高橋源一郎
1951年、広島県生まれ。81年『さようなら、ギャングたち』で群像新人賞優秀作を受賞しデビュー。『優雅で感傷的な日本野球』で三島賞、『日本文学盛衰史』で伊藤整文学賞、『さよならクリストファー・ロビン』で谷崎賞を受賞。著書に『「悪」と戦う』、『銀河鉄道の彼方に』、『恋する原発』、『デビュー作を書くための超「小説」教室』他多数。5月に『ぼくらの民主主義なんだぜ』(朝日新書)が刊行予定。
『動物記』高橋源一郎(河出書房新社 2015/4/9)
本日未明、政府は「開戦」を宣言しました
「ことば」を奪われたものたちが、いま、立ち上がる
著者が「動物」たちへ贈る最後の書、刊行!
─新刊『動物記』拝読させていただきました。収録されている九つの短編は、人間以外の動物が主人公ないしは重要なキャラクターとして登場する作品です。まずは、動物の物語を書かれたきっかけを教えていただけますでしょうか。
言葉で仕事をする自分にとって、“言葉を持たない存在”は、書くべき対象として非常に興味深いものだと思っています。今回は動物ですが、今後、少数言語の人や言葉を失った人、統合失調症のように言葉の圏外に消えてしまった人などのこともきちんと書いてみるつもりです。だから言ってみれば『動物記』はこれから長く続くプロジェクトの一つ。始まりですね。
とは言っても今回の動物たちは割と喋る方ですけどね(笑)。いつかは、表題作「動物記」に登場する“喋らない存在”、どんなに頑張ってもそこから言葉は出てこないという生き物を書きたいと思っています。
─動物の物語は、人間の物語とどんな違いがありましたか。
僕は物語を書くときはいつも、その物語専用のフレームを作ります。今回は動物というフレームを設定したことで、人間を書くときのややこしいルール、たとえば社会の話、男女の話、家族の話などが無いところからのスタートになりました。そのうえで、彼らに、あえて人間のような約束事を与えてみたので、社会的な属性が見え易くなっていると思います。“主婦をしているパンダ”とか“大工の親方をしているチーター”とか。小説の登場人物を全員そのまま動物に変えてみるだけでもかなり違った風景が見えてきます。
─人間から離れて社会的な属性を一旦外すことによって、再び与えられた属性がより強く意識されるようになるということですね。
さらに、動物というフレームによって「全身に毛が生えているだろう。」とか「舌が長いだろう。」とか「少食だろう。」といった条件も加わります。そうすると、読者が頭の中で勝手に色々と想像してくれるんですよね。「人間のように喋っているけど、これは象なんだ、耳が長いんだ。」とか。これは言ってみれば寄り道ですけど、いい物語というのはたくさんの寄り道ができるものなんです。真っ直ぐ歩いて行ってしまうと周りの風景が見えません。寄り道してもらうために作家は苦心しますが、動物というフレームを作るだけで既に寄り道をする場所がたくさんできるんです。だから、普通に人間を書くよりもある意味いい条件で書けたかもしれませんね。
─物語には、人間か動物かが明確に書かれていないキャラクターも登場しますね。
そうですね。言ってみれば“人間という動物”だと思います。この作品では、あらゆる動物は名指しされますが、人間だけは名指しされないという構造になっています。本の装画でも人間だけスポットライトが当たっていませんよね。できるだけ人間的なものから逃れようというお話にしたかったように思います。
─表題作「動物記」で“わたし”の独白に、“わたしが動物の世話をできないのは、彼らがなにを考えているのかわからないからなのかもしれない。”とあり、その一方、人間についても、“もう十分に人間には会った。そして、誰ひとり理解できなかったような気がするのである。”とあります。“わたし”にとって、動物と人間の違いはどこにあるのでしょうか。
“わたし”は、最終的に人間と動物を区別できないんですね。そもそも言葉を持っていない動物を理解できないことは誰しもが納得出来ると思います。一方、人間のことは言葉を持っているから理解できるはずだと思っている。だけれども、“わたし”はやっぱり理解できない。結果、一緒なんですね。ということは、言葉を持っていてもいなくても一緒なのか。そう考えるとかなり悲しいですよね。だったらこれまで何を話していたんだ、何を理解していたんだと。そもそも言葉というものは理解するために存在するはずなのに、“わたし”は何十年も生きてきて、誰ともコミュニケーションできなかった、“わたし”にとって言葉は無駄だった、というのが「動物記」というお話。それでも“わたし”はやっぱりそれを言葉で言うしかないんですけれど。
