川上弘美(かわかみ・ひろみ)
一九五八年生まれ。一九九六年「蛇を踏む」で芥川賞、九九年『神様』で紫式部文学賞とBunkamuraドゥマゴ文学賞、二〇〇〇年『溺レる』で伊藤整文学賞と女流文学賞、〇一年『センセイの鞄』で谷崎潤一郎賞、〇七年『真鶴』で芸術選奨文部科学大臣賞、一五年『水声』で読売文学賞、一六年『大きな鳥にさらわれないよう』で泉鏡花文学賞を受賞。
『ぼくの死体をよろしくたのむ』川上弘美(小学館 2017年2月28日)
ちょっと奇妙で愛しい物語の玉手箱
ヴァラエティ豊かな18篇からほんの一部をご紹介――
「大聖堂」
家賃は格安で2万円。そのかわり、一匹だけ扶養義務を負うというのがこのアパートの決まり。動物は三種(猫と兎とぼくの知らない小さな生き物)。そのなかからぼくは三番目を選んだ。四つ足でなめらかな毛、耳が立っていて、目はぱっちりと大きい。背中に一対の小さな羽根をたたんでいる――ぼくは〈つばさ〉と名づけた。
「ぼくの死体をよろしくたのむ」
「恋愛の精算に他人をもちこむのって、ずるくないですか」「そうよ、ずるいの、わたし」--銀座 午後二時 歌舞伎座あたり。知らない男と二人でてのひらに乗るぐらいの小さな男の人を助けた。「恋人を助けてほしい」と小さな人は言う。『猫にさらわれたのだ』と。
「二百十日」
伯母の代わりにやってきたのは「るか」という男の子だった。彼は少し魔法が使えるのだという。時間の流れを変えることができるのだ。
「スミレ」
人間を精神年齢に応じた外見にするための技術は、今世紀後半に発達した。わたしの実年齢は58歳だけれど精神年齢は18歳なので、宿舎の中では18歳の姿で過ごす。
─新刊『ぼくの死体をよろしくたのむ』とても楽しく拝読させていただきました。こちらの短編集に収録されている作品の大半が雑誌「クウネル」(マガジンハウス)に連載されたものですが、昨年、あるイベントで川上さんが、「クウネル」の連載がとても楽しかったとおっしゃっていたのを覚えています。
はい。私は短編を書くのが大好きなのですが、長編や連作短編に比べると書く機会が案外少ないんです。そんななか、「クウネル」では、十数年間、二月に一篇短編を書き続けてこられてとても楽しかった。長編は、執筆が長期間に及ぶので、絶えず作品に心がいって、色々考えたり悩んだりするものですけど、短編の場合は、数日で書き終わります。その疾走感が体をのびのびさせるような気がします。
─やっぱり短編と長編では違うんですね。
私は、長編小説というのは、時間の流れを書くものだと考えています。反対に短編は、一瞬を切り取るものだと思っているので、時間の積み重ねを説明しなくていい。10年前の一瞬も10年後の一瞬も一気に書けます。しかも、短編の場合、そうした一瞬一瞬の映像が頭に浮かぶことが多いんです。そういう楽しさや気持ち良さもあって、体がのびのびすると感じるのかもしれません。
─連載にテーマはあったのでしょうか?
全体を通じてのテーマはありませんでしたが、最初の頃はよく、同じ号の「クウネル」の小特集から連想していました。ただ、途中からそれもやらなくなって、思いつくまま自由に書くようになりました。
─一作目の「鍵」では、冒頭で主人公が筋肉に一目惚れします。この物語はどのような着想から生まれたのでしょうか?
