古川日出男 ふるかわ・ひでお
1966年福島県郡山市生まれ。1998年に『13』で小説家デビュー。2002年『アラビアの夜の種族』で日本推理作家協会賞、日本SF大賞をダブル受賞。2006年 『LOVE』で三島由紀夫賞受賞。他の作品に『ベルカ、吠えないのか?』『馬たち よ、それでも光は無垢で』『ゴッドスター』『聖家族』『MUSIC』『ドッグマ ザー』『南無ロックンロール二十一部経』『冬眠する熊に添い寝してごらん』など。
『女たち三百人の裏切りの書』古川日出男(新潮社 2015/4/28)
死して百有余年、怨霊として甦り「本もの」の宇治十帖を語り始めた紫式部。一方、海賊たちは瀬戸内に跋扈し、蝦夷の末裔は孤島で殺人術を研き、奥州の武士たちは太刀と黄金を全国に運んでいた。いくつもの物語は次第に交錯し、やがてひとつの像を結ぶ。圧倒的なスケールと幻視力で紡がれる《古川日出男版》源氏物語。
─新刊『女たち三百人の裏切りの書』拝読させていただきました。今作は、《古川日出男版》『源氏物語』と呼ぶことのできる作品です。まずは、『源氏物語』をモチーフにされた理由について教えて下さい。
ひとことで言えば、『源氏物語』がジャスト1000年前の本格的な大長編小説だったからです。そこには二つの理由があって、一つは「1000年前に書かれた」こと、もう一つは「空前絶後の本格的な大長編小説である」ことです。
まず、「1000年前」について。2011年に東日本大震災が起きました。その話をするといつもすぐに原発の話題ばかりになってしまいますが、そうではなくて、“地震が起きた”。あの地震は、現在の研究によると1000年に一度の規模だったといいます。つまり、我々は“1000年に一度”を体験して震災後の世界に入った。だから今、何かを語ったり考えたりするためには1000年という時間の幅を考えなくてはいけないんだと思いました。その結果、平安時代に辿り着いたんですよね。
─現在から1000年前の時代、平安時代ですね。
そして、「空前絶後の本格的な大長編小説である」について。ブックショートも二次創作をテーマにしているということですが、二次創作するというと、自分が扱いやすい原典に向かってしまいがちで、原典に対して上から目線になってしまうような取り組み方はどうしても出てくると思うんですよ。今回、僕はそういうことではなくて、自分より明らかに上にいる、自分より大きい作品の胸を借りて何かをやりたいと思いました。少なくとも1000年というスパンでものを考えたくて作業を始めるならば、先達に頭を下げて何度も何度も殴られて、そこから立ち上がって初めて観える風景が観たかったんです。
その両方の条件を考えたとき、日本文学、日本文化の中には『源氏物語』以外にはありませんでした。
─“紫式部の怨霊が本ものの『宇治十帖』を語る”という構想はどのように生まれたのでしょうか。
紫式部に胸を借りようと決めてから、どう書くかをずっと考えていたんですよね。『源氏物語』を読み直したり、平安時代について調べるという作業をしながら、8ヶ月は考えていました。それで、あるときわかったわけですよ。「そっか、いきなり式部さんが語ればいいんだ。」と。
そこから最初、鎌倉時代後期から遡って元寇も入るような時代スケールで次々と物語が語られていくという設定で、250枚位書いていたんです。でも、それは完全に捨てました。それで、新しい構造、はじめから平安後期、院政期の物語で、そのなかにあくまで少し、そこから100年位前の紫式部が生きていた時代が入ってきて、そして、紫式部が語る『源氏物語』はそれよりもさらに50〜100年前の時代、という三つの時代を一つの時代に入れられるという構造が見つかった果てに、初めて正確に“紫式部が喋った”と思いますね。そこに至るまでには、取り掛かってから1年2ヶ月ほどかかりました。
─文体を変化させながら進む物語には疾走感があり、ぐいぐいと引き込まれていきました。かつて古川先生は、雑誌ユリイカ(2006年8月号)のインタビューで、“コンピューターの画面に縦書きと横書きを両方表示させ、手を通して楽器を演奏するように書いていく”とお答えになっていました。現在も同じ方法で書かれているのでしょうか。
今回は全て手書きです。万年筆で880枚を書きました。
