『雲のなかで手をつなごう』
間詰ちひろ
介護施設に入居している祖母との会話は、いつも自己紹介から始まる。心許ない祖母の記憶は、雲に覆われているようで辿ることができない。それでも私は、一緒に探検することに決めたのだ。祖母と手を、ぎゅっとつないで。
『笑ってともに生きる認知症』
平川佳代子
そもそも義父の認知症がひどくなったのはお隣が火事で全焼し、義父の家も延焼で住めなくなり、建て替えを余儀なくされてからだった。
『受け入れて笑顔』
後藤いづみ
今から15年前の夏休みの終わり、祖父が倒れて救急搬送された。直ぐに病室に行くと祖父は意識がなく、顔色の悪さを目の当たりにして、私は死を覚悟してしまった。翌日、祖父の意識が戻り、一斉に家族が話し掛けると、祖父は怯えてしまい叫び声を上げて錯乱状態になった。
『お絵かきノートをひらくとき』
廣田みのり
祖母が祖母ではなくなった。祖母は認知症によって大きく変わってしまった。そんな祖母の変化で家族は疲れ切っていた。ある日、家の片付けをしていると懐かしいお絵かきノートが出てきて…。著者が小学生から高校生にかけて、認知症の祖母と暮らした実体験をまとめたエッセイです。
『今の私にできること』
ウダ・タマキ
仕事一筋だった男性が直面する妻の認知症。男性は家庭を顧みず仕事ばかりだった。子どもたちが巣立ち、定年退職後も働き続けた男性がようやく老後を意識し始めた矢先、妻の認知症に直面することとなった。男性は自分の人生を悔やむ。先のことが想像できず、不安ばかりが男性にのしかかるのだった。
『フェイスシールドの向こう側~私にできること~』
川島あゆみ
「先生、ちょっと診て!」「なんですかー? 私は先生じゃなくって管理栄養士ですよー」勤務先の施設で、朝礼後に交わすAさんとの会話は、ここ半年の恒例になっていた。Aさんは認知症のある高齢女性だ。簡単な意思疎通なら問題なくでき、冗談で笑い合うこともあった。
『いい子だね』
太田ユミ子
五十年前、友子が小学生だった頃の想い出。友子は母と二人暮し。毎年夏休みに奈良から静岡の母の実家に帰省した。ある日、実家の寝たきりのおばあさんから友子はお小遣いをもらう。でも、それは母の「セッちゃん」にあげたお金だった。おばあさんは認知症で、友子を母のセツだと思いこんでいた。
『ハナちゃんの散歩』
社川荘太郎
ハナちゃんがまたいなくなった。高校から帰ってすぐ、私は疲れた表情のお母さんにそう告げられた。七十四歳のハナちゃんは私の祖母で、まだ五月なのに行方不明になるのは今年に入って三度目だった。
『おばあちゃんのように生きたい』
板倉萌
私のおばあちゃんは97歳。私が産まれた時から一緒に暮らしてきた。今は近所の特別養護老人ホームに居る。私の両親は教師で、朝早くから夕方遅くまで働いていた。でも、家にはおばあちゃんがいつもいてくれたから、幼い頃から寂しい思いをしたことはなかった。