磯﨑憲一郎(イソザキ ケンイチロウ)
1965年千葉県生まれ。2007年「肝心の子供」で第44回文藝賞を受賞し小説家デビュー。2009年「終の住処」で第141回芥川賞、2011年『赤の他人の瓜二つ』でBunkamuraドゥマゴ文学賞、2013年『往古来今』で泉鏡花文学賞を受賞。他の著書に『『眼と太陽』『世紀の発見』『電車道』など。
『鳥獣戯画』磯﨑憲一郎(講談社 2017年10月31日)
人間が考えることなど動物は何もかもお見通しなのだ。
二十八年間の会社員生活を終え自由の身となった小説家。
並外れた美貌を持ちながら結婚に破れた女優。
「鳥獣戯画」を今に伝える名刹を興した高僧。
父親になる三十歳の私。恋をする十七歳の私。
語りの力で、何者にもなりえ、何処へでも行ける。
作家生活10周年の著者が小説の可能性を極限まで追い求める、最大級の野心作。
─新刊『鳥獣戯画』とても楽しく拝読させていただきました。別のインタビューで磯﨑さんは、小説の書き方について、“最初の一行を書いて、そこから動き出していく”とお話しになられていましたが、今作でも同様でしたでしょうか?
そうですね。我ながらよくそれでやっているなと思いますが、僕はデビュー以来、小説の設計図やプロットを事前に作ったことがないんです。小説を書き始めるまえの準備段階としては、常に最初の一行を探しているような感覚で。「これだったらいけるかな」という力のある文章が思い浮かんだら、それを推進力にして、一文一文どう書き継いでいけば面白いかをひたすら考えていきます。だから、この小説を書くにあたってもまず最初にあったのは、「凡庸さは金になる。それがいけない、なんとかそれを変えてやりたいと思い悩みながら、何世紀もの時間が無駄に過ぎてしまった」という文章でした。
─その文章はどんなときに浮かんだのですか?
たしか夜、駅から家に歩いて帰る途中にぱっと浮かんだような気がします(笑)。おそらく、どんな書き手でも、パソコンや原稿用紙に向かっている最中というのは、どう書いていいかわからないものだと思うんです。二時間も三時間もああでもないこうでもないと考えて一行も書けないことだってよくあります。だけど、そういう時間を経ることでその後、まったく別のことをしているときに、「こうやって書けばいいんだ」とわかる。もしかしたら、人間の脳の構造がそうなっているのかもしれません。強いストレスかけた後、負荷を外したときにすっとなにかが浮かぶような。
─集中しているときというよりは、そのあとに。なんとなくわかるような気がします。
あと、漠然とですが今回は、いくつもの話が、語りの力だけでつながっていく小説にしたいという思いもありました。前作の『電車道』(新潮社 2015年)という小説が、日本近代百年の時間や東京近郊の私鉄沿線の宅地開発の歴史といったしっかりとしたフレームのある作品だったので、今回は、そうした枠組みを取り払ってとにかく自由に書きたいという思いが強かったんです。また、『往古来今』(文藝春秋 2013年)に収録されている「見張りの男」という短編を意識したところもあります。自分が生まれ育った町の話から、母親が野良犬を助ける場面に転換して、さらに、力士、郵便配達夫の話に移り、最後はカフカのエピソードで終わる、という作品で、自分としてはうまく書けたような気がしていたので、同じような感じで長編を書けないかなとは考えていました。
─今作の主人公(語り手)は、苗字も「磯﨑」で、属性も磯﨑さんご自身と近いように感じられました。これも最初から決めていたわけではなかったのですよね?
それも書いているなかで出てくるわけです。後半の「卒業式」という章のなかで、語り手を固有名詞で呼ばざるをえない状況になってしまって。迷ったんですけど、そこで「高橋くん」とか「山下くん」を出すのは白けるし、小説に対して失礼だなと思った。どうしようもなく切実なことを書くのが小説に対する誠意だから、そこではちゃんと「磯﨑くん」と書かなければいけないような気がしたんです。だけど、書いた瞬間に、書かれたそれは、フィクションとして強固に聳え立つから、自分の名前と同じかどうかなんてことは、もはやどうでもよくなってしまいます。
─自分と同じ名前だからといって、小説との距離感が変わるわけではない?