僕は、コンピューターで音楽を演奏するように書くというシステムを2006年頃からずっと突き詰めていましたが、突き詰めたその先にあったのは、書くことがあまりにもスムーズになり過ぎたということでした。つまり、労力がかからない創作になってしまっていたんです。僕は、創作とは、労力がかかったり、つっかかったり、悩んだりするところから生まれてくると信じています。だから創作において、コンピューターで書くというあまりにもストレスレスな状況はまずいなと思ったんです。
この作品は2013年の3月下旬に手書きで原稿用紙に書き直すと決め、新潮社の担当編集者に社内で原稿用紙を探し回ってもらって、4月1日から万年筆で書き始めました。万年筆で書いたのは今回が初めてでした。万年筆はコンピューターと違って、10枚ほど書くとインクが無くなるので、その度にいちいち補充しなければいけないという手間がかかります。そうすると書く手が鈍るんですよ、ノってても止められてしまう。でも、そういう障害がある状態にあえて身を置くことが、今の段階の古川という作家には必要なことなんです。楽ではないことを自分でどう仕込んでいくかということが。『女たち三百人の裏切りの書』はそうやって書いた作品です。
─物語の前半に登場する男たち、薫、匂の宮、そして八の宮は現代の視点から見るととても自分勝手な人物だと感じました。古川先生はこの男たちにどのような印象をお持ちですか。
こいつら酷いな、と(笑)。特に、八の宮なんて実は隠し子がいて、しかもその母親も子供も切り捨てていますし。でも、そういうことをほとんど誰も言わないんですよね。「『源氏物語』は男と女の美しい物語だ。」なんて語る人が多い。僕は忠実にリメイクして原典からずれるようなことは書いていませんが、この作品では照明の当て方を変えることで、その酷さがより見え易くなっていると思います。
さらに原典を深く読んでいくと、紫式部は、宮様みたいな存在を実は胸の奥では嫌っていることがわかります。でも立場上それは書けないわけですよね、書いてはいけないし喋ってもいけない。だけど、原典から滲み出ているそういう感情を、この作品では掬い上げたというか、僕は現代の作家だからそこはブーストかけてもいいよね、という形で書かせてもらいました。でも本当にあの男たちは酷いと思います(笑)。
─作品の中には、大君-中の君-浮舟、源氏-平氏-藤原氏、東国-奥州-西国、うすき-むく-ちどり、など3つの要素がセットになっているものが数多くあるように思えました。何か意識されたことはありますでしょうか。
そもそもどんな創作の出発点にも、我々の生きている世の中に対してリアルに向き合いたいという気持ちがあるわけです。平安時代から一歩も外に出ない小説の中にもそういうアクチュアルな気持ちはあります。
少し横に逸れますが、例えば政治の話をすると、二大政党制という仕組みは日本では実現しないんです。二大政党制でどちらの党が正しいかという意見の取り方は、日本人には馴染まない。なぜならばこの国は、世の中がAとBという意見の対立で構成されていないからです。AもありBもあり全く別のCもあって、Cから見るとAもBも良かったり悪かったり、というように、混沌としていて、どちらか一方を選べない国なんですよ。
─たしかにそうかもしれません。
新聞社が時事問題のアンケートをとるときには、「いいと思う」、「悪いと思う」、「わからない」という項目が設定されていますが、その質問の仕方は良くないと思っています。つまり、どちらが正しいですか、と聞かれているから、みんな答えられないんです。結果、「わからない」が一番多い。本来ならば、AとBだったらどちら側に味方する、という話にしなければいけないのに、多数派の総意は「わからない」ということがこの国では起きています。
だから僕は特に震災後、AとBがあったら三つ目のCも出すようにしています。そうしないと正解なり解決策にはたどり着かないんだと強く感じているからです。今回の作品で言うと、通常ならば平安時代の末期を書くとすると、源平合戦、源氏と平氏の対立で終わってしまうわけですよね。でも、いや違うだろ、と。もともと摂関家をはじめとする藤原氏が全て支配していたところに源氏と平氏が出てきたんだ、実は3だ、という気持ちはありましたね。
─タイトル通り様々な“裏切り”を見せる女性たちが登場しますが、最大の裏切りは、一番最後、紫苑の君の裏切りだと感じました。
