小林エリカ(こばやし・えりか)
一九七八年東京生まれ。作家・マンガ家。二〇一四年『マダム・キュリーと朝食を』で、第二七回三島由紀夫賞・第一五一回芥川龍之介賞にノミネート。その他の著書に、アンネ・フランクと実父の日記をモチーフにしたノンフィクション『親愛なるキティーたちへ』、作品集『忘れられないの』、放射能の歴史をめぐるコミック『光の子ども』(1〜2巻)など。
『彼女は鏡の中を覗きこむ』(集英社 2017年4月5日)
孫娘が祖母の遺したブローチを身に着けて、祖母の人生を追体験する「宝石」のほか、本が存在しない未来を描く「燃える本の話」など、いつか必ず死にゆく人間の儚さと確かさを描く、全4作の小説集。
─新刊『彼女は鏡の中を覗きこむ』とても楽しく拝読させていただきました。収録作品のなかから、まずは、「宝石」についてお伺いさせてください。この作品は、どのようなきっかけから生まれたのでしょうか?
最近、人工宝石に夢中なんです。地球という星の一部とも言える宝石を、人間が知能を結集して造り出すということは、つまり、科学の力で星を生み出すことと同じなのかもしれない……そう考えたら好奇心が湧いて。人工宝石について調べてみたら、昔から珍しい鉱石が採れるという福島県にある石川町猫啼が和泉式部の生まれ故郷で、彼女の愛猫がその地に湧くラジウム温泉に浸かり、病気が癒えたという伝説を知りました。さらに、その土地から出る鉱石を集めて、日本が原子爆弾を開発しようとしたという歴史を経て、敗戦後、GHQ占領下で放射能の研究が禁止されると、それに関わった科学者が、今度はその鉱石を用いた人工宝石造りを手がけた。そういう事実にたどりついた私は、千年前に生きた和泉式部と今を生きる自分、そして、千年後にも残るかもしれない放射性物質がつながったような気がしてとても驚きました。それで、『和泉式部日記』を読んで、和泉式部の生きた千年前と同じ春が今も訪れていて、千年後にも訪れるかもしれないと想像しはじめた。その頃からずっと、人工宝石の話を書きたいと思っていたんです。
─小林さんは、実際に人口宝石をお持ちですか?
持っています。造った博士の名前を冠した「イイモリストーン」と呼ばれる、まさに石川町の鉱石と科学の力で生まれた美しい人工宝石です。ある種のイイモリストーンは、一時期大量に出回っていたようですけど、天然ものが珍重される日本では人気が出ず、1990年代には製造中止となりました。ただ、アメリカのマニアの間では未だに取引されていて、私もeBayで購入しました。
また、私は、人工宝石とは少し異なるのですが、ウランガラスを見たことがあります。極微量のウランを入れて焼き上げた、紫外線を浴びると蛍光グリーンに発光するガラスです。19世紀末頃、ヨーロッパ貴族の間で流行し、現在でも熱心なコレクターがいるんですけど、本当に綺麗でとても惹かれた。そして、マダム・キュリーが、ラジウムが発する青白い光を「妖精の光」と呼んで、寝るとき枕元に置いていたという逸話を思い出しました。
─美しい光だったから。
もしいま、私がラジウムを目にしたとしたら、それがすごく放射線量が高くて危険なものだとわかります。だけどそれでもきっと私は、ラジウムを美しいと感じてしまうでしょう。同じように原爆も、とても恐ろしい兵器だということはわかっていても、初めてその実験を見た人は、とても綺麗だとも思ったような気がする。私は、そういう善悪を超えて美しさに惹かれてしまうという自分の気持ちにも興味があるんです。
─「宝石」には、<彼と寝ると美しさや若さが保てる>永遠に死なない石英という不思議な男性が登場し、彼を訪れる女性が後を絶たなかったとあります。