変わりません。今作も同様ですが、僕にとって小説というのはいつも、作者がはるか見上げる高みにある存在なんです。一文一文書いていくという方法をとることによって、作者の構想なんて軽々と超えた小説ができあがってしまうから。そういう意味では、僕は、本当に小説と相談しながら、小説の指示を受けながら書いていると言えるような気がします。最初の一行目を書いたときにはまだ一文しかないんだけど、50頁進んだら50頁分の相談相手がいるし、201頁目は200頁分の相談相手とともに書いている。だから、自分を通り抜けてはいるけれど、本当の作者は僕ではなく、実はこの小説自身なのではないか、小説が自己生成しているのではないか、とさえ感じるんです。こんなことを真顔で言うと「この人、大丈夫か?」って思われるかもしれませけど(笑)、真剣にそう考えることはあります。
─それは、キース・リチャードが「俺はアンテナに過ぎない、ロックが俺を通して演奏されているだけであって俺は何もしていない」と言ったことに似ていますよね。
そうですね。キース・リチャードだったら音楽だし、僕の場合は小説ですけど、自分の肉体を、その芸術が実現するために一時的に貸し出しているような感覚なんです。小説に内在する力を信じているから徹底的に受け身で、磐石の信頼感を持って小説に身を委ねている。自分の考えを述べたり自意識を投影するものとして小説を書いている人もいますけど、僕は正反対で、小説のために小説を書くことで、それによって自分の存在を濃密に感じるわけです。それは、時間が連綿と続いていく歴史のなかで、受け取った襷を次の人につなぐという意味において、自分は世界の一部分として間違いなく存在していると感じることに近いのかもしれません。
もっとわかりやすい話でいうと、どうして僕が小説を書いているかと言ったら、やっぱり最初にカフカや北杜夫、小島信夫、保坂和志の小説を読んだからなんです。だから次は、僕が書いた小説を面白いなと思ってくれた若い人のなかで、一人でも小説家になってくれる人がいたら、それだけで僕は小説家としての使命を果たしたと言えると思うんですよね。
─受け取ったバトンを次の世代につないでいくことで。その話に少し近いかもしれませんが、『鳥獣戯画』には、過去の人物や出来事にまつわるお話が参考文献をもとに書かれている章もあります。そうした部分と、それ以外の部分で書き方に違いはありましたか?
そこに違いはありません。今回で言えば、明恵上人の話になったから彼の伝記を、あるいは、承久の乱のところにきたから『愚管抄』や「承久記」を、というように、小説がその方向に進んでから初めて史実を調べ出します。『電車道』のときもそうでしたが、そうすると不思議なことに、「承久の乱」で書いた押松丸のような面白い史実が進む先々で僕を待ち構えていてくれるんです。
─怒り続ける明恵上人のお話も面白かったです。
明恵上人は、白洲正子の紀行エッセイの影響が強くて、「自然のなかで修行したとても穏やかな人物」というイメージが強いと思うんですけど、実際の伝記や資料を読むと非常にエキセントリックな性格だったことがわかります。仏教界が堕落していることに対して怒りまくった挙句、自分の耳を切り落としてさえいますし。しかも、こんなところにいられるかと、何度もインドに渡ろうとするんだけど、そのたびに妨害され、最終的には、三本の籤を作って一度でも当たりが出たらすべてを振り払ってインドへ行こうと決意するのに、すべて外してしまう。そういう1000年前の明恵上人の怒りは、現代に生きる我々の怒りと大して変わらないのかもしれないと思ったりもしました。
─「鳥獣戯画」というタイトルはどのように決めたのですか?