あれは本人ではなく、とり憑いた方、物語の方に引き寄せられたということですね。僕も自分で書いていて、すごい裏切りだなと思いましたよ。でも、あの場面で、紫苑の君でさえ「私は大君ですから。」と裏切ってしまったときに初めて、裏切りという行為が持っている“ものを突き動かす力” を自分で掴めたかなと思います。その前までに書かれている裏切りというのは、それぞれが自分で考えたプランに沿って実行されたわけです。儲かる、大臣になる、異性にモテる、などの目的を実現するために計画が練られていました。だけど、あの場面では、裏切るという行為自体がすべてを動かしてしまいます。裏切りが目的のためではないところに至ったとき、それは動きそのものになった。裏切りこそが物語そのものではないかと感じられた瞬間でしたね。
─はじめに裏で糸を引いていた犬百は、物語が進むなかで一気に端に追いやられ脇役になってしまいました。でも最後にまたものすごい勢いで戻ってきて、と、ダイナミックな展開がとても楽しかったです。
そこを楽しんでもらえるのが一番嬉しいですね。僕はこの作品を、忠実に歴史を踏まえながら書きました。つまり、勝つものは勝って負けるものは負けたという世界に物語を置いたということです。その物語のなかで描かれたことが痛快だった、カタルシスがあったと感じてもらえるならば、小説書いた意味がありますよね。歴史を変えてしまうのは簡単なんですよ。こういう話を書く場合、「if」の小説、歴史シミュレーション小説にした方が派手なお話にできるわけです。例えば、源氏も平氏も負けて、最後は奥州藤原氏が勝ちました、みたいなお話とか。でも、そんなものは現代にわざわざ小説にする意味がありません。そうではなくて、歴史を変えてはいないんだけど、読者に考え直させるとか、感情を揺さぶる読書体験を起こさせるという方が、大きな手応えがありますよね。最後の場面の犬百については、自分でもとても気に入っています。
─あの場面はすごいいいですよね。素敵な場面といえば、蠅の神様が由見丸と立ち合うシーンは視覚的で、他の場面とは異質だったような気がします。
あの場面は確かに映画っぽいですよね。ビジュアルが先行していたと思います。その理由を説明するためにまずこの物語の形式の話からすると、この作品では「宇治その一」、「その二」などの紫式部が語る部分以外は、一行空きでセクションを分けていないんですね。場面が転換しても一行空きを使っていない。使えない。それは僕が自分で作ったルールです。だから、由見丸がどんどん成長していく話は100枚近くあるんだけど一行空きが使えない。そうすると、間に入ってくる場面の色合いや手触りを変えないと読者は疲れてしまうと思うんですよ。それで、蠅の神様が登場するところは、それまでの説明調から一転して、急に動きのある場面にしようと意識していましたね。あの蠅の神様は自分にしか書けないと思います。なぜならば普通の人が書かないネタだから。蠅はこの貝の内臓が好きだとか、蠅の神様が耳をひっぱって蠅を動かす場面とか、あれは僕のオリジナルだなあと思っています。
─少し話題が変わりますが、私たちブックショートは、昔話や民話、小説などをアレンジした(二次創作した)物語をテーマに短編小説を募るプロジェクトです。古川先生は、今作の『女たち三百人の裏切りの書』や、村上春樹さんのオマージュ『中国行きのスロウ・ボートRMX / 二〇〇二年のスロウ・ボート』などを執筆されています。先行作品(作家)をモチーフにした作品作りについてどのようにお考えでしょうか。
まず単純に、小説を読んでこなかった人には小説を書けないですよね。基本的にはみんな読んできたものがあるから小説を書いてみたいと思ったり、読んできたものを栄養にして小説を書いているはずです。
でも、現代の作家というのは自分の名前を証明しなければいけないからオリジナルを書かなければならない。だから、誰の影響も受けなかったかのように振舞わなければならないことも多いと思うんですよ。でも、誰かのおかげで書けているということは事実であって、そうであれば、正面からやってみてもいいのではないでしょうか。例えば、村上春樹さんトリビュートであれば、手紙を書いて許可を貰えればやっていいわけですよ。紫式部さんだったらもうご本人には断れないから胸を借りますと神棚に向かって言えばいいわけです(笑)。そういうことをやってみると、自分が今小説を書いているのは、誰かが面白いものを読ませてくれたからだ、源氏物語のような1000年前に原稿用紙2000枚分もの小説を作ってくれたからだ、ということに感謝を表せますよね。
