辻村深月(つじむら・みづき)
1980年山梨県生まれ。2004年『冷たい校舎の時は止まる』で第31回メフィスト賞を受賞しデビュー。11年『ツナグ』で第32回吉川英治文学新人賞、12年『鍵のない夢を見る』で第147回直木三十五賞を受賞。ほかの著書に『ぼくのメジャースプーン』『ふちなしのかがみ』『オーダーメイド殺人クラブ』『水底フェスタ』『島はぼくらと』『盲目的な恋と友情』などがある。
『朝が来る』辻村深月(文藝春秋 2015年6月15日)
出産を巡る女性の実状を描く社会派ミステリー
親子3人で平和に暮らす栗原家に突然かかってきた一本の電話。電話口の女の声は、「子どもを返してほしい」と告げた――。
─新刊『朝が来る』拝読させていただきました。辻村さんはこれまでの作品でも親子の関係を描いてこられましたが、今回は、血のつながらない親子、特別養子縁組の家族をめぐる物語です。その思いや背景をお伺いできますでしょうか。
これまでの作品では、私の「このテーマについて書いてみたい。」と思う気持ちが種になっていましたが、今回は珍しく編集者から提案されたことが直接のきっかけでした。ちょうどその頃、NHKで「卵子の老化」を取り上げた番組が放送されたり、女性誌で「体」の特集記事が増えている時期でもあったので、いずれ自分もそういうテーマで書くかもしれないなと漠然と思っていたところ、「不妊治療をしていた夫婦が養子をもらうという選択をする話を……」と依頼されたんです。今までたくさん家族の物語を書いてきましたが、私の中には「養子」という発想が無かったので、その提案を聞いてまずとても驚きました。そこから漠然とした興味が湧き、資料を読みこむうちに、ぜひこのテーマに挑んでみたいと感じるようになりました。私が今までずっと書いてきたのは、血のつながりがあるからこそ、そこに甘えてしまう、守られる、苦しめられる、といった家族の関係でしたが、今回、血のつながりが無いからこその家族について考えてみたいという思いが生まれ、このような話になりました。
─養子縁組制度は日本ではまだ一般的ではありませんよね。
私も資料を読むことからのスタートになりました。そうすると、「養子をとる」ということについての自分がかなり実際とは違う先入観を持っていたことがわかってきたんです。例えば、養子を迎えた親は周囲にその子が養子であることをなるべく隠そうとするのではないか、と思っていたら、何組もの家族が周囲に話し、理解をもらって生活しているということを知りました。また、養子を迎えた母親は、血のつながりがある実のお母さんに対して羨ましく感じたり、嫉妬してしまうのではないかと想像していたところがあったのですが、そうではなくて、この作品で書いたように、その人が出産してくれたからこそ自分とこの子が出会えた、と感謝しながら暮らしている方がいることを知りました。
─なるほど。
小説や映画などフィクションの世界では、残酷な事件や意地悪な人物、酷いことを書くことで、「人間がうまく描けている。」とか「現実を鋭く切り取っている。」と評価されがちです。一方、良いことや善意に基づくことについては「そんな都合の良いことがあるわけない。」とか「偽善である。」と受け止められてしまうことが多い。しかし、現実は必ずしもそうではありませんよね。今回のテーマでは、人の善意や誰かを信じるということを、いかに現実として書いていくか、ということを心がけました。
─物語の前半で印象的だったのは、母 佐都子が朝斗を信じてあげる場面でした。いっそ嘘でも認めてしまった方が楽になるような状況で、それでも息子を守ってあげた母はとても強いと思いました。
連載の初回でその“ママ友トラブル”を書いたのですが、自分自身も心臓が痛くなるような場面でした。そういった子どもを信じる、信じないという葛藤は、血のつながりに関係なく、きっとどのお母さんたちにも日常的にあることだと思います。母親というのは、出産したからといってすぐに母性が生まれたり、急に清らかな存在になれるわけではないと思うんです。出産していてもひかりのように母性というものからこぼれ落ちてしまったような経験をする人もいるし、子どもが近くにいても子どもを見失ってしまうような気持ちになる母親もいると思います。逆に、出産はしていないけど、信じようと思って育てているうちに、母性と呼んでもいいかもしれないものが宿ってくるということは、きっとあるんだろうなと、書いているうちに感じられるようになりました。
─両親や姉、クラスメイトなど“普通の生活”を送る人々に違和感を持ち、生き急いでいるように見えるひかりは、極端な考え方の持ち主のようにも感じられましたが、一方で彼女には共感できる部分も多いような気がしました。
今回は、“子どもを産めなかった側”と“子どもを手放さざるを得なかった側”という構成で書こうと最初に決めていました。当初、私が感情移入できるのは子どもを産めなかった側である栗原夫妻だろうと思っていたんです。けれど、書いているうちにひかりの話にどんどん厚みが増していき、結果、この作品では彼女のことが書きたかったのではないかと感じるまでになりました。「普通」を生きていたはずの彼女が、少しずつそこからはみ出てしまう様子をできるだけ丁寧に追いたいという思いがありました。
─決して特殊なキャラクターというわけではありませんでしたね。
報道やノンフィクションでないからこその、小説だから描けることというのもあると思うんです。
ひかりについて言うと、刹那刹那の感情にすごく正直な性格で、いつもその瞬間には嘘が無い子なんですよね。子どもを手放さなければいけないけど、ずっと一緒にいたい、でも、いざ、手放さなくていいですよ、と言われたとしたら困ってしまう。だけど、一緒にいたいという気持ちに嘘はない。彼女は全てにおいてそうだと思うんです。私は、そういう刹那刹那に正直な子を指して、「普通の子」と呼びたい。だから彼女を、特別に無責任、特別に身勝手な人という描き方にはしたくなかったという思いがあります。
事実を積み重ねても届かないことが、一人の主人公の物語を通じて、読者それぞれに届くこともある。ひかりの物語を、読者それぞれに見守っていただきたいと思いました。
─ひかりは、親が望む想像上の「失敗しなかったひかり」や栗原夫婦のなかにある「広島のお母ちゃん」という虚像、つまり、他人のなかで膨らまされた自分のイメージによって、苦しんだり、逆に救われたりします。
