町田康(まちだこう)
一九六二年一月十五日、大阪府生まれ。作家、パンク歌手。府立今宮高校に入学した七七年、パンクロックに触発され級友らとグループを結成、貸しホールや公民館で演奏会を開く。七九年、グループ名を「INU」と定め、京都大阪、渋谷吉祥寺などで演奏。高校を卒業した八〇年頃より町田町蔵を名乗り、八一年三月「メシ喰うな」でレコードデビュー、八月にINU解散。以後もさまざまな名義で音楽活動をつづけている。また八二年の「爆裂都市 BURST CITY」、九五年の「エンドレス・ワルツ」など映画俳優としても活躍。父を亡くしたその九五年、編集者にすすめられて小説を書きはじめ、翌年発表した処女作「くっすん大黒」で九七年Bunkamuraドゥマゴ文学賞、野間文芸新人賞受賞。以後二〇〇〇年「きれぎれ」で芥川賞、〇一年詩集『土間の四十八滝』で萩原朔太郎賞、〇二年「権現の踊り子」で川端康成文学賞、〇五年『告白』で谷崎潤一郎賞、〇八年『宿屋めぐり』で野間文芸賞受賞。小説・随筆・詩集など著書多数。
『常識の路上』町田康(幻戯書房 2015年8月26日)
3.11を挟んだ単行本未収録原稿を集成。3年振りのエッセイ集。「でもワイルドサイドを歩け。つか歩く」
─新刊『常識の路上』(幻戯書房)には、旅、作家、小説、猫、フェイスブック、説明責任、エコロジーなど様々な題材のエッセイが収められていて、とても読み応えがありました。まずは、エピグラフについてお伺いさせてください。「誰も来ない。誰とも出会わない。二千年以上ここに立っているのだけれども。」という文章には、孤独感や寂寥感が漂っているような印象を受けました。この序文に込めた思いを教えてください。
本のタイトルである『常識の路上』はもともと、ケルアックの有名な小説『路上(オン・ザ・ロード)』の解説文として書いた文章のタイトルでした。それで、今回全体のタイトルにするにあたって、この言葉からもう一度別の意味を導き出してみようと思い、このエピグラフを考えたんです。
僕は、「常識」という言葉って面白いなと思っています。よくみんなが、「それは常識だろ。」と言っていることが、果たしてどの程度の期間常識であり続けるのか疑問ですし、「そんなのここでは常識だよ。」と言われるようなことが、例えば同じ会社の社員であっても部署が違ったら全然違っていたりもしますよね。だから、「誰も来ない。誰とも出会わない。」という言葉は、もしかしたら一人一人が常識だと思っていることが全部違うのではないのかな、常識の路上というものがあるとして、そこに立っていても、誰とも出会わないのではないかなというようなことを考えたわけです。
ただ、これは意味をどうとでもとれるオープンな文章なので、みんながこの本を読んで、それぞれの考えのなかで、こんな意味なのかな、と受け止めてもらうのもいいかなと思っています。
─収録されているエッセイのなかには、小説を読んでいるかのように感じられる作品がありました。小説を書くときとエッセイを書くときの意識の違いはどのようなところにあるのでしょうか。
まず、僕は何をやるときにもジャンルを意識しないでやるところがあるので、例えば、「小説を書くから小説のような書き方をしなければならない。」とはあまり思わないんですよね。特に、散文を書くときはジャンルの境界が曖昧になるような傾向が昔からあります。自分では随筆を連載していたつもりが、だんだん小説的になっていって、出版社が勝手に小説と銘打って出してしまうということもありました(笑)。
書くときの意識の違いに関しては、実際の出来事をそのまま書くか、変えて書くかという差異はあると思いますが、僕は随筆でもけっこう変えて書いていますから、結局あまり変わりはないのかもしれませんね。
─作者-語り手-主人公の関係性についてはいかがでしょうか。
その関係性を整理したら面白くないと思うんですよ。そこを完全に整理して、作者の立場、語り手の立場、主人公の立場と決めてしまえば、わかりやすいのかもしれないんですけど、決まりきった形になっしまうような気がして、あえて整理しません。自分が作者なのか語り手なのか主人公なのかよくわからない混ざったような状態の方が、面白いものが書けるような気がします。
─小説『告白』(中央公論新社)のなかでは、地の文で語り手が、登場人物についての感想を述べる場面がありました。
『告白』のように作者が主観を述べるという手法は、小説ではあまり一般的ではありませんが、そこであえて作者としてツッコミをいれるというのは、一つのやり方ですね。小説的なテクニックや随筆的なテクニックというものがありますが、僕は、小説的なテクニックだけで小説を書いていたら面白くないから、そこに随筆的テクニックを入れるとか、随筆的なテクニックでばかり書いていたらつまらないから、そこに小説的な技法を入れるとか、そういうことはわりと意識的にやっています。
『告白』町田康(中央公論新社 2005年)
人はなぜ人を殺すのか――河内音頭のスタンダードナンバーで実際に起きた大量殺人事件<河内十人斬り>をモチーフに、永遠のテーマに迫る渾身の長編小説。殺人者の声なき声を聴け!
