犬童一心 (イヌドウイッシン)
1960年、東京生まれ。映画監督、CMディレクター、脚本家。監督作品に「ジョゼと虎と魚たち」「メゾン・ド・ヒミコ」「黄色い涙」「眉山」「のぼうの城」など。脚本作品に「大阪物語」「黄泉がえり」など。
『我が名は、カモン』犬童一心(河出書房新社 2016年12月20日)
「トラブルですよ、加門さん!」看板男優、若手女優、伝説の劇作家……昼夜を問わず立ちはだかる難問奇問に、ベテラン芸能マネージャーが挑む、注目の映画監督の初小説。岸田繁(くるり)さん・前田敦子さん・綿矢りささん絶賛!
─新刊『我が名は、カモン』楽しく拝読させていただきました。まずは、初小説を書いたきっかけをお伺いできますでしょうか。
もともと自分から小説を書く気はなかったんですが、河出書房新社の編集者の方に声を掛けていただいたんです。ただ、たくさん字を書くのが大変なことはわかっているからなかなか良い返事ができなくて(笑)。そんななか、撮るはずだった映画が飛んで、急に時間が空いてしまった。準備と撮影と仕上げまで合わせたら4ヶ月以上です。それで、その時間を使って小説を書いてみようかなと。
─撮影予定だった映画が飛んだことがきっかけで。
ええ。題材は、編集者と相談し、自分がよく知っていて、絶対にその期間で書き終えられそうな“業界”の話を選びました。後から推敲するのは他の仕事と同時並行でも大丈夫ですけど、一旦書き切るまでは小説だけに集中しなければできないだろうと思ったので。でも、結局広告の仕事の合間になりました。
─小説を書いてみて、映画や脚本とどんな違いを感じましたか?
基本的にシナリオは、俳優や撮影スタッフとの共同作業が前提なので、彼らを刺激するためのト書きやセリフで構成されています。小説の場合は、読んでいる最中に全て完結していかなければいけない。だから、シナリオを書きながら映像を撮って編集しているようなイメージでしたね。頭の中でカメラ位置を決め、そのシーンをどこから始めるかという。人物のアップで始まって、その後引いて状況を見せるのか、最初に状況をちゃんと見せてから人物に寄るのか。もっと言うと、レンズの深度や明るさで、背景がどれくらいボケているのか、はっきりしているのかも意識して書いています。
─頭の中で映画を作っているように小説を書いていたんですね。
それに、小説だと、登場人物の思考や感情、周辺情報をモノローグ的に説明することができますよね。映画だと、そのための時間を作って、回想にしたり、誰かにセリフを言わせたりすることが必要ですが、今回のような三人称の小説では、語り手一人でそれができてしまう。だから、映画的に展開しているシーンがあって、小説の三人称の語り手に戻って、また映画的に……と繰り返しているような感覚でした。
─これまでご自身で脚本を書いていた経験は小説に生かされましたか?
僕は自分で脚本を書くというより、脚本家が書いたものを直すことが多いので、その経験が生きていると思います。たくさん直していると、脚本って基本的にこういう構成なんだ、というベースがまずなんとなく身についてくるんです。それから、たとえば、シーン32を直すということはシーン5も直さなければいけない、というように、全体を俯瞰できるようになってくる。今回の小説もそれに近い感覚で書きました。つまり、小説を書きながら新しいアイデアが生まれて、それを採用すると、それが別の部分にも影響していることが瞬時にわかる。だから、新しいアイデアを書いたら、前に遡って、すぐにそこも直すという。そういう書き方でした。
─主語に助詞をつけない文章がところどころに出てきてテンポを作っていましたが、(ex.滝川、その顔に、ゆっくりと笑顔が広がった)そこにも脚本の影響があるような気がしました。
書いている時のテンポやシーンのスピード感によって、「○○は、〜」や「○○が、〜」と「○○、〜」を使い分けました。編集者にも、小説では普通そういう風には書かない、と指摘されましたが、自分にとってはそれが自然なんです。脚本だと基本的に、「滝川、コップをとる」という書き方で、「滝川は、そのとき、そのコップをとった」とは書かない。自分のなかで不自然なことをずっと続けていると飽きてしまうから(笑)、そういう書き方もしてみました。
─緩急のリズムが心地よかったです。
あと、僕は織田作之助の小説が好きで。「○○、〜」の部分は、自分の中で織田作之助のリズムで書いているんです。織田作之助の小説のリズムや端折り方、何十年という時間を数ページで書いてしまうようなスピード感は、実際に自分が生きているときの時間の感覚にとても近い。だから、「○○、〜」の場面は、自分が生きている時のスピード感で小説を書いているような感覚でした。
─初めて小説を書くにあたってプロットはしっかり作りましたか?