いつまでも若く美しく健康でありたいという願いが、とても普遍的な力を持っているのだと思います。かつて、ラジウムが癌治療に効くとわかったときに、健康や若さも手に入るかもしれないと人々が熱狂し、日本やヨーロッパで、ラジウム入りの商品が流行った時期ありました。ラジウムは非常に高価だから、偽物が売られたりもしたんですけど、もちろんなかには、本物もあった。ある大富豪が、ラジウム入りのお水を毎日飲んで、放射性中毒で亡くなってしまうという事故も起きたそうです。私は、そんなの馬鹿馬鹿しいと感じながらも、そういう心理が自分のなかにあることも否定し難い。それを、善悪ではなく書こうとした結果、石英という人物が生まれました。
─前作『マダム・キュリーと朝食を』や『光の子ども』と同様に、「宝石」も放射能が大きなテーマになっているかと思います。別のインタビューでもお答えになっておられましたが、放射能について書くことの思いをお話しいただけますでしょうか。
目に見えないものを紙の上に書き留めたいという気持ちが強いんです。マリ・キュリーの実験ノートにガイガーカウンターをかざすと、彼女の指紋が残っている部分が、今なお微かに線量が高いということがわかります。だけど、数値としては確実にあるはずなのに、見えない。同様に、歴史や記憶、人間の心の中も、たしかに存在するはずなのに、私たちの目には映りません。いま、私たちは、目に見えないものの時代を生きています。そのなかで、私は、そういうわかりえないものをどうやったら少しでも理解しようとすることができるんだろう、どうしたら紙の上に残すことができるんだろうといつも考えながら作品を書いています。
マリ・キュリーが、ラジウムの存在を科学アカデミーで発表した時、当時の科学者たちはみな、目に見えないものは科学として認められないと言ったそうです。その後、彼女は、純粋ラジウム塩をその手に取り出すことに成功するんですけど、そこが目に見えないものの時代への一つの転換点だったのかなと強く感じています。
─『マダム・キュリーと朝食を』では、“光”が留めている過去の記憶を猫が辿っていきました。「宝石」の主人公は、祖母が残した宝石を身につけたことから、彼女の過去の体験を夢見るようになります。モノに記憶が宿るということについて、どのようにお考えでしょうか?
宝石や放射能は、人間が死んだ後もなお残ります。だから、もしそこにこの世を去った誰かの記憶や思いが宿っていたとしたら、どんな未来があるんだろう? いつか発見されるかもしれないし、発見されないかもしれない……そんな想像が膨らむんです。そして、それは文字も同様です。和泉式部は、自分の恋の日記を千年後に生きる見ず知らずの私が読んで、「いまも同じ春がきているな」と感動する未来が訪れるなんて考えもしなかったでしょう。つまり、何かに記憶が残るということは、自分とは全く関係のない誰かによってそれが発見され、思い起こされる可能性があるということだと思うんです。
─ええ。
アンネ・フランクは日記に、「わたしの望みは、死んでからもなお生き続けること」という言葉を残しています。そして、実際に、彼女の死後、全く違う国の、違う言語を使う私のような人が感銘を受けているわけです。その一文を読んで、私は作家を志しましたし、いまでもそういう気持ちを持っています。ただ、同時に、テキストも残さず、子供も残さず、何も残さなかった人生は、だからといって、消えてしまうとも思っていません。私は、何の痕跡も残さなかったかもしれないけれど、たしかに存在していた誰かの人生の一瞬をどうやったら見つけることができるだろうといつも考えていて。もちろん正しく見つけることは不可能ですけど、そういう人のささいな日常、喜びや悲しみを書けたらいいなと願っています。
─「SURISE 日の出」では、ひとりの女性の人生と原子力の歴史が並行して語られていきます。フィクションと史実を交えて語る手法は、小林さんの他の作品でも見られますが、何か意識していることはありますでしょうか?