珍しいですよね(笑)。私も、生まれて初めて筋肉について書きました。それまで、筋肉について考えたことはなかったんですけど、知人に筋肉の専門家がいまして(笑)。その人から筋肉の重要性を色々と聞いて興味を持ったんです。
─美しい筋肉を持つ七生は、「銀座 午後二時 歌舞伎座あたり」にも登場しますね。
この作品は、自分が会いたい人とのツーショットを篠山紀信さんが撮ってくださる「人間関係」という「BRUTUS」の企画に出たことがきっかけです。「仮面ライダーシリーズ」等で主役ヒーローのスーツアクターを長年担当されている高岩成二さんにお願いたんですが、東映の屋上で撮影していただいたときに、「高岩さんは七生」だなと思って。彼のイメージで当て書きしました。高岩さんに捧げたお話です(笑)。
─「儀式」は、天罰を下すことを生業にする中年女性のある一日を描いた作品です。
「儀式」は、「クウネル」ではなく「つるとはな」という雑誌に掲載した作品です。「つるとはな」は、<年をとるって面白い!>というテーマの雑誌で、主人公も年配の人たちで統一しています。「儀式」の主人公の女性もそのうちの一人です。
─彼女が、本当に天罰を下す能力を持っているのかどうかがわからなくて、ちょっとドキドキするような作品でした。
たしかに、彼女は実際にそういう能力を持っているのか、持っていないのかわかりません。正気を失っている人なのかどうなのか。読者の方々に自由に想像していただきたい作品です。
─『センセイの鞄』もそうでしたが、今回の収録作品にも、年齢差のある人間関係について書かれている作品が多かったかと思います。意識したことはありましたか?
そこはかなり意識しているかもしれません。上や下の世代は自分たちとは違うと線引きしている人は多いような気がするんです。でも、それはちょっとつまらないなと思って。私自身は若い頃から年上の人の話を聞くのが大好きでしたし、年を重ねてからは反対に、若い人との会話がとても面白い。もちろん同年代も大好きですが、年齢差のある関係も楽しいなって思うんです。
─「スミレ」の世界では、人間を、精神年齢に応じた外見にするための技術が存在し、実年齢53歳の女性と14歳の男の子が恋愛関係にありました。
「スミレ」も「つるとはな」に書いた作品ですから、やっぱり年配の女性が主人公です。高野文子さんの「田辺のつる」や大島弓子さんの作品に、精神年齢が外見に反映されるという設定があったなと思い出しながら、書きました。
─血のつながりのある間柄のお話もよく出てきましたね。
そうですね。もともと私が小説で書きたかったかのは、「人間関係」なんです。初期のころは、それがもっとも濃く出てくるものとして、恋愛がテーマのお話をたくさん書きました。恋愛と同じくらい濃い人間関係が、家族です。このごろは、ですから恋愛だけでなく、家族のこともよく書くようになりました。家族というのは、自分で選ぶことはできません。そういう偶然産まれ出た逃れられない場所で生きていくということは一種のサバイバルで、小説家としては興味深いところです。
─「無人島から」にあった<家族というものがとてもあやういものだということを、家族が解散してからはじめて、わたしは知った。それまでは、家族は何があっても一生家族なのだと、思いこんでいたのだ>という言葉が印象的でした。
子供が親を選べないのと同様に、親も子供を選べないですよね。だから、血縁があっても、どうしても馬が合わない人がいるという不幸は、あるような気がする。お父さんとはすごく合うけど、お母さんとは合わないとか、親からしても、この子は話しやすいけど、この子はどうしても苦手だとか……。殺人事件も、血縁者同士で起こるケースが一番多いと聞いたことがあります。家族だからといって何でもかんでも上手くいくはずはないんです。逆に、すごく気が合ったとしたら、それは家族であることが理由ではなくて、たまたま幸運だっただけ。もし家族にどうしても合わない人がいることで苦しんでいる人がいるとしても、たまたま不幸なんだからしょうがない、自分が悪いわけではないんです、きっと。
─物語には、親から自分に注がれる愛情が、兄弟に比べて少ないのではないかと感じる子供も何人か登場します。
子供って、親がどれだけ精一杯与えても、少しだけ必ず欠落感をもってしまうような気がするんです。親だけで与えられるものには限度があるから埋められない部分がある。どんな多く与えられても、少ししか与えられなくても、どちらにしても何かが足りない。そこで、自分でどうにかしなければ幸せになれないとわかっていくことこそが、子供が成長していくということなのではないか。足りないものを求めていくことが、自立するということなのではないか。そんなことを思いながら、いくつかの短篇を書きました。
─<つばさ(中略)という名前を決めてしまうと、小動物は突然「つばさ」という感じのものになった>(「大聖堂」)、<もしその言葉(絶望)を知らなかったら、きっとあたしは、(中略)耐えられなかっただろうと思う>(「ルル秋桜」)といったように、見知らぬ動物や感情に名前がつくことで変化が起きるという感覚が面白かったです。そうした言葉の力について、川上さんご自身は、どのようにお考えでしょうか。
昔、江國香織さんが、自分は現実よりも言葉のことを信じている、という意味のことを言ってらして、そのときはそうなんだ、江國さんはすごいなぁと思っただけだったんですが、最近自分でも同じことを実感するようになった。つまり、たとえば、ある出来事が起こったとして、それを後から考え直すときに、私は、主に言葉を使ってその出来事を再構築している。それが自分にとってどういう意味があったのかを分析するのも、言葉なんです。
─言葉で把握する。
人によっては、それが視覚的記憶だったり、音楽の記憶だったりすることもあるでしょう。たとえば同じテレビドラマを見ていても、私の場合は、セリフばかり聞いていますが、音楽に集中する人もいれば、構図を気にする人もいる。人それぞれ世界を定着させる方法が違います。私にとってはそれが言葉ですから、世界は言葉そのものだ、ということになるんです。
─「二人でお茶を」や「お金は大切」、「無人島から」では、お金の話題が出ました。川上さんご自身はお金についてどのように捉えていますか?
