「先生、ちょっと診て!」
「なんですかー? 私は先生じゃなくって管理栄養士ですよー」
勤務先の施設で、朝礼後に交わすAさんとの会話は、ここ半年の恒例になっていた。Aさんは認知症のある高齢女性だ。簡単な意思疎通なら問題なくでき、冗談で笑い合うこともあった。
彼女にとって私は、どこかで会ったような気がする初対面の医者だ。けれども、何度間違えられたって、なんのことはない。認知症は無理に治すものでなく、寄り添うものだと知っていれば、当然と思えるからだ。それどころか、毎日が初めましてであることに、新鮮ささえ感じられるようになってくる。
新型コロナウイルスが流行し始めた春先のことだった。施設の感染対策として、マスクに追加してフェイスシールドが導入され、対面業務での着用が必須となった。また、着用中も近距離での会話はなるべく控えるようにとの指示もあった。視界が悪く、仕事もしにくいけれど、命を守るためには仕方がない。朝礼からしっかり着用し、職員同士で「物々しいね」と話しながら業務に入った。いつものようにフロアへ行くと、
「先生、ちょっと!」
と、Aさんに呼び止められた。嬉しさ半分、戸惑い半分、どう返事をしようか考えた。そして、少し離れたところから、
「はーい! どうしましたか?」
と言った。けれども、耳の遠いAさんは、
「聞こえないよー!」
と答えるばかり。困った私は筆談を思いついた。Aさんは早く要望を伝えたがっている。その姿に焦り、急いで、
『なんですか? 私は栄養士です』
と書いた。すると、しばらく文面を見つめたあとに、
「なんだって? 栄養士だから関係ないってこと?」
と返された。そんなつもりはなかったけれど、想像以上の剣幕に気圧された私は、その場に立ち尽くしてしまった。謝罪と要望を聞く文を書いたときには、すでにそっぽを向いてしまっていた。
その日は、一日中Aさんのことが頭から離れず、胸がズキンと痛んだ。どうしてあんなに怒ってしまったのだろう。そう思って筆談を見返すと、冷たい印象に驚いた。
『なんですか? 私は栄養士です』
これでは、確かに突き放されているような気持ちになるかもしれない。
『どうなさいましたか。私は管理栄養士ですが、なにかできることはありますか』
そう書いたなら、いくらか違っただろうか。そんなことを考えているうち、私は筆談について調べていた。さまざまな情報を見たけれど、ポイントは、短く簡潔に、というものが多かった。話し言葉をそのまま書くのは、時間がかかりナンセンス……。そうであるならば、私の筆談は必ずしも間違いではなかったはず。もやもやしながら調べ続けていると、次のような文章を目にした。
『丁寧に伝える気持ちや敬語に込める気持ちは、筆談したメモを相手に提示するときの表情や指さしなどで、充分補える』
これを読んだとき、合点がいった。あのとき私は、Aさんから離れて話した。そして、マスクにフェイスシールドまでつけ、急いで筆談をした。だから、いつもの声のトーンや表情が伝わらず、物々しい仮面の人に冷たく対応されたと受け取ったのだろう。そう考えると、Aさんは不愉快だったろうし、怖がっていたかもしれない。申し訳ない気持ちでいっぱいになった。けれども、今さら謝りに行くことは、彼女に嫌なことを思い出させ、混乱させてしまう。だから私は、次の朝ひと工夫して、初めましてのあいさつをしようと考えた。彼女との会話はいつもほとんど変わらない。それはつまり、事前にいくつかの定型文を用意しておけば、すぐに対応できるということだ。私は、ミツバチと花のイラストで彩ったフリップを作った。
そして翌朝、Aさんのところへ行った。昨日のことはもちろん、私のことも覚えていない様子の彼女は、
「先生!」
と言った。そこで私はすかさずフリップを取り出した。
『どうなさいましたか』
すると彼女は、
「足が痛くてね」
と話したので、今度は、
『私は管理栄養士ですが、なにかできることはありますか』
と書かれたフリップを出した。
「管理栄養士じゃ、足は治せないね」
あきらめたAさんを見ると、笑顔が戻っていた。その瞬間、私もホッとして嬉しくなった。
新型コロナウイルスが流行している今、さまざまな場所で、同じようなことが起こっていると思う。フェイスシールドという、たった一枚の透明な板によって、ウイルスだけでなく、心も隔てられてしまうとは、思いもしなかったことだ。けれども、この経験から、声や表情が持つ力を改めて知ることができたし、安全を確保しながらコミュニケーションを取るにはどうすれば良いか、考えるきっかけにもなった。ウイルスの流行も、認知症になる将来も、予想できた人はいないはずだ。誰もが自分らしく生きられる未来のために、これからも私になにができるのか考え、実践していきたい。