もともとは、そういう手法はいけないことだと思っていたんです。本屋さんに行けば、フィクションとノン・フィクションの棚は分かれているし、それを混ぜるのはどうなのかなって……。だけど、本って自由だし、色々な本がこの世に存在していることに私は感動する。だから、もしそれが本当に自分の書きたいことだったら、自分で枠を規定する必要はないように思えた。結局、ノン・フィクションだって自分の視点でしか書けないから、それは小説とも言えるような気がしますし。フィクションとノン・フィクションを掛け合わせるような、その曖昧な部分を書いていきたいなと考えています。
─「シー」は、一時的に目を見えなくする薬を使った母と娘の物語です。この作品はどのように生まれたのでしょうか? 「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」を思い出しました。
私も「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」を体験したことがあって、非常に大きな影響を受けました。そのときのことをどうやって記憶の引き出しから取り出したらいいのかがわからなくて、普段、自分がいかにビジュアルに頼って記憶を整理していたのかに気づかされたんです。また、韓国の演出家 ソ・ヒョンソクが手がけた演劇で、ゴーグルによって視界を遮断された観客を俳優がアテンドして街を歩くという企画「From the Sea」に参加したときにも、同じ驚きがありました。
─主人公とその母親を少し混乱しながら読みました。
あえて混乱するような形で書けたらいいなと考えていました。いまの話と近のですが、「母」や「娘」と言われた瞬間に、どうしてもそれぞれの役割に囚われて見えなくなるものがあるかもしれないなという感覚があって。たとえば、私が母のことを思うとき、当然自分を産んだ以降の母にしか会ったことがないから、彼女は常に大人で、母は「母」という存在でしかなかった。だけどあるとき、彼女自身もかつて娘で、恋をしたり、悩んだりしただろうし、子供さえいなかった頃があるんだと思った瞬間、母という存在が一人の人間として立ち上がってきて、自分のなかで大きな衝撃があったんです。私の知り得ない広大な何かが、もっとも近しい人の背後に広がっていることに驚いた。「母」とカテゴライズしてしまうことで見えなくなってしまっていたことが。
─『親愛なるキティーたちへ』では、お父さんの日記を重要なモチーフとされていましたね。
父の日記を読んだことで、それまで三十年間ずっと一緒に暮らしていたのに、自分が父について何も知らなかったということに気づきました。日記に残されていた少年時代の彼の気持ちと、今自分の目の前にいる歳老いた父の存在がすぐには繋がらなかったし、彼が私に話せなかったことがたくさんあることに驚いた。以来、すごく親しくても言えないことや、その相手が持っている見えない時間をどうしたら少しでも知ろうとすることができるのかな、とずっと気にかかっています。母や兄弟姉妹も同様で、自分にとって大切な存在なんだけど、それでも知り得ないなにかが存在する。そこから、家族の意味について考えています。
─「シー」の主人公 定子は、娘でもあり、母でもあります。
私自身、いつまでも自分が「娘」だという感覚を持っているんですけど、女性も男性も、ある一定の年齢を超えると、子供を産む産まないに関係なく、母親的な女性像、父親的な男性像をどうしても背負わざるをえないところがあるような気がします。また、「父」や「母」だと思っていた人の介護をしなければいけなくなったりすると、さらに立場が変わってしまったり。そういう自分自身の変化や、そうなった瞬間に周囲から違う目で見られたりすることが面白いなと思って。「シー」では、そういう部分を書きたかったんです。
─話題が変わりますが、私たちブックショートは、「おとぎ話や昔話、民話、小説などをもとに創作したショートストーリー」を公募する企画です。これまでの3回の開催で、『桃太郎』や『シンデレラ』から芥川龍之介、太宰治の二次創作まで、5,000作品以上が集まりました。先行作品をもとに新しい作品を作ることについて、お考えがあれば教えてください。
大好きです(笑)。先ほどお話ししたように、そもそも私が作家になったきっかけは、『アンネの日記』を読んだことですし、誰かが書き残した作品をいま、この場所で読む、ということにすごく感動するので。しかも、私は、誰かの作品を読んだときの気持ちや、歴史や実際の出来事から創作をすることが多い。そのどちらも広く言えば二次創作なのかなといつも思っています。どうしても、新しいものを、自分らしいものを作りたいと考えがちですけど、世界には素晴らしい物語が本当にたくさんあって、一人一人の読み方は違うし、何回読んでも新しいものとして読めるので、自分なりの解釈を書くというだけで、すごく楽しい。それに、伝統や言葉を習得してきたなかで今の私があるんだから、生きること全てが二次創作とさえ言えるかもしれません(笑)。
─最後に、小説家を志している方にメッセージいただけますでしょうか。
私は、自分は既成概念にとらわれていないつもりだったけど、さきほどの「母」と「娘」の話のように、やっぱりとらわれている部分が多かった。そういうものから自由に書けたらいいですよね。小説って伝統のあるものだし、すごく大きなもののように見えてしまうから、どうしてもみんな逸脱することを恐れてしまうかもしれません。だけど、勇気を持って、自分のやりたいことを貫けたら楽しいのかなって。自分自身にもいつもそう言い聞かせています。私もそれがなかなかできなかったし、今でもまだできてない部分があるから、もっともっと自由に書きたい。だから、みなさんも自由に書けたらいいのではないかなと思います。
─ありがとうございました。
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*インタビューリスト*
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