プロットはほとんど書いていないです。大体のストーリーラインはあったんですけど、途中で大きく変わりましたし。もともと僕は、主人公の加門と中村が、遠山ヒカルのクビを切りにいく話を書きたかったんです。「我が友、世界へ」という演劇のために全力を尽くした中年男性と若い女の子の二人組が、大好きな人とその作品をこれからすべてオジャンにしにいく。遠山の部屋に向かうその二人は、廊下で何を話すんだろうと。事前に何を話すか決めていたわけではないですが、そこに至ったら、何か書けるのではないかと思っていました。
─最初はその廊下が描きたかったと。
だけど、中盤に何気なく田川という男の子を書いたことで、考えが変わりました。書いているうちに、彼のことが相当いいなと思えてきたんです。そして、不思議なことに、田川が出てきたら、遠山のクビは切れないと思った。どこか似ているこの二人が物語のなかで出会ったのに、この舞台が完成しないという終わりは無いなって。それで、最初に一番書きたいと思っていた廊下の場面は、短くしてしまいました。
─主人公の加門は、大手芸能事務所のシニア芸能マネージャーで、几帳面で純朴でありながら熱い思いを持った男でした。犬童さんと重なる部分があるというご自身のコメントがありましたが?
加門には、キャラクターではなく、「怪物」のような人たちに出会ったときの自分の感触を重ねています。僕は、広告の仕事を経て映画をはじめて、色々な人と知り合っていきました。そのなかには、やっぱりとんでもない人たちがいた。人格が破綻しているというわけではなくて、自分の仕事に本当に集中しているという意味で。この小説のなかで加門が、そういう普通ではない人たちと一緒に過ごすシーンは、僕が実際に経験した特別な時間をもとに生まれています。
─小説には、“いざとなれば生まれいずるもののために平気で悪魔にすらなれる”怪物たちがたくさん登場しましたが、犬童さんご自身の経験が反映されていると。
加えて、僕が俳優という特殊な職業を選んだ人たちを尊敬している点も加門に重ねています。それは、ほとんどの人ができない選択ですし、まして、それを選んで長く続けて成果を上げて、しかも自分が感動させられているとなると、本当に特別な存在ですから。
─俳優への尊敬。
一般の人たちやマスコミは、俳優が少し問題を起こしたりちょっと失敗をしただけで、平気でバッシングしますよね。僕には、そういう感覚が理解できません。そもそも、普通の社会的なモラルを俳優や芸人といった仕事を選んでいる人たちに押し付けたってしょうがない。だって、観客たる自分が損するじゃんって。そういう職業の人たちって、戦争で言うとある種の尖兵のようなもので、全く情報がない敵地に、先に様子を見に行ってくれているわけですよ。敵がどこにいるのかわからないのに、銃を一つだけ持って。その人たちがどれだけのストレスに晒されているのかは、映画を撮っていてわかる。そういう意識も加門に投影しています。
─加門は俳優という職業を諦めた男ですね。
それは、俳優という職業をはっきり規定するための設定です。簡単に言えば、俳優って、才能の無い人は努力しても無理ということ。加門はちゃんとそれに気がついて、自分のなかで折り合いをつけた結果、芸能マネージャーという職業を選んだ。そのことが彼の行動基準やモチベーションになっているんです。つまり、俳優を諦めた加門だからこそ、間違いなくずっと続けていく価値のある俳優を見分けられる。加門が、どんなに問題が多くても山下梓を見放さないのは、続けていけば彼女はいつか必ず数々のすごい作品に参加することになるという確信があるから。そういう彼の言葉には説得力があるんです。これが、たとえば、芸能界が好きで会社に入ってきた芸能マネージャーだと、微妙に説得力がないんですよね。
─自分に才能が無いことを自分で気づいた加門だからこそ、他人の才能がわかる。
昔、「天狗連」と呼ばれる、落語の寄席にいつも通って、今度のあいつはどうだとかって批評するおじさんたちがいました。今、ネットの世界では、一億総天狗連みたいな状況になっていますよね。僕は、そういう人たちが下す評価って、全く意味をなしていないと思っています。言葉が浮いているだけというか。すぐに意見を変えるし。だけど、加門は違う。自分が本気で挑戦して、諦めたことがあったうえで言っているから、言葉が信用できるんです。
─加門が山下梓を説得する際に、まだ売れていない広告プランナーについて語った内容も信用できる言葉だと思いました。
広告業って、地味な人が目立たない世界なわけですよ。大手の広告会社では、才能を持ち、かつ、自分を上手くプレゼンテーションして社内のいい立ち位置を掴んだ人が脚光を浴びる。プロダクションのディレクターでも、世の中ですごく目立つCMを手がけることで有名になるケースが多い。だけど、そういう人たち以外にも、地味かもしれないけど、見ている人にきちんと届く魅力的なCMを作っているディレクターはたくさんいます。加門は、そういう人たちのこともちゃんとわかっている。そういう人が好きだし、そういう人がいつか必ず魅力的な素晴らしいCMを作ると信じているんです。