鳥獣戯画は、甲・乙・丙・丁という4巻からなる絵巻物です。もっとも有名な蛙と兎が相撲している場面は甲の巻で、乙、丙、丁と進むと人間や蛇や竜も描かれているんですけど、それがどういうストーリーなのか、そもそもなんのために書かれたのか、今も謎に包まれたままなんです。だけど、その4つの巻物が、脈絡なしになんとなくつながっていく。その感じが、この小説のタイトルとしてふさわしいような気がしたんです。全体の三分の一くらいまで書いたタイミングでこのタイトルに決めました。
─作品のなかで、タクシー運転手が唐突に台詞調で、「こんな時間と金の無駄遣いはもう終わりにして、車から降りて、あなたはその若い肉体を酷使して、自らの両足で全力で走らなければならない、目的地の病院はもうすぐそこにあるのだから」と主人公に語りかける場面が好きでした。
『終の住処』(新潮社 2009年)でも、主人公がアメリカで事業を諦めかけたときに、上司から「お前がこの案件をあきらめるのであれば、それはお前の一生を失うに等しい、これから先の未来だけではなく、過去に起こった全てを失う……」という手紙が届く場面がありました。僕はそういう「いや、そこまでの話じゃないでしょ」という大げさな話を唐突に出すのが好きというか、そういうものを書いてみたくなるんですね。それはきっと、カフカの小説から受けた影響のような気がしますが。
─カフカの。
たとえば、カフカの作品に、兄妹が散歩から帰宅する途中、妹がいたずらで、今で言うピンポンダッシュみたいにどこかの家の門をノックするという話があります。そうすると大勢の人が集まってきて、お前なんてことをしたんだ、大変なことになるぞって大騒ぎする。いやいや、そこまでの話じゃないでしょ(笑)って思うんだけど、妹だけじゃなくて、お前も同様に罰せられるぞとか言われはじめて。いや、そんな馬鹿げたことはないはずだって言っていると、突然、遠くの方で土埃が巻き上がって騎馬の大群がぶわーっとやってくる……という。保坂和志さんとも、そこはかっこいいよね、胸がすくような鮮やかさだね、と話しているんですけど、ここで、「どうして騎馬の大群がきたんだ?」とか、「そこにどういう意味があるんだ?」と考えずに、単純にそれをかっこいいと言えるセンスこそが、小説を書くうえではとても大切だと思うんですよね。
─かっこいいと言えるセンス。
それはたとえば、ジミヘンの「フォクシー・レディ」のギターソロの何小節目がかっこいいとか、サッカーの中村俊輔選手がフリーキックを蹴るときの腰の回転がかっこいいと思う感覚に近いのかもしれません。僕は、ジミヘンのギターや中村俊輔のフリーキックを語るかのように、カフカのこの場面がかっこいいと理屈抜きに言えるセンスの方が、文学の理論や知識よりもはるかに大事だと思う。きっとそれは映画でも音楽でも同じでしょう。
─そういう感覚は磨けるものなのでしょうか?
それは人生のある一時期、おそらく思春期に人間が身につける感覚のような気がします。その頃何に接したか、何を刷り込まれたかというある種の身体性や個性のようなもので。僕にとってのそれはたまたまロックだったので、いつも「思春期にロックを聴いていないとろくな大人になれないぞ!」と言ってしまうんですけど(笑)。
いずれにせよ、20歳を過ぎたらもう、何をかっこいいと感じるかはそれぞれの人のなかで出来上がっているでしょうから、なにかを作るときには、そういう感覚を自分という回路を通して素直な形で出せるかどうかが大事だと思います。
─自分がかっこいいと思うものを素直な形で出すことが。
だけど、いまの若い人たちは、売れないことには何も始まらない、売れることの方が大事だと考えているように感じてしまうんです。そういう時代にしてしまったのは、若い人たちというよりは僕らを含めた上の世代に責任があるような気もするので後ろめたさも感じますけど、生き延びるためには長いものに巻かれることが必要だと思って、なりふり構わず必死になっているように見えてしまう。だけど昔の若者って、そんな打算的な考えは本当はなかったんですよ。
─ええ。
