなこと言わないだろうけど、私は、実は紫式部が嘘をついているんじゃないかと考え、それがこの小説のアイデアになりました。
きっとこの歌で詠まれたのは、彼女にとって切実な愛。お月様が隠れたからではなくて、会ったとしてももう声を掛けることができない男女関係。だけど非常に懐かしい、そういう思いで一瞬を過ごしたことを詠んだ歌だろうと思いました。けれども、周りの人からモテると思われていなかった紫式部が、こんな歌を詠んで他人にとやかく言われることは嫌うだろうな、という気がしたんです。それで、その想像通りに書いたら面白いんじゃないかな、とそれにふさわしい主人公の物語を書きました。
誰もが解説通り幼友達と会った歌だと信じていますからね。もしかしたら新古今和歌集の編者である藤原定家さえも騙されたのかもしれない。恋愛の歌ではなく、雑歌に分類していますからね。
─「めぐりあいて」の作中に「人は無から…何もないところから新しいものを生み出すことはできない。だから(中略)古典をまねて新しいものを創り出す。それとはべつに、古典と正反対のものを考えて新しいものを作り出したりする。」という台詞もあります。まさに、私たちブックショートの公募テーマは「古典をまねて新しいものを創り出す。」です。過去の作品を題材にした作品の持つ意味について阿刀田先生のお考えをお聞かせください。
それは確立された創作の方法の一つだと思っています。そのことを考えるうえで押さえておくべき歴史があります。
かつてフランスに「三・統一の法則」というものがありました。ルイ十四世の時代、コルネイユ、モリエール、ラシーヌという素晴らしい劇作家が立て続けに登場したフランス宮廷文学全盛期に、金科玉条とされた三つの法則です。
一つ目は、舞台で演じられるのが二十四時間以内の出来事であること。二つ目が、一か所で演じられるものであること。三つ目は、一つの筋でまとまっているものであること。
一つ目の二十四時間以内というのは非常に簡単で、過去の出来事をいくら語ってもいいのだけれども、幕が開いてから終わるまでは二十四時間以内の出来事であるということ。
二つ目、一か所というのは、宮廷のある一部屋が舞台ならその部屋で始まってそこで終わるという、基本的には一つの場所だけで演じる、という考え方。
最後の、ストーリーが一つであるというのは、ちょうど渦が巻くように一つのところに収斂していくというストーリーのまとまりを言っているわけですね。
フランス人は形式美が好きでしたから、特にラシーヌという人はこの法則に則って非常にいい芝居を作りました。
─ラシーヌの作品は『アンドロマック』や『フェードル』が有名ですね。
けれども、それから百五十年程経っていろいろな不満が出てきました。特に不満を強く唱えたのがヴィクトル・ユーゴー。彼は、三・統一の法則は窮屈でかなわん、と『エルナニ』という芝居で反旗を翻しました。法則に従った芝居は場所が一つですから、いつも必ず腰元が走ってきて何か言うんです、例えば、王女様があそこで自殺しました、とか。ユーゴーは、その舞台裏で起こっている大事な場面を見せてくれよ、と思ったわけですね。二つ目の時間だって超えた方がいい場合がいくらでもあるし、ストーリーだってそう。それで、ユーゴーは三・統一の法則を否定した演劇を書いて人気を集め、その後のフランス演劇において三・統一の法則は過去のものになりました。
つまり17世紀に三・統一の法則というギリシャ劇をさらに洗練した凛々しいフランス人好みの演劇が作れる大法則がまず出来て、その後19世紀にそれとは真逆の、法則を全部破るという法則が出てきてフランス演劇の黄金時代が到来したという歴史があったんですね。
さらに、二つの対立とは全く次元の違うアンチテアトルという動きも出てきました。サミュエル・ベケットやイヨネスコの芝居は、筋もなければ何を言いたいのかもよくわからない。言われてみれば二十四時間以内の気がするけども、別に二十四時間以内であることに意味があるとも思えない。つまり、これまで二つの法則がしのぎを削っていた対立とは次元の違うものを考えるということが、文学史上にちゃんと存在しているわけですよね。
私はこのプロセスを非常に面白いと思いました。金科玉条と言われた法則をじっと守っていい作品を作っていくという方法と、それとは正反対のものを作っていくという方法、さらにその次元をすっとんで超えてしまうという方法があるのではないかと考えています。
─三種類の方法があるんですね。
それで実は、三・統一の法則というのは短編小説を書くのに非常に役立つのです。短編小説は、二十四時間以内、舞台は一か所とは言わずともそんなにあちこちに飛ばない、そして、ストーリーは渦が巻くように一つものに収斂していく、という作品が出来上がったときの姿がいい。私はどこかでそれを意識しながら書いていますね。古典を真似るということにはそういうやり方があると思います。
─法則を真似るというやり方があるんですね。
短編小説については、別のインタビューで阿刀田先生は、“枝の切り口から年輪を感じさせるもの”だとおっしゃっていましたね。