─作品中、ある映画監督について、「あの人、ロケは粘らないから」というコメントもありましたね。
いい悪いの話ではなくて、プロフェッショナルの監督で実際にそういう人はいます。結局、ロケを粘った場合が、予算超過の一番の原因になるんですよ。だから、たとえば、絶対に晴れていなければいけないシーンの撮影日に、現場が曇っていたり多少雨が降っていたとしても、製作側からしたら、そのまま撮ってくれた方がスケジュールは消化できるし予算が膨らまないからいい。だから、多少問題があっても撮るタイプの監督の方がいいというプロデューサーや製作陣が実はたくさんいるんです。映画をやっている人たちは、あの一行だけで、そういうタイプの監督だということがすぐにわかると思います。
─公演本番までの残り僅かな日数を顧みず、加門が「我が友、世界へ」を選んだ場面も素敵でした。
やっぱり僕は、整然とよくできているものよりも、たとえ破綻したり失敗していたとしても、特別な人間が一生懸命、逡巡しながらやり遂げようとしているものや、やり遂げたものの方が、価値があると思うんです。「一体どうなるんだ!?」という作品ができようとしているときの方が面白いし、そのためにもがいている人がいたら、全力で支えようと考える方が僕にとっては自然です。だから加門は、最後まで遠山ヒカルに付き合おうと頑張るし、中村も、もともとそうだったのか、遠山に会ってそうなったのか、若いのにそういうことに気がついてる。
─その二人をはじめ、色々な人が「我が友、世界へ」のために集まりました。
この小説では、家族や恋人、友人といった人間関係が出てこない話を書きたかったんです。映画だと、すぐにそういう関係でドラマチックにしたお話ばかりやることになるので。今回は、あくまで、「我が友、世界へ」という舞台をやり遂げるために集まった人たちのお話。彼らが熱中して、そこから生まれる絆を書きたかった。だから、滝川大介がわざわざ、遠山ヒカルを「友人ではない」と言い切ることがすごく重要でした。あれは、滝川が、自分にとって遠山は、友人よりもっと重要な関係なんだと宣言しているということなんです。
─その遠山が「我が友、世界へ」の第三幕を書けなくなり、滝川の前から消えたのが1970年代前半。“時代が書き手に大きくのしかかってくるときがあるんだ”という言葉が印象的でした。
遠山たちが舞台をやろうとしていたのは1972年5月という設定です。そして、これは書いていないですけど、その2ヶ月ほど前に、連合赤軍事件のニュースが世の中に一斉に報道された。革命を目指した若者たちが仲間同士で殺し合って、12人の遺体が見つかったという。遠山は本番ギリギリまで書いていたから、第二幕まで書き終わった頃に、事件を知ったという時系列です。
─ええ。
当時、遠山が書いていた演劇は、革命を起こしてでも今の日本を変えない限り駄目だと考える若者たちを相当煽ったはずです。遠山自身、こんな日本にするために自分は家族を失ったわけではない、戦後を生き延びてきたわけではないという気持ちを演劇にぶつけていた。だけど、自分の言葉を聞いた若者たちが、仲間同士で殺し合いをはじめてしまった。その現実を目の当たりにしたとき、彼は、ある種、能天気に第三幕を書けなくなってしまったんだと思うんです。
─自分の作品の影響で、と。
僕自身は、その時小学六年生だったのでその世代では無いですが、当時は、テレビでベトナム戦争や反戦運動のニュースが延々と流れていたし、水俣病やイタイイタイ病といった公害の被害もひどかった。1971年のゴジラなんて、「ゴジラ対ヘドラ」ですよ。それを見ていた小学生の僕は純粋に、絶対に日本っておかしいなと感じていたんです。だから、自分の父親の世代よりも、それに反対している若いお兄ちゃんたちがやろうとしていることの方が正しいと思っていた。だけど、連合赤軍事件で、大学生のお兄ちゃんたちがリンチで殺し合ったというニュースを見た時に、結局こうなってしまうのかとショックを受けたんです。そういう小学生の頃の自分の気持ちを遠山に重ねています。
─小学生の時の犬童さんの気持ちを。
だから僕は、物語の中で、遠山がどういう風にもう一度書けるようになるのかを書きたいと思っていました。具体的なきっかけも書きましたが、心情的な部分でいうと、彼は、自分が生きている間に時代が変わるのを見ようとすることを諦めたんです。かつての遠山は、たとえ多少の暴力が介在するとしても、自分が生きているうちに時代を変えるために頑張るんだと考えていました。だけど、連合赤軍事件の衝撃で書けなくなってしまった。そして、それから、四十年経って老人になった遠山は、自分が死んだあとの未来のために書くことを覚えた。そうすることで第三幕を書けるようになったんです。