やっぱり先々のことを考えると、長いものに巻かれて売れるよりも、本当に自分がやりたいコアな部分を素直に出して行った方がうまく行くんです。小説家だと、この数年でそういう新人が出始めています。最近読んだ中だと、2015年に群像新人賞でデビューした乗代雄介は、ペダンチックであることを恐れずに徹底してサリンジャーやアンダソンを出してくる。だから、僕は彼のことを信じられるわけです。そこを変に日和って、近未来小説や現代の若者の闇を書くとかいう方向に行かないことが大事で。もちろん、そういう作品を書く小説家がいてもいいんですが、それは、本当にその人にとってコアなものを出した結果が、近未来小説とか若者の闇であることが必要なのであって、マーケットが要請しているからそれに応じて書くということでは駄目なんです。やはり一番大切なことは、自分にとって本当に切実なことはなんなんだろうと突き詰めて考えていくことで、それが芸術家に求められる誠実さなのではないかなと思います。
─ありがとうございました。
*賞金100万円+ショートフィルム化「第5回ブックショートアワード」ご応募受付中*
*インタビューリスト*
馳星周さん(2019.1.31)
本谷有希子さん(2018.9.27)
上野歩さん(2018.5.31)
住野よるさん(2018.3.9)
小山田浩子さん(2018.3.2)
磯﨑憲一郎さん(2017.11.15)
藤野可織さん(2017.11.14)
はあちゅうさん(2017.9.22)
鴻上尚史さん(2017.8.31)
古川真人さん(2017.8.23)
小林エリカさん(2017.6.29)
海猫沢めろんさん(2017.6.26)
折原みとさん(2017.4.14)
大前粟生さん(2017.3.25)
川上弘美さん(2017.3.15)
松浦寿輝さん(2017.3.3)
恩田陸さん(2017.2.27)
小川洋子さん(2017.1.21)
犬童一心さん(2016.12.19)
米澤穂信さん(2016.11.28)
芳川泰久さん(2016.11.8)
トンミ・キンヌネンさん(2016.10.21)
綿矢りささん(2016.10.6)
吉田修一さん(2016.9.29)
辻原登さん(2016.9.20)
崔実さん(2016.8.9)
松波太郎さん(2016.8.2)
山田詠美さん(2016.6.21)
中村文則さん(2016.6.14)
鹿島田真希さん(2016.6.7)
木下古栗さん(2016.5.16)
島本理生さん(2016.4.20)
平野啓一郎さん(2016.4.19)
滝口悠生さん(2016.3.18)
西加奈子さん(2016.2.10)
白石一文さん(2016.1.18)
重松清さん(2015.12.28)
青木淳悟さん(2015.12.21)
長嶋有さん(2015.12.4)
星野智幸さん(2015.10.28)
朝井リョウさん(2015.10.26)
堀江敏幸さん(2015.10.7)
穂村弘さん(2015.10.2)
青山七恵さん(2015.9.8)
円城塔さん(2015.9.3)
町田康さん(2015.8.24)
いしいしんじさん(2015.8.5)
三浦しをんさん(2015.8.4)
上田岳弘さん(2015.7.22)
角野栄子さん(2015.7.13)
片岡義男さん(2015.6.29)
辻村深月さん(2015.6.17)
小野正嗣さん(2015.6.8)
前田司郎さん(2015.5.27)
山崎ナオコーラさん(2015.5.18)
奥泉光さん(2015.4.22)
古川日出男さん(2015.4.20)
高橋源一郎さん(2015.4.10)
東直子さん(2015.4.7)
いしわたり淳治さん(2015.3.23)
森見登美彦さん(2015.3.14)
西川美和さん(2015.3.4)
最果タヒさん(2015.2.25)
岸本佐知子さん(2015.2.6)
森博嗣さん(2015.1.24)
柴崎友香さん(2015.1.8)
阿刀田高さん(2014.12.25)
池澤夏樹さん(2014.12.6)
いとうせいこうさん(2014.11.27)
島田雅彦さん(2014.11.22)
有川浩さん(2014.11.5)
川村元気さん(2014.10.29)
梨木香歩さん(2014.10.23)
吉田篤弘さん(2014.10.1)
冲方丁さん(2014.9.22)
今日マチ子さん(2014.9.7)
中島京子さん(2014.8.26)
湊かなえさん(2014.7.18)