藤野可織(フジノ カオリ)
1980年京都市生まれ。同志社大学大学院美学および芸術学専攻博士課程前期修了。2006年「いやしい鳥」で文學界新人賞、2013年「爪と目」で第149回芥川龍之介賞受賞。著書に『いやしい鳥』『パトロネ』『爪と目』『おはなしして子ちゃん』『ファイナルガール』がある。
『ドレス』藤野可織(河出書房新社 2017年11月14日)
愛しかったはずの誰かや、確かな記憶を失い、
見知らぬ場所にやって来た、彼女たちの物語。
「さよなら? 私とあなたはひとつになるのに?」
ドローンに魅惑された私、メラニンに憑かれた女、まとわりつく見知らぬ犬、何かで覆われていく彼女……最愛の人や確かな記憶を失い、違う場所にきてしまった人々。全8編収録の短編集。
─新刊『ドレス』とても楽しく拝読させていただきました。この短編集には8編が収録されていますが、通底するテーマのようなものはありましたか?
基本的には、そのときどきに興味のあることや考えていることを書いているんですけど、この本には、「自分が「女性」であるということを小説の材料として使おう」と意識的に考え始めた頃に書いた作品が収録されているような気がします。その前までは、小説を書くとき、自分はただ書く作業をするための機械であって、男でも女でもないと思い込んでいたんです。現実に私は女性として生まれ、育ってきているわけですから、小説を書くときにも当然、女性であるという前提で得た情報を使っていたわけですけど、それを認めていなかった。
─自分が女性であることをどこかで受け入れていないかった。
そういう感覚は、私のように性自認や性的嗜好がいわゆる「普通の女性」と言われる形であることに違和感がないまま育ってきた女性にとっても珍しくないと思うんです。だけど、「爪と目」(新潮社 2013年)で、「近眼である」という私自身のアイデンティティを材料にして書いたときに、自分として手応えを感じて考えが変わりました。それまで重視していなかった「女性である」ということも、自分が生まれながらに持っている数少ない材料の一つだから、小説に使えるし、使うべきだって。
─いまのお話を伺ってすぐに浮かんだ収録作品は、二作目の「マイ・ハート・イズ・ユアーズ」でした。
「マイ・ハート・イズ・ユアーズ」は、私自身が子どもを持とうかどうか悩んでいた時期に書いた小説です。自分としては、子供がすごく欲しいとか、逆に、子供なんて絶対にいらないといった強い意志は持っていないのですが、出産の体力的な大変さを考えると、私にはちょっと無理かなと。それで、いったいどういう身体的条件だったら自分が子供を持つことができるのかと考えていたときに、チョウチンアンコウの生態を思い出して、ここでそのまま使ったんです。私たちがイメージするチョウチンアンコウって実は雌で、雄は雌より極端に小さいんです。雄は、雌の体に張り付いて同化していって、雌が産卵したとき、それに精子をかけるだけの外部の内臓のようになる。私は、それいいなと思って。もし人間もそういう生態だったら、私も子供が産めるなと考えて書いた作品です。
─表題作の「ドレス」も男女の話でしたね。甲冑の場面で笑ってしまいましたが、こちらはどのような着想から生まれたのでしょうか。
ずっと前から、「男性が可愛いと思う服装」と「女性が素敵だなと思う服装」には乖離があるなと感じていたんです。うちの夫は色々な意味でとても一般的な男性なので、私はよくそれを小説の材料にしているんですけど(笑)、学生時代からファッションについてお互いの好みをまったく理解し合えなくて。テレビを観て、すてきだなと感じる人も私とぜんぜん違いますし……「ドレス」は、そうした男女の感覚の違いの面白さを盛り込んで書いた作品です。
それからやはり、ファッションが好きな人は、たとえそれが他人からおかしいだとか変だとか言われたとしても、自分の思うままを貫き通すだけの楽しみを感じていますよね。それを書いてみたら私も気持ちいいのではないかなと思ったところもあります。
─ドレスのアクセサリーにはまったるりは相当楽しそうでしたもんね。
ええ。それから、書き上げてから気づいたのですが、「ドレス」は自分にとって初めての恋愛小説になったかもしれません。主人公の男性はもともと、るりの社会的評価や容姿のレベルが自分に見合っているからという結構嫌な考え方で、彼女を交際相手として選んでいました。けれども最後に、そういう基準からするとどう考えても釣り合わなくなったのに彼は、別れるという選択をしなかったわけです。
もともと私はどんな小説でも、否定的な意味ではなくて、「人と人は基本的にわかり合えないものだ」という前提で書いているんですけど、とくに「ドレス」では、わかりあえないことを克服しようとするのではなくて、お互いにわかり合えないまま、それ許容して一緒にいられる男女関係が書けたような気がします。
─素敵な関係だと思いました。そして、「わかりあえない」といえば、一作目「テキサス、オクラホマ」で、人間と機械がわかりあえないですよね。
たとえば、「人間が、ロボットやAIとわかり合う」という主題は、映画でよくありますよね。それはそれですごく面白いんですけど、私は、人間に近づくことが機械にとって幸せかどうかわからないし、別に人間なんて関係なく機械は機械で自分の好きなように楽しくやればいいのになってよく思うので(笑)。そういうことを書いてみたかったんです。
─骨格標本の場面がSFのようでもあり、美しかったです。
ありがとうございます。そこは、単なる私の好みというか……骨格標本は本当に大好きですし、ドローンもいつも可愛いなと思って見ているので書いてみたかっただけかもしれません(笑)。
─「テキサス、オクラホマ」の語り手は<私たち>ですが、<私たち>とはどのような存在なのでしょうか? はじめから語り手を<私たち>にすると決めていましたか?