─未来のために。そんな『我が名は、カモン』に、映画化の構想はありますか。
自分で映画化するために小説を書こうとは全然思っていなかったので、誰かに撮ってもらえたら最高だなとは思います。もちろん、自分が撮らなければいけいない状況になればやりますが。この本を読んだ作家の梶尾真治さんが感想をメールで送ってくれたんですけど、そこには、梶尾さんの考えるキャスティングまで書いてあって(笑)。僕は、「そうか、こういうキャスティングがあるのか」と感心しました。昔、小林信彦さんが『唐獅子株式会社』という小説を書いた時に、キャストを勝手に考えるのが流行ったことがあったんです。『我が名は、カモン』も、そういう風に考えると楽しいなと思いました。
─話題が変わりますが、私たちブックショートは、「おとぎ話や昔話、民話、小説などをもとに創作したショートストーリー」を公募する企画です。映画や小説などで、具体的な先行作品をもとに新しい作品を作ることについて、お考えがあれば教えてください。
そういう手法でいうと、能や狂言といった日本の中世の物語を現代に移し替えて書いてみたいです。その時代の物語ってものすごく完成度が高いんですけど、タッチが非常に野蛮なんです。それに、物語の進行が繋がっていなくて。現代の物語だと、どうしても、「こうだからこうなってこうです」と文脈が繋がっているし、伏線は回収されるのが当たり前ですが、振ったことを全く回収しないとか、説明がつかないまま終わっている話が中世にはたくさんある。読み終わって、「いったいこれは?」と感じてしまうような。だけど、間違いなく腑に落ちているんです。しかも、圧倒的に面白いから感動するんですよね。
─繋がっていないけど納得してしまう。
たとえば、「月見座頭」という狂言があります。月夜に外に出て虫の音を聞いている目の見えない人が、親切な男と出会い、酒を酌み交わして仲良くなる。二人は、月の光のもとで幸せな時間を過ごした後、別れます。そして、別れた後、男は再び座頭のところに戻ってくる。そこで彼は、座頭の目が見えないことをいいことに、別人を装っていきなり暴力を振るうんです。でも、その理由は全く説明されない。それで男が去って終わるという。物語としてはつながっていないですよね。だけど、たしかに腑に落ちるところがある。そういう迫力があって、不思議な情緒も生まれてくるお話が中世の物語にはたくさんあります。
─犬童さんの現代バージョンを読んでみたいです。それでは最後に、小説家や映画監督、脚本家を志している方にメッセージいただけますでしょうか。
僕から一つ言えるのは、目の前にある仕事は全部、どんなものでも真剣に取り組んだ方がいいということです。やっぱり新人の頃は、無謀な仕事や面白く無い作業をたくさんやらざるをえない。その時間は、徒労のように感じてしまうんですけど、積み重なると、最終的にはスキルになって自分の役に立つんです。僕も最初は、広告の世界で全然興味のないことをやっていました。先ほど、シナリオの直しが小説に生かされたという話をしましたが、一番役に立ったのは、一時期ずっと書いていたラジオCMの仕事です。あるキャラクターとそのときの状況を文字で表現するという経験が小説を書くのにすごく役に立った。もっというと、市川準監督にシナリオを書いてくれといきなり頼まれた時も、ラジオCMの経験があったからこそ、それまでシナリオは書いたことがなかったのにできるかなと思えたんです。
─なるほど。
あと、僕は、新人の頃、ビデオパッケージの仕事で、建築記録やリクルート用ビデオの演出や製作をたくさん経験しました。そこで膨大な映像を撮ったおかげで自分の中で、レンズの感覚が体得できた。寄って撮ることと離れて撮ることのニュアンスがどれだけ違うかとか、同じアップでも、ワイドレンズのアップと、遠めから撮ったアップでは全然違うとか。撮っている対象にはあまり興味がないわけですけど、真剣に撮っていたから身についたんです。だから、色々やっておくと、役に立つかもしれないということです。もちろん、役に立たないまま終わることもあります。だけど、やらないでずっと考えているだけだったら、何でもいいからやった方がいいというのが僕のやり方で。もちろん、本当にやりたいことだけを真剣にやったほうがいいと言う人もいると思うんです。それはきっと、どちらも正しい。ただ、僕の場合、自分がなんでもやってきたから、違うことを言っても説得力がないということです。
─ありがとうございました。
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