西川美和
映画監督。1974年、広島県生れ。2002年オリジナル脚本・監督デビュー作となる『蛇イチゴ』で第58回毎日映画コンクール脚本賞を受賞。‘06年公開の『ゆれる』はブルーリボン賞監督賞ほか数々の映画賞を獲得。’09年には長編三作目の『ディア・ドクター』が公開され、二度目のブルーリボン賞監督賞、芸術選奨文部科学大臣新人賞をはじめ数多くの賞を受賞し、同年のキネマ旬報ベスト・テンで日本映画第1位となった。‘12年に『夢売るふたり』公開。その他小説作品に「ゆれる」「きのうの神様」「その日東京駅五時二十五分発」がある。
『永い言い訳』西川美和(文藝春秋 2015年2月25日)
「愛するべき日々に愛することを怠ったことの、代償は小さくない」
長年連れ添った妻・夏子を突然のバス事故で失った、人気作家の津村啓。悲しさを“演じる”ことしかできなかった津村は、同じ事故で母親を失った一家と出会い、はじめて夏子と向き合い始めるが…。
突然家族を失った者たちは、どのように人生を取り戻すのか。
人間の関係の幸福と不確かさを描いた感動の物語。
ー新刊『永い言い訳』拝読させていただきました。まずは、この物語を書かれたきっかけを教えていただけますでしょうか。
2011年の東日本震災から半年ほど経過した頃、被災して家族や仲間を失われた方々の痛ましい姿を報道で目にしました。それについて、気の毒だと感じながらも、綺麗なエピソードばかりが伝えられることに違和感を感じたんです。人間同士の関係性は綺麗な形ばかりではなく、後味の悪い別れ方をしたまま相手が帰らぬ人になってしまったという不幸も、あの突然の災厄の下には少なからず存在したのではないかと。そしてそういう「暗い別れ」は誰にも明かされず、打ちあけられないままに埋もれていったのではないかと。私自身が普段、身近な人に対してぞんざいな態度のまま別れるということも多いのでそう思ったところもあるのかもしれません。
それで私は、大きな悲しみの物語が大声で語られている下で封じ込められた、誰にも言えないような別れ方をした人の話を書いてみようと思ったんです。最初はそれがきっかけでしたね。
ー物語の主人公である衣笠幸夫(作家名:津村啓)は冷めた関係になっていた妻を突然のバス事故で失います。同じ事故で愛妻を失い、溢れ出る悲しみや怒りを露わにする大宮陽一とは対照的に、幸夫は涙を流すことさえできませんでした。ただ、幸夫が悪人であるかというと決してそうではなく、自分勝手で薄情で自己愛に溢れみっともない男のようでいて、愛すべき存在のようにも感じました。
幸夫は、内面性がこうであってはいけないな、という性質を集めたような男ですね(笑)。私自身もそういう部分をたくさん持っていますし、他人のそういうところに敏感だったりもします。ただ、みんなそれを隠したり上手くコントロールしながら生きているのですが、自分の中にそれを発見して、狼狽えたり葛藤したりするのもとても人間らしいことだと思うので、今作では、人間が持っていて美しくないような要素を集めた人物を書きたいと考えていました。
ー幸夫が小説家として食べていけなかった時代、妻に支えてもらっていたことも、より彼の内面をねじ曲げることになり夫婦の関係性を難しくしていました。
人の善意が善意として伝わり切らなかったり、感謝の気持ちがねじ曲がってしまうことってすごく多いですよね。悪意だけが関係性を悪くしたり事態を悪化させるのではなく、良かれと思った行動までもがおかしなことに繋がってしまうことがある、というのが人生の難しさだと思います。もともと愛し合っていなかった夫婦や家族なんて無いはずなのに、どうしてその結果がこんな風になってしまうんだろう、ということにみんな悩むし、自分の愚かさに情けない気持ちになるし、孤独を感じることもあるでしょう。そういう人間の悲しさを丁寧に書きたいという気持ちはありました。