私も終盤で出てくるまでは、この小説の語り手が「私たち」であるということはわかっていませんでした。「テキサス、オクラホマ」の場合、「私たち」が効果的だと考えたから採用したわけですけど、私にとって「私たち」は、本当はすべての小説で使いたいくらい書きやすい人称なので、使いすぎないように少し気をつけているところがあるんです。
─どういうことでしょう?
私は、小説を書くときはいつも、何の関わりもない観察者である自分が、目の前で起こっている出来事を単に記録しているだけだと思い込むようにしています。小説家が一人称で「私」と書いたとき、その両者は近い存在だと思われることが多いかもしれないですけど、私の場合は、「私」が自分自身に近いと思ったことはありません。一人称で書かれた「私」という人物は物語の渦中にいるので、小説家としての私自身の立ち位置とは全く別で。外部からものごとを見ているだけの「私たち」や「我々」といった存在こそ、私自身に非常に近いんです。
─人称に近い話でいうと、「息子」のように、登場人物に名前が与えられない物語と、与えられるお話では、どのような違いがあるのでしょうか?
私は小説を、特定の誰かに起こったとても変わった話としてではなくて、匿名のたくさんの人のこととして書いているので、本当はすべての小説で名前をつけたくないんです。便宜上、つけないとややこしくなってしまうときには、私の中だけのささやかなルールに従って一生懸命考えますけど、つけずに終われそうなときにはつけません。
─物語の中の時間の動きもとても面白いと思いました。たとえば、「愛犬」の最初と最後の場面がつながる構成は、どのように組み立てたのでしょうか?
毎回事前に、「こういう感じに着地する」というイメージをなんとなくは決めているんですけど、いつもその通りにいくわけではありません。それより前に終わるべきだと思ったら終わりますし、もっと続くべきだと思ったら続きますし、思っていたのと全然違う話になることもあります。
「愛犬」のときは、最初になんとなく、7行目以降からの中身の部分を考えていました。でも、実際に書き始めてみたら、冒頭はそうではなくて、回想の6行からはじまったので、その瞬間にこの形になることは決まったと思います。
─それは書き始めてからわかったのですか?
そうなんです。本当は、書き始めるまでに全部頭の中で一字一句きっちり決めて、その通りに書きたいんですけど、そんなことは絶対にできないですから(笑)。やっぱり実際に書きはじめてみないと、話はぜんぜん決まらないし、進みません。
─面白いですね。あと、藤野さんの作品のなかには、非常に映像的な描写があると感じますが、小説を書かれる際、頭の中で映像は見えているのでしょうか?
一場面一場面がきっちり映像が浮かぶということはないんですけど、いくつかの印象的な場面は、静止画や短い映像で浮かぶことが多いです。その光景をなんとか文章で書きたくて頑張っているのかもしれません。今回の作品だと、甲冑の場面(「ドレス」)だったり、保養所で骨がいっぱい集まっているところ(「テキサス、オクラホマ」)だったり……あらゆる作品においてそういうシーンがあるような気がします。
─話題は変わりますが、私たちブックショートは、「おとぎ話や昔話、民話、小説などをもとに創作したショートストーリー」を公募する企画です。特定の先行作品をもとに新しい作品を書くことについて、お考えがあれば教えてください。
いまとは違う価値観で書かれた昔の作品を現代に更新するというのは面白いのではないかなと思います。私も一度そういう手法で書いたことがありまして。「群像」の企画で、色々な作家が『御伽草子』のなかから一作品選んで、それをもとに好きなように短編を書いて、絵本にするというものです。私が選んだのは、「木幡狐」でしたが、このお話はご存知ですか?
─すみません、不勉強で……
原作は人間と人間に化けた狐の悲しい恋の物語です。木幡の山の中にある神社に住んでいた「きしゆ」という名前のとても美しい狐のお姫様が、乳母とともに人間に化け、山から下りて、美男子として有名な三位の中将と結婚します。きしゆは、そこでとても大切にされ、子供にも恵まれて幸せに暮らしていたんですけど、あるとき犬を飼わなければならなくなってしまうんです。狐は犬が怖いから、きしゆは泣く泣く夫と子どもの前から姿を消し、両親のいる故郷の山に帰る。その後、きしゆは出家して尼になりますが、夫と子供を愛する思いはいつまでも消えることはなく、また、夫と子供がきしゆを思う気持ちも途絶えることはありませんでした、というお話です。
私は最初、自分が単に悲恋の物語を書いたことがないから、この機会に悲恋に挑戦してみようかなと考えたんですけど、やっぱりだんだん腹が立ってきて……
─どうしてですか?
だって、せっかく素晴らしい能力を持っている狐が、どうして人間の世界の家族観、価値観に囚われて、悲しまなければいけないのかって。そんな才能を持った狐に生まれたのなら、もっと楽しく好きなように生きられると思ったんですよ。だからそういう話を書こうと。だから、結局、原作とはぜんぜんちがうものになりました。
─すぐに読んでみます。それでは最後に、小説家を志している方にメッセージいただけますでしょうか。
小説を書くこと以外で興味があることは全部やった方がいいと思います。勉強やスポーツでもなんでもいいんですけど、小説とは全然関係ないことでもそれは、絶対に小説を書くときの材料になって役に立ちます。材料は多ければ多いほどいいでしょう? 私は、それがすごく少ないから多い人が羨ましいですし、日々拾い集めているという感じですから。
─ありがとうございました。
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