SOMPO認知症エッセイコンテスト

『笑ってともに生きる認知症』平川佳代子

 
 そもそも義父の認知症がひどくなったのはお隣が火事で全焼し、義父の家も延焼で住めなくなり、建て替えを余儀なくされてからだった。
 お隣の火事の原因は高齢の方が車椅子で移動していて石油ストーブを倒したからだ。考えたら、どこの家だってそんな事故はあるかもしれない。責めることなんてできない。と頭では分かっていても、なかなか心情がついていかない。
 結果、家を建て替える間、我が家に義父母は三か月住むことになった。既に義父に、軽い認知症は出ていた頃だった。
 息子は義父にとても可愛がってもらい大きくなった。つまり、とてもお世話になった義父である。
 しかし、最初我が家に義父が来たとき、
「わしの印鑑がない。」
 と探し始め、私のバックをひっくり返した。正直、これはきついと思った。義父には息子を可愛がってもらい、ずっと感謝していた。優しい義父である。
 三か月の間、本当にいろいろなことがあった。辛いこともあったが、笑えることもたくさんあった。
 お風呂に入る時、毎日、
「佳代子さん、お風呂はどこにあるんや。」
 と聞いてくれる。まるで我が家が邸宅のようで何だか嬉しくなる。お風呂に行こうとガラスの仕切りを通ろうとしたこともあった。その時は、ガラスはピカピカに磨かんほうがいいんやと思った。少し汚れていた方がガラスがあると分かりやすい。ガラスを通過しようとしたことを息子に伝えたら、
「おじいちゃん、かっこええやん。」
 とえらく感心していた。笑える出来事が少しずつ増えていった。
 またお風呂の話だが、義父だけ一人で入るのは心配だと思った義母が、義父と一緒にお風呂に入ることになった。義父は、
「一緒に風呂に入るんか。新婚以来やなあ。」
 と、とても嬉しそうだった。義母は、
「あほか。」
 と怒っていたが。我が家は爆笑だった。
 義父は、認知症だが健脚で十キロくらいはさっさと歩ける。健康のため、近くのスーパーに買い物を頼んだ。もちろん、メモを持って。鍋の材料が書いてあった。一軒目のスーパーでほとんど買い物は揃ったが、マロニーだけがなかったらしい。そこで、二軒目のスーパーに行った。考えたら、マロニーなんて別になくても問題なかったのだけれど。根が真面目な義父は二軒目に向かった。そして、また、メモ通り買い物を始めた。結局、二回分の鍋の用意を重そうに持って帰ってきた。義母は、しまったという顔をしていたが、息子は、
「ええやん。誰にも迷惑かけてないし。おれらも、鍋二回食べられるし。」
 その時、ええ息子もったなあと思えた。義母も、ええ孫やという顔をしていた。
 義父の行動は、意表を突く。笑えることも多い。でも、これから認知症がもっとひどくなると笑っていられないかもしれない。それでも、お世話になった義父を家族みんなで大切にしていきたい。
 三か月の同居生活が終わり、両親は建て替わった家へ戻っていった。義父は、
「いつになったら、家に帰れるねん。」
 と言っているらしいが。義母は大変だ。でも家族みんなで支えて、笑ってともに生きていく、を目標に日々を暮らしていきたい。