はい。短編小説は切り口が大事です。
例えば、松本清張さんの短編小説はだいたい80枚程度の作品が多いんです。一方、私は40枚程度。私と松本さんは似たアイデアで書いている作品がいくつかありますが、極端に言えば、同じテーマ、トリックで書いても私は40枚、松本さんは80枚になります。なぜだろうと考えたときに、松本さんは、登場人物や事件を背景から抉るように書くんですね。この男がこういう性格になったのは、小学生の時にこういう出来事があったからとか、ここでこんな人間に出会ったからとか。
私は違って、ストーリーを展開するのに必要でないと思ったら削るんです。この設定の違いが40枚と80枚の差になってくるんでしょうね。
─短編小説を書く際のアイデアについても教えていただけますでしょうか。
アイデアは柔道と同じで、一本、技あり、有効、教育的指導などがあると思っています。一本というのは、めったにないですが本当にそれ一本で小説が書けるようなアイデアです。次に、技あり。これは二つほど関係するアイデアが上手く結びついてくれると小説になります。それからさらに小さな、有効くらいのアイデアですね。小説の筋そのものには関係ないけど、会話などで使うと読者がちょっと喜んでくれるというようなもの。そんな使い方もありますね。
─『知的創造の作法』(新潮新書)のなかでアイデアについて、「混沌を整然と並べておくことがよいのかもしれない。」という考え方を紹介されていました。非常に興味深かったです。
アイデアは、必要なときに出てきてくれないと駄目なんです。だからある程度、ダイジェスト、自分なりの整理をしておくことが必要ですね。それから、下らないアイデアでもノートに書いてみて、終始見ていることです。そうすると、こんなところにこんなアイデアが、となります。自分が以前考えたことですから自分の頭に馴染みやすいんですよね。
小説は、来月号に一話書いてください、と言われるのがつらいんです。つまり、年中考えてないとアイデアは出てこないんですよ。しばらく考えていないときに急に言われても、本当に一から全部やり直さなきゃいけないので難しい。だから今回の作品を書き始めた時だって、二年くらい短編小説をあまり書いていなかったものですからどう書くんだったかな、と相当苦労しました。
─阿刀田先生でさえ、時間が空くと感覚を取り戻すのが大変なんですね。
なかなか大変ですね。だから今回の連載も途中からようやく調子が出てきました。初めのうちはなかなかペンが滑ってくれないんです。手のひらで撫でるとザラっとくるような小説ばかり書いてしまって。上手くいくときはスーっといくんですけどね。
─そう考えると新人は大変ですね。ベストのものを書こうと思うと、なかなか最後まで書き切れない人も多いようです。
書き始めたら最後まで必ず書き切らないといけないですね。書き終わっても手直しは山ほどしなきゃだめなんですから。最後まで書くことを怠っている人は、書き手には絶対になれないと言っていいくらいかもしれません。
私が書くときは、まず初めに最後の一行の文章が決まっていることが多いような気がします。それによって必然的に書き出しの第一行目が決まってくる。短編小説はそういう作品だと思っています。
─最後に、ブックショートに応募しようと思っている方にメッセージいただけますでしょうか。
今は小説家として生きていくことが難しい時代です。だから、ものすごく苦労してでもどうぞやりなさい、とはなかなか言いにくいですね。
ただ私は近頃、人間はストーリーが好きなんだ、ということを痛切に感じています。何故だか知らないけれど、人間は太古からどの民族も物語が好きなんです。そしてそれは、小説だけに結集されるのではなくて、ありとあらゆる文化的なものの中に一つの力となって関わっています。例えば、ミュージカルやオペラは、ストーリーなんて無くてもいいじゃないかと思うんだけど、やっぱりストーリーに沿って歌や踊りが出てこないと、お客さんは楽しんでくれないんですよ。劇画も当然ストーリーを必要としていますし、歌謡曲の歌詞にも一連のストーリーがあります。落語や小噺がストーリーであることは間違いない。さらには、社長の演説にもストーリーがあった方がいい。整然たる理屈なんかいくら述べても朝礼の話には向きません。とにかく私たちはいろいろなことにおいてストーリーが好きなんです。
それで、ストーリーが小説にだけ直結すると考える時代はもう終わりました。漫画をやろうと思う人も、あるいは音楽をやろう、歌詞を書こうとする人も、様々なところでストーリーが私たちの脳みそを活性化するし、相手に訴える手段としての意味を持っています。決められた長さのなかで、起承転結がある一つのまとまったストーリーを作るということは、これから自分が他のいろいろなクリエーションをやっていくときにもきっと役立つに違いないと思うし、私はそれを役立ててきたような気がします。
─ありがとうございました。
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