堀江敏幸
1964年、岐阜県生まれ。作家・仏文学者。99年、 『おぱらばん』で三島由紀夫賞、2001年、『熊の敷石』で芥川龍之介賞、04年、『雪沼とその周辺』で谷崎潤一郎賞、06年、『河岸忘日抄』で読売文学賞 小説賞など、数々の賞を受賞。おもな著書に『バン・マリーへの手紙』『なずな』『燃焼のための習作』など多数、近著として『仰向けの言葉』、翻訳として、マルグリット・ユルスナール『なにが? 永遠が』がある。
『象の草子』文:堀江敏幸, 絵:MARUU(講談社 2015年10月07日)
「猫のつなをといて、自由にしてやること」――慶長七年、洛中にだされたおふれに、猫たちは大喜び。一方ねずみたちは猫たちに追われる身となり、物陰に隠れる日々に。猫を再びつなぐように訴える老鼠法師、それに反対する猫又和尚。それぞれの主張に僧師は如何に答えるか?通事をつとめた象の法師が伝える、ねずみと猫の諍いの顛末は――
─『象の草子』拝読させていただきました。数ある『御伽草子』の話のなかから「猫の草子」を題材に選ばれた理由はどんなところにあったのでしょうか。
僕は基本的に受け身なんです。自分からこうだとは言わない。今回の『御伽草子』をもとに自由に翻案するという企画でも同様で、他の作家の方々の担当が決定したあとの、余りの作品を選ばせてもらっただけのことです。ずっと昔からこの作品が好きだったから、といった理由ではありません。
─「猫の草子」には登場しない象が出てきたのはなぜですか。
残っていた作品のなかに、「二十四孝」がありました。24の小話で構成された一篇です。これでいこうかなと思ったのですが、話の数が多すぎてテーマを絞りづらかった。それに、二十四種類の話を扱ったら、イラストレーターも困るだろうと、全体を語るのは諦めました。ただ、「大舜」という、象に助けられた孝行者の話がなぜか忘れられなかったんですね。それで、『猫の草子』に組み込んだらとうなるだろう、と考えはじめたわけです。
─物語の随所に、『山月記』、孟宗竹、バンクシーなど様々なエッセンスがさらりと挿入されていて、物語に彩りを添えていたように感じました。
おとぎ話ですから、遊びも入れてみました。固有名は適当に引っ張ってきているわけではなく、一応、内容的につながりのあるものが挙げられています。唐の国からねずみたちが渡ってきたことを語る場面で、顕海香(けんかいこう)という詩人が登場しますが、これはもちろん開高健のもじりですね。『パニック』を念頭に置いています。蛮久志(バンクシー)は、“らくがき転写”とアートの関係を踏まえての援用です。こうした目配せによって、登場人物の背景にある物語にふくらみが生じると思うのです。「大舜」をもってきたのも、「猫の草子」の世界を、もう少し広げるという狙いもあります。
─特定の先行作品を前提として書くことと、そうでは無い場合とでは違いはありますか。
「二次創作」という言葉がありますけど、現代版『御伽草子』のシリーズは、大きく言うとそのジャンルに入るでしょう。とはいえ、あらゆる物語には、自分でも気づいていない下敷きがあります。無意識の積み重ねがある。厳密に言えば、文学というものは、二次創作、三次創作以外の何物でもありません。言葉とはそういうものです。自分だけの言葉を創りうるなんてことはありえない。何百年という書き言葉の積み重ねがあって、今に繋がっている。縛り無しで書くのと、あまり変わりありません。『象の草子』は、そういうあたりまえのことを、少し可視化したという感触です。
─堀江先生の作品には、別の小説や絵画、音楽などが、その作品世界と混じり合っているものも多いですね。
あらかじめ考えているわけではなくて、書いているうちに、どこかでこれに繋がるような話を読んだことがある、見たことがある、聞いた覚えがあるという状況に陥るんです。思い出すときは思い出すし、記憶のなかに何の反応がないときもある。外部の声に耳を傾けて、反応があればそれを出すということですね。
─小説の人称、視点についてお伺いさせてください。『雪沼とその周辺』文庫本の解説で、池澤夏樹先生が作品について、“読者はこの小さな町の住民になって、みんなの生活をそっと見るのだ。住民ではなく天使かもしれない。”と書かれていました。また、『未見坂』の短編の多くは子供の視点から語られています。小説を書く際の人称、視点について、三人称で書く場合の目線の違いや、『なずな』のように一人称で書く場合の差異を教えて下さい。
それが自分でわかっていれば、とても楽でしょうね(笑)。書き始めたら、その設定を途中で変えることはありません。変えるとしたら、第一行目から書き直しになります。すると、まったくちがう物語になる。一人称で書きはじめて、途中で三人称に変えるというようなことはありません。
例えば、『雪沼とその周辺』では、語り手が“さん”づけで登場人物を呼んでいます。語り手がどういう位置にいるのかわからない。書いている僕自身にもわからない。だから、登場人物ではなくて、“私”という語り手を追っていく感じですね。こういうことを語っている人、語りうる人はどこにいるんだろうか、どういう人なんだろうか、と。一人称でも三人称でも、全部同じです。
『雪沼とその周辺』堀江敏幸(新潮社)
小さなレコード店や製函工場で、時代の波に取り残されてなお、使い慣れた旧式の道具たちと血を通わすようにして生きる雪沼の人々。廃業の日、無人のボウリング場にひょっこり現れたカップルに、最後のゲームをプレゼントしようと思い立つ店主を描く佳品「スタンス・ドット」をはじめ、山あいの寂びた町の日々の移ろいのなかに、それぞれの人生の甘苦を映しだす川端賞・谷崎賞受賞の傑作連作小説。