─言葉で相手を理解できないということについて、高橋先生のお考えをお聞かせください。
理解できない、理解していないんじゃないかという恐れを僕も持っています。怖い話ですよね。実際問題として生物は自身の肉体という牢獄に閉じ込められています。どんなに頑張ってもその外に出ることはできないわけです。そこで何を考えるか。自分の考えはわかるとして相手のことはわからないですよね。一応言葉で喋ってはいるけれど、それが嘘かもしれないと考えていくとわからないわけです。それなら動物も人間も同じです。ヤギが「メェー」と鳴いているのと、人間が「I love you」と言っていることのどこが違うのかと考えてみても、言葉なんて気分で言っているだけだからわからない。言葉が無いこととあることの違いなんて、強いて挙げるなら「理解できない。」と言うために言葉が必要だということだけ。だからよくわからないですよ。僕たちは本当のことなんてわからない。にも関わらず、というかそれ故、言葉にしているんですけどね。
─収録作品「そして、いつの日にか」では、人間の消えた世界で犬が言葉を喋るようになりました。
言葉を持つことの不幸を犬に託した話ですね。実は人間も「ワンワン」と鳴いている方が幸せなのかもしれない。僕たち作家は、伝えるとか伝わるという前提で言葉を作る仕事をしているわけですが、本当かいなと(笑)。世の中にあるたくさんの本、そして、インターネットやテレビ、ラジオ…みんな言葉を使っている。言葉のインフレは歴史上最大規模だと思います。実はそんなに必要ないのかもしれない。ワンワン鳴いていても世界は成り立っているんだから。
このお話にも少し取り入れましたが、僕は一時期、武者小路実篤に凝っていました。晩年呆けてだんだん言葉が無くなっていった実篤が好きで。それで、実篤がいつ呆けたんだろうと十数冊もある分厚い全集を図書館で全部借りて晩年の方から読んでいったんですね。気が付いたら第一巻まで行ってました(笑)。変わっていなかったんですね。同じ文章の繰り返しも多いし、言葉というよりは鳴き声に近い。「ワンワンワン」って。当時はみんな近代的自我に悩んでいたのに、実篤だけは最初から最後までそういう「無」みたいな人だった。ああいう文章を読むと、書いて伝えるって何だろうね、表現なんて馬鹿馬鹿しいね、と思ってしまいますね。
─すごいですね(笑)。
実篤くらいになると、「言葉って何?」という問いに、「特に意味は無い。」と答えられるでしょう。僕たちの普通の考えでいうと、人間は考えて悩むべきだと思っているんですけど、実篤はまったく違う、ある種の動物性があったんですね。人間というより、“実篤”という特別な動物だったのかもしれません(笑)。
─自由ですね。
小説や表現は本来人間を自由にするはずのものなのに、僕たちは意外に人間という枠の中に全部収めて、人間的じゃないものを排除してしまいがちなんです。けれども、「文章教室」にも登場する5億年生きれるらしいベニクラゲの生物的時間や、あるいは惑星のような宇宙的スケールと比較してみると、人間がいかに一つの感覚に囚われてしまっているかということがよくわかります。だから、今回は少し人間から離れた方がいいかなと思って動物に仮託してみたというところもありますね。
─話題が変わりますが、私たちショートショート フィルムフェスティバルは、「ブックショート」という、昔話や民話、小説などをアレンジした(二次創作した)短編小説を募る賞を昨年度からはじめました。
高橋先生の作品では、『動物記』収録作品のなかにも『水戸黄門』のキャラクターが登場したり、カフカの『変身』を想起させるものがありますし、『さよならクリストファー・ロビン』や『ミヤザワケンジ・グレーテストヒッツ』などの作品も執筆されています。過去の物語をもとに新しい物語を作り出すこと(パスティーシュ)についてのお考えをお聞かせください。
『ミヤザワケンジ・グレーテストヒッツ』高橋源一郎(集英社 2005年)
「注文の多い料理店」や「風の又三郎」など、誰もが知っている名作童話から生まれる、誰も見たことのない新しい“ミヤザワケンジ”の文学。世界の終わりとはじまり、夢と現実、生と死。全てが曖昧になった場所で織り成される24篇。