ータイトルの“永い言い訳”について、何に対しての言い訳なんだろう、考えたときに、 “亡くなった妻への言い訳”、“妻を愛さなかった過去への言い訳”、“妻が亡くなったにも関わらず悲しむことができない自分への言い訳”、““自分が生きていることに対する言い訳”などが思い浮かびました。書籍『夢売るふたり 西川美和の世界』(文藝春秋編 2012年)では、“タイトルをつけるのがてきめん苦手”と書かれていましたが、今回はどのように決めたのでしょうか。
今のお話を伺って、このタイトルにはそういう意味があるんだな、と逆に教えてもらったような気がします。私は本当にタイトルをつけるのが苦手で、タイトルを決めてから本編を書き始めるということがあまりできないんです。
今回も第一章、第二章と書いて、第三章を書いている途中に、改めてタイトルについて考えたとき、第一章に出てきた“長い言い訳”というフレーズがピンときたんですよね。うまく言葉で説明できないんですけど、これなんじゃないかな、と。第一章の本文では”長い言い訳”なんですけど、この物語において幸夫は、これから生きていく限り言い訳を繰り返していく、ずっと繰り返さざるを得ない、ということでタイトルでは”永い”としました。そういう決め方をしたので、読んでくださった方からいただく様々な感想に、その通りだな、と思わされることが多いですね。
あとは、“永い言い訳”という言葉自体は、非常にみっともないですよね。“言い訳が永い”ということが。主人公の幸夫は非常に愚かな人間なので、そういう人間の話なんだ、というところがわかりやすいかな、という理由もあったかもしれませんね。
ー自己中心的で愚かだった幸夫が、物語の最終章で“人生は他者だ”と思い至る場面は印象的でした。
書いている途中で”人生は他者だ”という言葉に行き着いて、私はこれを書こうとしていたんだな、この言葉が物語の軸になっていけばいいんだな、と気づきましたね。さらに、書き終えてから本の帯文を考える会議である人に、「若い人にとっては“人生は自分だ”なんです。そして、年齢を重ねるごとに“人生は自分だ”じゃなくて“他者だ”と気付いていくんですよ。」と言われてすごく腑に落ちました。この物語は、“人生は自分だ”と思っていた人間が、“人生は他者である”ということに気付いていく物語なんだな、と。
ー物語自体は夫婦の話ではあるんですが、本を読んでいて独身の私(インタビュアー)は両親のことを思い浮かべました。
結婚しているとかいないとか子供がいるとかいないとか、そういうことではなくて、違うシチュエーションだけど、今自分が関わって生きている人に対して自分がどう関係できているのかということを、物語を読んで考えてもらえると嬉しいですね。
ー『永い言い訳』には視点がガラリと変わる章もあります。“幸夫の愛人の編集者”や“幸夫を撮るアシスタント・ディレクター”などの独白によって、物語はより重層的で魅力的な作品になっていると感じました。執筆中に意識されたことはどんなことでしょうか。
視点の切り替えは事前に計画していたことではありません。最初は一人称の“ぼく”から始めましたが、自分にはこれだけの長い物語をゼロから書くという経験がなかったので、“ぼく”だけだと体力的、筆力的に最後までもたないなと思いました。それで、次は三人称に置き換えてみると、衣笠幸夫の一人称では見えていなかったものが描けたわけです。それでも私は書き切る自信が無いと感じ、じゃあ次は奥さんの視点で、と書き進めていきました。そうすると自分自身も飽きないし、小説ならではの、映画では難しい視点の切り替えや、別の人間の内面に入るということができるな、と思ったんです。書きながら今まで出てきたどのキャラクターに飛んだら面白いかな、と日々模索していましたね。
ーその他の脇役たち、“いかりくん”、“検死の警察官”、“お尻を出すトラック運転手、”弁護士“、みんな魅力的なキャラクターでした。
小説は、脇が膨らんでもそれを脱線だと思わないで読めていくから自由に描けるんですよね。映画でそういうことをするととっ散らかってしまうので、登場人物は最小限に絞ってしっかり描いていくという方が観やすいんですけど、やっぱりいわゆる脱線みたいなことが自由にできるのが小説のいいところですよね。