“誰かの中で作り上げられた自分”は大抵、「その私は私じゃない。」とネガティブに作用することが多い気がします。だけどそんななかで、この作品を書き終えてから私自身が気づいたのは、“誰かの中で守られてきた自分像”によって救われることもあるのではないか、ということでした。大体が悪い方向に作用する思い込みのようなものが、思いがけず人を救ったり、そこが拠り所になったりすることもあるんだなと。
─話題が変わりますが、私たちブックショートは、「おとぎ話や昔話、民話、小説などをもとに創作したショートストーリー」を公募する企画です。
辻村さんの作品には『ドラえもん』の道具をモチーフにした『凍りのくじら』があります。『凍りのくじら』も広い意味では二次創作と呼ぶことができるのではないかと思っていますが、先行作品をモチーフにした作品作りについてのお考えを教えてください。
二次創作が素晴らしいのは、優れた物語は、その話をすればみんなでわかり合えるということですよね。たとえば、初対面の人でも『ドラえもん』で何の道具が好きだったかという話題で急に盛り上がれたりする。優れた普遍性のある物語が人と人をつなぐ共通言語になることが、私がフィクションの世界や物語を好きな理由の大きなひとつです。
中でも『ドラえもん』は、親や友達と映画を観に行ったり、食器や鞄などのグッズを持っていたことがあったり、子ども時代の家族の思い出と結びついていることが多い。『凍りのくじら』は家族を描いた話だったので、『ドラえもん』と道具の名前を出すことで、読者にも主人公に共通する家族の幸せだった頃の思い出を一緒に観てもらえたらと思いました。
─ブックショートでは、大賞作品をショートフィルム化、ラジオ番組化します。
辻村さんの作品には映像化されたものが数多くありますが、ご自身の作品の映像化についてのお考えをお伺いできますでしょうか。
映像化されたものを観ると、自分の作品にもう一度命を吹き込んでもらったように感じます。たまに貰えるすごく嬉しいご褒美のような感覚ですね。色々な方達が集まって、私の小説を広げて、いい映像を届けようとしてくれているのを見るとワクワクします。ただ私は、全く同じものを作ったら意味が無いと思うんですよね。監督さんには、原作と同じ方向を向いていただいた上で、原作を越えてほしいなと思っていて、ある意味では“2”を観たいというような気持ちがあるのかもしれません。「映像オリジナルのこのシーン、私が原作で書きたかったな。」とか「こういう風に書けたらよかったのに」と悔しく思うような瞬間が今まで映像化していただいた作品にはどれもあるんです。それを観て悔しがれることが嬉しく、光栄に感じるので、監督さんとは協力し合いながらもライバルのよう。そういう関係がすごく面白いです。とても贅沢なことをさせてもらっているなという自覚はあります(笑)。
─最後に、小説家を志している方(ブックショートに応募しようと思っている方)にメッセージ、アドバイスをお願いします。
私がデビュー作の小説を書いたのは高校生のときでした。そのとき、たくさんのクラスメイトに読んでもらったんです。そこで、「続きが読みたい。」と言ってもらえたことで、自分には他人に読んでもらうに足る文章が書けるのかもしれないという実感が湧き、自信につながりました。
今、プロを目指して小説を書いているという人に話を聞いてみると、“すごく近く”と“すごく遠く”しかない印象があります。前者は、違いがわかる人にしか読ませたくないと言って、大事に抱えて誰にも読ませないでひたすら書いていくというタイプ。後者は、インターネット上で、個人のブログなどに自分の小説をアップして、いきなり不特定多数の目にさらしてしまうというタイプです。その両極端が多い気がします。もしかしたらネットにアップすることでスカウトがくるのかもしれないので、良し悪しだとは思うんですけど、いきなり不特定多数の目に触れて傷ついてしまうよりは、まずは身近な人に読んでもらった方がいいのではないかと思います。違いのわかる人にしか見せたくないという前者のタイプもまた、本の話ができる友達や身近な人たちにどんどん読んでもらうことをお勧めしたいです。そうやって反応をもらうと、自分には何が向いているかとか、色々なことがわかってくるので、試してみて欲しいなと思います。
─ありがとうございました。
*賞金100万円+ショートフィルム化「第5回ブックショートアワード」ご応募受付中*
*インタビューリスト*
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本谷有希子さん(2018.9.27)
上野歩さん(2018.5.31)
住野よるさん(2018.3.9)
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折原みとさん(2017.4.14)
大前粟生さん(2017.3.25)
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木下古栗さん(2016.5.16)
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重松清さん(2015.12.28)
青木淳悟さん(2015.12.21)
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朝井リョウさん(2015.10.26)
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片岡義男さん(2015.6.29)
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阿刀田高さん(2014.12.25)
池澤夏樹さん(2014.12.6)
いとうせいこうさん(2014.11.27)
島田雅彦さん(2014.11.22)
有川浩さん(2014.11.5)
川村元気さん(2014.10.29)
梨木香歩さん(2014.10.23)
吉田篤弘さん(2014.10.1)
冲方丁さん(2014.9.22)
今日マチ子さん(2014.9.7)
中島京子さん(2014.8.26)
湊かなえさん(2014.7.18)