─『常識の路上』のなかでとても面白かったのが、町田先生の思考が膨らんでいくところでした。例を挙げると、「東ベルリンで盆踊」というエッセイで、「私」のスーツケースを難儀しながらぶらさげてくれている登場人物「指南場所」に便利な曳き紐の存在を教えてあげるかどうか逡巡する場面や、スーパーマーケットで延々とドイツ語で議論する女性客と店員の会話の内容を空想するところです。
そこでは、思考がどんどん膨らんで空回りして止まらなくなってしまうわけですけど、何で面白いかといったら、その思考の中身自体が奇想天外なSFチックなことではなくて、普通の人が普段から考えているようなことだからだと思うんですよね。「いや、そんなこと考えていない。」という人もいるかもしれないですけど、人間はいちいち意識しませんが、実は一瞬でかなり多くのことを考えているような気がします。それを丹念に言葉にしていくことは、とても重要なことなのではないかと思っています。
─また、“自分の言葉で自分を納得させる”場面も読んでいてとても楽しかったです。例えば、ドイツのホテルにお風呂がなかったときの「これからはシャワーの時代だ」から、シャワーの水勢が弱かったことに対して、「なにがシャワーだ。そんなのはもう古い。クソだ。これからはじょぼじょぼの残尿を浴びて酷寒のベルリンで風邪を引いて客死というのが渋い時代だ」という流れです。
そうですね。それは思想や宗教に似ているのかもしれません。思想や宗教も、突き詰めていくと自分の状態や魂のあり方に理屈をつけて肯定するために存在するものですよね。色々な理論を作って精緻な学問の体系になっているのでしょうけど、最終的には自分たちの行為の正当性を、教義によって、言葉によって、裏付けようということです。
このエッセイで書いていることもそれと同じようなことだと思います。状況が追い込まれていっているにも関わらず、言葉によって追い込まれていないことにして、最後には破滅に至るという(笑)。それを喜劇的に書いているのですね。パンクというのは実は冗談です。宗教や思想は建前です。
それで、ここでのポイントは何かと言うと、この人が「シャワーの時代だ。」と言っていることに何の根拠もないということですね(笑)。だから、読者がそいつを馬鹿だと言って笑えるわけです。でも、それが賢い神学だったら、神学者が勝ってしまうから面白くない。こいつは馬鹿にできるからいいんです。こいつって僕のことなんですけどね(笑)。
─小説について書かれているエッセイも収録されていました。“作者が作品に対して超越的で、作品の世界を自由にコントロールしていれば、猫の死も人の死も悲しくもなんともなく、単なる死という言葉である。しかし、作者が作中の世界を、我々がこの現実を生きるのと同様に生きていれば、その死は作者にとって、そして読者にとっても痛切なのである。”という言葉は印象的でした。「作者が作中の世界を生きる」ということについてお伺いさせてください。
たとえば、『告白』という小説は明治時代の河内を舞台とした話ですけど、僕自身は明治に生きていないし、河内に住んでもいない。だけど、それを超えてなお作中に生きるということが大事なのだと思います。僕は、演劇や演技のことはよくわからないのですが、それは、俳優がその役になりきるのに似ているのかもしれません。もちろん小説の作者ですから、一人の人物になりきって、他の人物をおろそかにするわけにはいかないんですけど、その小説世界の住人の気分というのを全てわかって、その世界に入りきるということが大事なのではないでしょうか。他人事として書いていたら、響かないと思うんです。
─小説の世界に入りきるために必要なことはどんなことでしょうか。
資料に当たることもバックグラウンドとしては当然必要だと思うんですけど、きっと、真面目にやること、小説世界の人を人と思うということが大切なのではないでしょうか。「自分でどうとでも書けるからこんな奴どうでもいいよ。」と思わずに、その人の気持ちになって考える。「こいつは単にここで死ぬ役だからあんまりもの考えんと殺されてな。」と、パッと「死んだ。」と書くのではなくて、自分が本当にその人だったらどうするか、どう思うかを考えるということだと思います。あるいは、ある風景を見たときに、その見え方は感情によって変わってきますよね。だから、その人はその時どんな風景を見ていたのかなと考える。そうすることで、そこの景色が浮かび上がってきたり、それをやっているうちに、この人はこんなことを言うのではないかとセリフが浮かんできたりします。そして、そのセリフを書くことによってまたストーリーが変わるわけですよね。だって、生きている人間が何か言ったら現実は変わるじゃないですか。例えばいまあなたが私に『お前アホ殺すぞ。』と言ったとしたら、この場所の空気感が変わりますよね(笑)。つまり、ストーリーが変わっていくということです。ストーリーというのはそのようにして考え練られなければならないのだと思います。