ー映画と小説の違いについて、さらにお話をお伺いしたいと思います。私たちブックショートは、短編小説を公募し、大賞作品をラジオ番組やショートフィルムにするプロジェクトです。西川さんはかつて別のインタビューで、「映画は妻、小説は愛人」とお答えになっています。そのお考えについて詳しくお聞かせいただけますでしょうか。
あまり変わっていないですかね。やはり映画には、監督として家庭でいうところの家長的な責任があり、一番大事で一番力を入れているし、それが無ければ自分は無いと思っています。プレッシャーは大きいですけど。それに比べると小説は気楽ですね。恋愛を楽しんでいるような感覚かもしれません。ただ、そうは言っても、小説ももう10年近く書かせてもらって、付き合いも長くなってきているので、楽しい、だけではなく、関係もコクを増しているところはあります。結局、映画という大きなものを抱えている不自由さがあるからこそ、小説の自由さや楽しさ、そして孤独さをよく味わえているので、今どちらかだけを選ぶというのは無いですね。
ーまた、ブックショートの短編小説公募テーマは、昔話や民話、小説などをアレンジした(二次創作した)作品です。西川さんは、夏目漱石の『夢十夜』をモチーフとした『ユメ十夜』の第九夜や太宰治の『駆け込み訴え』を監督として撮影されていますね。
やはり元の作品が素晴らしいと、作っていてとても気持ちがいいですね。オリジナルのものは、自分ではいい作品だと思って全力で書いているんですけど、他人がどう思うかはわからないという不安感が常に付きまといます。だから、他人が書いたテキストに自分が惚れこめているというのは大きな安心感がありますし、幸せなことですよね。太宰の『駆け込み訴え』なんて、高校生の頃から大好きな小説だったので、作っていて本当に楽しかったです。原作が素晴らしいということはこんなにいいものか、と。そういう気楽さ、大船に乗る感覚がありました。
ー二つの作品をアレンジしてみていかがでしたか。
『駆け込み訴え』は朗読劇で、元のテキストを編集して短くしてもいいんだけど原文を変えずに朗読させるという作品。かたや『ユメ十夜』はドラマで、脚色してシナリオに起こして作るもの。私にとってどちらがいいかというと、『駆け込み訴え』の方がいいんですよ。なぜなら素晴らしい文体をそのまま活かせるから。『ユメ十夜』は、文章のどの部分を切り取ってもよかったんですけど、あれほどまでに美しい漱石の文体を自分で映像に置き換えて具現化するのは非常に難しいと感じました。それに比べると『駆け込み訴え』は、朗読で文体をそのまま表現できたので、映像がどれだけ暴れても面白くなるという自信がありましたね。
ー今後、撮ってみたい、書いてみたい作品はありますか。
映像化したいというわけではないんですけど、最近、太宰治の『御伽草子』を読み直して、そのなかの浦島太郎がとても面白かったですね。昔話をアレンジすることは、アイデアや時代性といった要素が加わって面白いと思うので、現代の人がやるのもいいんじゃないかと思いますね。
ー最後に、小説家を志している方(ブックショートに応募しようと思っている
方)にメッセージいただけますでしょうか。
書きたいと思えていることこそが宝だと思いますね。あとは、最後まで完成させることが一番大切。書きたいと思うところまではみんなあるかもしれないんですけど、思ったら最後まで着地させることです。壁に当たって、駄目かもと諦めてしまったらきっと書き手や作り手にはなれないんだと思います。壁にぶつかってもそこからゴリゴリと額で押していく。私なんて毎日ぶつかっていますから。書いていてすんなり上手くいった日なんてないですからね。だから、書きたいと思ったら着地するまで最後までやり通してもらいたいです、ぜひ。それしかないと言っても過言ではありません。
ーありがとうございました!
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