「だぁれ? 分かんないねえ」
そういってキョトンと首をかしげる。その無垢な眼差しは何を見つめているのだろうか。
「おばあちゃん、わたし。孫の、か、よ、こ!」
おばあちゃんとの会話は、いつだって自己紹介から始まる。
おばあちゃんがお世話になっている老人ホームへ暇を見つけては足を運んでいる。八十歳の誕生日を迎えた直後に足を痛めたことと、少しずつだけれど認知症も進んでいった。祖母の記憶 は、厚ぼったい雲に覆われている。うっすらと日が差すようなこともあるけれど、その日差しはとても心許ない。
誰だか分からない、と首をかしげる祖母を見るたびに、ちくりと胸を刺されるような気分に なった。裁縫の宿題をしていたときに、私が針で手を刺してしまったことがある。ちくりとした痛みの後に、ぷっくりと血が膨れ上がってきた。そばで見ていたおばあちゃんは「かよちゃん、ヘタッピだねえ」と笑いながらも、消毒液と絆創膏を持ってきてくれたのに。その話をしても何のことだか分からないとそっぽを向く祖母。ちくりと傷んだ小さな胸を、どう手当てすればいいのか分からないこともあった。
それでも、何度も通ううちに、私はひとつ決めたことがあった。会うたびに、初めましての自己紹介をすればいいんだ。そうして、毎回、少しずつ仲良くなればいい。
「今日はね、おばあちゃんの好きな抹茶アイスをもってきたからね」
「ふぅん」
噛み合っているような、ずれているような。ふわふわと足元のおぼつかない、雲の中を散歩しているような会話が続く。
はじめのうちは、もどかしかった。幼い頃から一緒に遊んでくれた思い出ばかりが頭を過ぎる。道に迷って途方に暮れたような祖母を、どうにかして連れ戻したいと、思うことすらあった。
ーー幼い私が迷子になって、抱きしめてくれたあの日のように。
私を探すために、あちこち駆け回ってくれたらしく、髪はぐちゃぐちゃで、額にはたっぷりと汗をかいていた。それでも私の姿を見つけた途端に、心底ほっとした様子で「かよちゃん!」と大声を出して駆け寄ってくれた。ぎゅうっと私を抱きしめて、背中を何度もさすってくれた。私もおばあちゃんに会えたことで我慢していたものが堪えきれず、わあっと声を上げて泣いたのを覚えている。何度もさすってくれた手のひらが、熱かったことも。
あの日おばあちゃんがしてくれたように、わたしにもできればいいのにと思っていた。漂う記憶の切れ端をつなぎ合わせて、雲の中で迷って見える祖母の手を取って引っ張ってあげられたらいいのに、と。
けれど、足を運ぶうちに、その思いは変わっていった。迷っているように見えるけれど、そうじゃないんだ。
「きれいなお花ねえ」おばあちゃんが好きなお花をお土産に持っていくと、きゃあきゃあと嬉しそうな声をあげる。大好きな抹茶のアイスクリームを一緒に食べると、口の周りをベタベタにしながらも、とても嬉しそうだ。
迷っているのではなく、初めて足を踏み入れた雲の中を探検しているのかもしれない。小さな虹を見つけてはしゃがみ込んでじっと見つめたり、つばめの後を追いかけてみたり。
ーーそう、迷子になったあの日のわたしと同じように。
おばあちゃんと少しでも同じ時間を過ごせるのなら、それだけでいい。雲の中にいるおばあちゃんの手を取って、一緒にはしゃいでもいい。同じところでぐるぐる回っていてもいいんだ。少しずつだけれど、そんな風に思えるようになった。
「じゃあね、おばあちゃん。またくるからね」
帰るとき、わたしは決まってやることがある。それはおばあちゃんの手を握ること。痩せて骨が浮かび上がっているけれど、その手は変わらずに熱い。祖母の手をきゅっと両手で包み込み、その温もりを記憶する。いつまでも、忘れないように。