私はお金を緩衝材として考えています。仕事をするうえで、色々なものの衝撃を軽くしてくれるありがたいものだと。
─話題が変わりますが、私たちブックショートは、「おとぎ話や昔話、民話、小説などをもとに創作したショートストーリー」を公募する企画です。具体的な先行作品をもとに新たな作品を書くことについてお考えがあれば教えてください。
まず、物語の型というのは無限にあるわけではないので、私たちが小説を書くときには、無意識であってもいつも先行作品に準拠していると思うんです。ただ、元の作品の細部がはっきりしていると、そこから離れるのは、少なくとも私にとっては難しいことです。どうしてもその作品を越える、さらに深めることはできないような気分になってしまうことが多い。リスペクトがあるから、かな。
でも、最初に言ったように、どんな作品でも大きな物語の枠には絶対に準拠していると思うので、面白い試みなのではないでしょうか。私は、『伊勢物語』が好きで、現代語訳もしたんですけど、その前に、『なめらかで熱くて甘苦しくて』(新潮社 2013年)という短編集のなかで、『伊勢物語』に登場する男女のお話を取り込んだ物語を書きました。そういう、細部はなくて大枠だけでできているような物語だとやりすいのかもしれません。
─また、ブックショートの大賞作品はショートフィルム化されます。川上さんの作品は、『センセイの鞄』がテレビドラマ化、『ニシノユキヒコの恋と冒険』が映画化されています。先ほど、短編の場合は映像が浮かんでくるとおっしゃっていましたが、ご自身の作品が映像化されることについてお考えがあればお伺いできますでしょうか。
小説の時間というのは長い時間ですけど、映像だとかなり短い時間しか描けませんよね。二時間の映画だったとしても短いし、場面も少ない。だから、小説を映像化するためには、もちろん芯の部分は変えないとしても、表面の細部や構成は大掛かりに変えないと無理だと思うんです。しかも、小説というのは、書いていないことが多いわりに、映像化するためにどうでもいいことはいっぱい書いてある。だから、私は、映像化してもらうとしたら、映像で小説を飛躍させてくれる作家性のある監督にやっていただきたいです。
─自身の作品として、小説をジャンプさせることのできる監督に。
はい。その通りです。
─最後に、小説家を志している方にメッセージをいただけますでしょうか。
本当に書きたいと思ったら、まずはどんな未熟なものでもいいから書き終えることが大事です。「筋肉がついていなかった」という例えをよく使いますが、私は、書き始めの頃、ものすごく不自由な感覚でした。だけど、どんなお話でも一話書き終えれば、必ず筋肉が一つつきます。そして、書き終えたことに満足しないで、それを推敲したり、また次のお話を書いてみるということを繰り返していくと、さらに少しずつ筋肉がついていく。そうやって自由になっていくんです。諦めないで、とにかくたくさん書くことだと思います。
─なるほど。
と言いつつ、私は最初からそれができていたわけではありませんでした。できるようになったのは、締め切りがあったから。まだアマチュアだった頃、締め切りを友達と作りあって書いていたんです。そうすると、怠け者でも、締め切りに向かって書くわけです。漠然と書かなければと考えていても書けなかったなぁ。締め切りって、今でも、とっても大事(笑)。
─ありがとうございました。
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