─また、小説を書く理由について、“私はこの世に、この世ならぬもの、を現出したかったのだ。自分や他の人の頭の中に多分あって、この世にないものを、この世に見たかったのだ。”とも書かれています。
「この社会はバビロンで病んでいるから、もっと正しく美しい弥勒の世を作るんだ。」という考え方は革命または信仰ですよね(笑)。そうではなくて、僕は、現実は現実で認めて、「あったかもしれない一秒後の世界」や、「似ているけど少しだけ違う世界」のことを言っています。そうでなければ、自分で実感できないですよね。
たとえば、誰かの顔の絵を描いたとして、それはもう一人のその人、もう一人の自分、もう一人のあなたじゃないですか。それが「もう一つのあったかもしれない世の中」ですよね。それは、現実と比べて、希望の方にずれているのかもしれないし、絶望の方にずれているのかもしれないけど、可能性ですよね。僕は、その可能性を追求するのが小説だと思うんです。
─それは、「あの時こうしていたら……」というifの世界とはまた違うものですか。
それは可能性の世界というよりは、世の中の時間が一本の線に流れていて、右に行くか左に行くか、あるいはまた別の道か、というイメージですよね。そうではなくて、小説の「もう一つのこの世」というのは、同じ空間にあってずれているという感じです。「あの時、もし……」というのも、一つのやり方かもしれないですけど、僕はあまり興味を惹かれません。それだと、よくある単純な願望になってしまったり、下手したら小説で考えなくても、条件さえ細かく設定していけばコンピュータで解析した方が分かりやすい世界になるのではないかという気がします。
─話題が変わりますが、私たちブックショートは、「おとぎ話や昔話、民話、小説などをもとに創作したショートストーリーを公募する企画です。町田先生の作品にも、「河内十人切り」を題材とした『告白』や「付喪神」、『100万回生きた猫』のトリビュート「百万円もらった男」などがあります。先行作品を題材に、新しい作品を書くことについて、お考えを教えてください。
すでに書いた作品もありますが、今一番熱心にやっているのが、文芸誌「文藝」(河出書房新社)で連載している『ギケイキ』です。元の作品『義経記』は、源義経が主人公の室町時代に成立した説話文学ですね。この設定を少しだけ変えて、『義経記』通りに巻一から巻八まで辿っていくという作品で、今巻四まで書いたところですが、「文藝」は季刊誌なのでこのペースで行くと、終わるのが2021年になります(笑)。
あとは、『源氏物語』の「末摘の花」の書き換えをしたことがあります。そういえばこの間、『女たち三百人の裏切りの書』という『源氏物語』の「宇治十帖」の書き換えをした古川日出男さんと対談したのですが、その小説のなかに「隙見」という言葉がありました。物語があると、“ここ”と“ここ”の間に隙間があるので、それを埋めることによってまた別の物語やずれが生じて面白いという話で、僕もまさにその通りだと思っています。説話には物語にすごく“間”がありますよね。ストーリーに飛躍があります。その飛躍と飛躍の間を埋めていくことによって、ものすごく面白い話やカラフルな話になったりするんです。
─なるほど。
普通そういうところは、みんなが素通りしてしまいます。でもそこでは、みんな真っ直ぐ行ってしまったけど、「実はこんな途轍もないものがあったんだよ。」と書くことができるんですよね。『桃太郎』なら、きびだんごを配っていくところだけでも実はものすごく色々なことがあったり……と考えていくと楽しいですよ。だから、話の筋を弄ってやろうとか、自分なりの解釈をしてやろうとか、今まで誰も考えなかった、実はこうだった、みたいなことを提示してやろうとか考えなくても、ただ単純に、元のストーリーを真面目に細かく見ていくことで、すごく面白いものができると思います。
─ブックショートの応募者にとって、とても参考になるお話です。
『ギケイキ』では、原文ではほんの数行程度の場面を、原稿用紙二十枚くらい書いたこともあります。そこが面白いですよね。
あと、こういう説話ものは、キャラクター、人格が特に与えられていないことが多いんです。性格の悪い人と良い人くらいの大雑把な類型しかない。だから、そこに人格を付与していくと面白いですよ。一言に性格が良いとか悪いとか言っても人間両面あるので、そういうところを書き分けていくと楽しい。具体的なコツのようなことを言ってしまっていますけど(笑)。
─ブックショートの大賞作品はラジオで朗読されます。町田先生はご自身の作品について、漫才、落語、浪曲、講談、など笑芸、語り芸の影響が大きいとおっしゃっています。エッセイでは、ベルリンで開催された日本文学祭での朗読についてお書きになられていましたが、そのほかにも様々な場で朗読をされています。朗読の魅力について、お考えをお聞かせください。