まず、オリジナルな作品というものについて考えてみると、そこで使われる言葉自体はオリジナルなものではありませんよね。文法もオリジナルでは無い。だからオリジナルとは言っても99.9%は人のものを借りたうえでのことなんです。だから、ふさわしいものがあれば過去の優れた作品を利用するというやり方は当然ありえます。オリジナルもパスティーシュもどちらも同じように優れた手法なので、そこに優劣は無いと思います。
そのうえで僕の好みを言うと、もともとあった作品をどんどん変形させていくパスティーシュはある種遊戯的な楽しさがあって、オリジナルで作るよりも楽しいです。いかに原型から変えるか、いかに気づかれないようにするか、逆にいかに露骨に気付いてもらえるようにするか、色々考えますね。
─なるほど。
また、既存の物語を使って新しい物語を書いていると、その原型を作った人と共作しているような感覚になるんです。例えば、カフカの『変身』を元にする場合、想像上でカフカにオリジナルを作って貰って、「じゃあこれ使わせてね。」と許可をとって、「こんな感じでどう?」と対話しているわけですね、カフカと。そうすると創作につきものの孤独をあまり感じなくて済みます。さらに、書いていない時もカフカの世界に入って心地いいなと感じてみたりもして。先ほどもお話ししたように、僕たちは自分の体の中に閉じこめられているので、そういう外に出ている感覚は精神的にもいいんですよね。鬱々としているときはパスティーシュを是非お勧めします。
─原作者との対話を想像しながら書くというのは素敵な考え方ですね。
例えば、続編を書く、なんてことは誰も許してないわけですけど、想像上では無数に可能な世界があるわけです。本来、オリジナルの世界の外にあるのは虚無だけ。パスティーシュはその虚無を埋めていく、場所を作っていく、広げていくものだと思います。だから、良くできたパスティーシュを読むと変な感じがするんです、虚無の世界が実在していることになるから。普通の小説を書いているときは、元々存在している世界のなかに物語を広げていくわけですけど、パスティーシュは無い世界に向かって広げていくんです。だから、良くできた二次創作は奇妙な感じ、虚無の中に押し入っていく暴力的な感じを持っていて、それがとても素敵だと思います。
─高橋先生が先月出版された『デビュー作を書くための超「小説」教室』は、タイトル通り小説家を目指す人にとってためになる情報満載の一冊でした。
そのなかで、新人作家の条件として、自分の中に『書く他者』と『読む他者』の両方を育てることと書かれていました。
『デビュー作を書くための超「小説」教室』高橋源一郎(河出書房新社 2015年3月)
新人文学賞で、選考委員は果たして「何」を見ているのか? ベストセラー『一億三千万人の小説教室』から十三年、小説を書きたいすべての人に贈る、高橋先生による超「小説」教室!
小説を書くという行為は、航海と一緒です。波がきたり風が吹いたりして、その度に舵を切っていきます。その判断を誰がするのかというと、自分の中の『読む他者』なんですね。漕いでいるのは『書く他者』。そこでいちいち、「ここはこうした方がいい。」なんてやりとりをしていたら遅くて、瞬時にスイッチが切り替わっていかないといけません。プロの作家は自然にやっていることなんですが、これできるようになるためには、自分のなかの書き手と批評家が同じレベルになるということが必要です。書くだけという能力の人もいっぱいいるし、批評だけという人もたくさんいます。バランスが大事で、批評能力だけ上がっていくと書く方を抑圧してしまうし、批評能力が弱いと勝手に進んでしまう。同じレベルでないと瞬時にスイッチできないんです。小説を書いているとまず『書く他者』が育っていって、ある日気が付いたら批評能力、『読む他者』が追いついてきて、それができるようになります。これが追いつくのが一年なのか三年なのか十年なのか、いつまでも追いつかないのかはわかりません。でも、同じ力になるのがデビューできる条件なのかもしれませんね。
─ありがとうございました。
小説家を目指す人にとって『デビュー作を書くための超「小説」教室』は役に立つ情報がいっぱいなのでみなさま是非お手にとってみてください!
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