─なるほど。
それに、カバーをやリミックスをすることで、ある意味では、同じリングに上がって原典とガチで格闘ができるわけです。みんな、過去に読んで面白かった小説に対抗しうるくらいの小説を書きたくて作家をやったり、あるいは他のジャンルでも表現者をやっているはずなので、格闘したいはずなんですよ。カバーやリミックスはそういう場にもなるんです。だから時々用意した方がいい。オリジナリティというのは誰の影響もないことだとか、誰の影響も見せてはいけないことだと考えすぎると潔癖症になってしまいますし、ひ弱になります。ひ弱なことも時に必要なことかもしれないですけど、脆弱な作品を5作10作も続けてしまったらものは作れなくなると思うんですよ。
日本の文学というのはもともと和歌、今で言う短歌ですが、そこでは“本歌取り”という、もともとあった歌をアレンジすることをみんなやっていたわけですよね。だから小説でも、時々は正面からカバーをやればいいし、オリジナルはオリジナルで頑張ればいい。その往還関係のなかで初めて、先人たちにお礼を言いながら新しいものを作ることができて、小説だったら小説の歴史にもう一つ、自分が足し算をしていけるのではないかと思います。
─小説家を志している方にメッセージいただけますでしょうか。
小説家になろうと思えばなる方法はたくさんあります。これは批判ではないけれど、他の業種で有名になれば小説を出しやすいし、本もいっぱい売れるかもしれない。でも、小説家になるということは、小説家を続けるということなんですよね。つまり、一冊書いて面白いと言われスポットを浴びて、あとは小説を書かずにテレビのコメンテーターになるとかそういうことではない。小説を書き続けなければいけないんですよ。小説家になったその先は延々あるし定年もない。もしかしたら死ぬまで書いていなければいけないかもしれない。そういう生き方を選びたいのかどうかというのは、自分自身に真剣に問いかけていかなければいけません。小説、出版という沈没しつつある文化のなかで10年20年戦い、沈みゆく船をなんとか助けたい、浮上させたい、そのために身を呈して死ぬかもしれないという覚悟が要るんだよね、それがないのなら違う仕事の方が楽だよね、と思います。
─最後に、古川先生が小説家になった理由を教えてください。
僕に関して言えばすごく簡単で、やれることがこれしかないからですね。つまり、色んなことができれば小説家でなくていいわけです。スポットを浴びたければもっとスポットが当たる仕事を選べばいいし、安定したい、お金が欲しいのであればそういった職業を選べばいいんだけど、なぜだか僕にはこれしかない。こういう形でしかアウトプットできない。つまり、自分の中の強さを見つめたから小説を選んだのではなくて、むしろ自分の中で最後の最後に残るとしたらこれしかないという弱さの果てに小説というものを見ていて、それで小説家を続けているのではないかと思います。
とても言い方が難しいんですけど、僕には小説以外に得意なことはたくさんあると思うんです。小説を書くのは今でも難しいし、もともと文章がすらすら書ける子供ではありませんでした。だけど、できるんだけど何の愛も感じられない自分向きの仕事というものが世の中にはありますよね、得意なんだけどいつも、早く仕事終わって家に帰って遊びたいなと考えてしまうような。僕は小説を書いていれば、別に遊びたくないわけです。もっと準備してもっともっと書きたいんだけど、自分の力量では、集中力が切れたから今日はここまで、ということを毎日のように繰り返していて、そういうものだからこそ小説家を選んでいます。それは傍から見るとコストパフォーマンスが一番低いこと、最も弱いことを選んでいるのかもしれません。けれども、自分にとって一番弱いことが、自分にとって最も寄り添い続ける価値があることだと僕は信じています。何かになりたいという気持ちにはそういう考え方があってもいいのではないでしょうか。
─ありがとうございました。
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