僕はどちらかというと、朗読を聴きに行くよりも、依頼されて朗読する方が多いですけど、わりと、お客さんは笑うところで笑ってくれます。別に笑わそうと思って、芸人みたいなやり方でやっているわけではないんですけどね。作者自身が読む自作朗読を聴くと、間合いや、区切るところ、ルビを振っていない漢字の読み方など、気づかされることがたくさんあって面白いと思います。
あと、朗読からは少し外れますが、僕は、ルー・リードが亡くなった翌年、2014年4月に宮城で開催されたARABAKI ROCK FEST.の「Night With LOU REED -Wild Side of ARABAKI」に参加しました。ルー・リードの曲を色々な歌手が歌うというステージです。はじめ、ルー・リードの英語の歌詞を覚えるのが面倒だったので、カタカナで覚えるだけ覚えて歌おうと思ったんですけど、あんまり上手く歌えなかったんですね。それで、駄目だと思って、英語は全然得意でないので間違った翻訳かもしれないですけど、ちゃんと歌詞の意味を自分なりに把握しようとしたんです。そうするとそれなりに歌えました。それで、言葉の意味を捉えて理解して歌わないと伝わらないということがわかりました。だからもしかしたら、自作朗読の魅力は、その文章で言おうとしていることの意味を一番わかっている人が読むことにあるのかもしれません。なのでアナウンサーや俳優がよい声で読んでいるよりも文章の抑揚や脈絡が、迫力をもって伝わるのではないでしょうか。
─最後に、小説家を志している方にメッセージいただけますでしょうか。
まずは自分が、なにを書きたいのかはっきりさせておいた方がいいと思います。誰が読んでもおもしろい、気の利いた物語を書いて生活したいのか、それとも文章そのもの、そのものを書きたいのか、ということです。もし前者であれば、なにも言えない。後者の場合でもなにも言えないのですが、作者として安全な位置にいるのではなくて、危険な領域であってもそこに行って、ちょっとやばいなと思うところまで、頭おかしいくらいの状態になるまでやることが必要かもね、とは思います。真面目にやると自然にそうなってしまう。つまり、真面目にふざけましょう、ということです。
─ありがとうございました。
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馳星周さん(2019.1.31)
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上野歩さん(2018.5.31)
住野よるさん(2018.3.9)
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藤野可織さん(2017.11.14)
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重松清さん(2015.12.28)
青木淳悟さん(2015.12.21)
長嶋有さん(2015.12.4)
星野智幸さん(2015.10.28)
朝井リョウさん(2015.10.26)
堀江敏幸さん(2015.10.7)
穂村弘さん(2015.10.2)
青山七恵さん(2015.9.8)
円城塔さん(2015.9.3)
町田康さん(2015.8.24)
いしいしんじさん(2015.8.5)
三浦しをんさん(2015.8.4)
上田岳弘さん(2015.7.22)
角野栄子さん(2015.7.13)
片岡義男さん(2015.6.29)
辻村深月さん(2015.6.17)
小野正嗣さん(2015.6.8)
前田司郎さん(2015.5.27)
山崎ナオコーラさん(2015.5.18)
奥泉光さん(2015.4.22)
古川日出男さん(2015.4.20)
高橋源一郎さん(2015.4.10)
東直子さん(2015.4.7)
いしわたり淳治さん(2015.3.23)
森見登美彦さん(2015.3.14)
西川美和さん(2015.3.4)
最果タヒさん(2015.2.25)
岸本佐知子さん(2015.2.6)
森博嗣さん(2015.1.24)
柴崎友香さん(2015.1.8)
阿刀田高さん(2014.12.25)
池澤夏樹さん(2014.12.6)
いとうせいこうさん(2014.11.27)
島田雅彦さん(2014.11.22)
有川浩さん(2014.11.5)
川村元気さん(2014.10.29)
梨木香歩さん(2014.10.23)
吉田篤弘さん(2014.10.1)
冲方丁さん(2014.9.22)
今日マチ子さん(2014.9.7)
中島京子さん(2014.8.26)
湊かなえさん(2014.7.18)