─書き始めて、最初に“さん”づけが出てくるのはなぜでしょう。
“さん”を置いてみようとして書き出したわけではないんです。最初に出てきた言葉のリズムが、登場人物を “さん”づけで呼ぶように仕向けたということですね。先ほどの話と重なりますが、なぜ “さん”づけで呼んだのか、それが僕にもはっきりしないのです。
そもそも、『雪沼とその周辺』も、計画されたものでありません。一話目のボウリングの話『スタンス・ドット』は、12月に発売される文芸誌「新潮」(新潮社)の新年号に掲載された作品です。昔はお正月に、家族や友だちとよくボウリングをやったりしました。それでなんとなく田舎のボウリング場を思い浮かべてかきはじめたら、登場人物がどこか山間の町の、友人がやっている旅館を訪ねるという話になり、途中、県道沿いにあったボウリング場でお手洗いを借りる展開になった。そのとき、彼らの目的地の町に、なぜか「雪沼」という名を与えたのです。この話では、雪沼はどこにも描かれていません。
─そうだったんですね。
「スタンス・ドット」のあと、「フラウ文芸」(講談社)という雑誌から、原稿依頼がありました。化粧品会社とタイアップした、一種のPR雑誌ですね。創作が主体なのですが、香水の名を必ず入れるという縛りがありました。そのときのテーマが、ランコムの「ミラクル」だった。
当時、僕は勤務先の在外研究でフランスに行っていて、その原稿を書く前に、ちょうど古本屋さんでアラン・フルニエの『ミラクル』という本を見つけたんですね。これも一種の奇跡だと思って、『ミラクル』を使って一篇を書き上げた。それが「イラクサの庭」です。そのとき、ミラクルは雪のある町で起きるような気がして、不意に雪沼という地名を思い出したんです。「スタンス・ドット」と「イラクサの庭」は、なんの関係もない話だったんです。連作として考えていたわけではなく、テーマのある原稿依頼を受けただけです。外からの注文が、自分にはできるはずもないし、やる気もないと思っていたこと、思いもしなかったことを、引き出してくれる。自分の中に眠っている何かが出てくる。そこが、面白いですね。
─最初からシリーズものだと思っていました。
計画を立てると、身体が固まってしまう。映画のシナリオなら必要なことでしょうけれど、僕は何も考えない。そもそも『雪沼とその周辺』だって、自分から連作だと言った覚えはありません。雪沼という町の名があちらこちらに出てくるというだけのことです。
─『なずな』はどんな風に生まれたのでしょう。
『なずな』堀江敏幸(集英社)
新聞記者の私はやむない事情から弟夫婦の子、なずなを預かることになった。四十代半ば独身の私にとっては、生後二ヶ月の赤ん坊を相手にミルクをあげるのもおむつを替えるのも未知の体験。何気ない仕草や発声に様々な発見をしながら、ジンゴロ先生や友栄さんら周囲の温かい人々に見守られて、私はなずなとの暮らしを始める。生命の瑞々しさに溢れた育児小説。第23回伊藤整文学賞受賞作。
『なずな』は文芸誌「すばる」(集英社)の連載でした。ずいぶん前から依頼されていたのですが、何も書くことがありませんと断りつづけていたんです。そうしたら編集者が、じゃあお題を出しましょう、と。記憶にあるのは、「子供」「手品」「ロードムービー」「恋愛」。それで、初回は「子供を出せばいいんですね」ということで見切り発車をした。
子どもが登場する小説は、ほんとうにたくさんあります。そして、子どもたちがよく喋る。書き手は大人ですから、自分が子どもだった頃のことを思い出して、それを利用する。もっと多いのは、子どもの言葉を拾い集めて現実味を出す例ですね。彼らは大人がとても思いつかない言葉を口にしますから、引き写すだけでそれなりの面白さが出てくる。僕はそれを避けたかった。あえて、話のできない年齢の赤ん坊を真ん中に据えたんです。会話で間を持たせることができなくなりますからね。
「手品」というお題も使いました。途中、囲碁の場面でも出てきますが、第一章がすでにそうなんです。むかし、よくイリュージョン系の手品で、ボンっと煙が立ちこめて、そのあいだにアシスタントの姿が消えたり、そこにあった品がべつのものに変わる演目があったんですよ。
─ありましたね。
だから、煙がでてくるわけです。これは、海外の雑誌からのインタビューで応えたことなんですが、『なずな』は原発事故の二カ月後に刊行されました。世界が変わったあとに読み返すと、『なずな』の冒頭は、連載時とまったくちがう捉え方のできるものになっていました。無条件で守らなければいけない小さな赤ん坊がいて、煙が出て、やかんの底が溶けて穴があく、つまり炉心溶融事故のあと大切な存在をどう守っていくのか、そんな読み方もできる話に変わっていたのです。
─そういうことがあるんですね。
『なずな』は、人災をもたらすような何かに抗う物語だということですね。つまり、それが書きたかったことなのだと、あとからわかってきたわけです。おなじことが、『なずな』のあとに発表した『燃焼のための習作』という作品についても言えます。この奇妙なタイトルは、事故の起こる2、3年前に決まっていて、じつは書店向けの新刊予告に使われていました。『なずな』の執筆はそのあとのことなんです。その段階でどうして「燃焼」という言葉が出てきたのか、自分でも不思議でなりません。でもそれが、結果的に『なずな』に繋がっていた。『燃焼のための習作』は『河岸忘日抄』の続編でもあります。本編のほうも、内燃機関が溶けて底が抜けるのを放置するような連中に抗う話なんですね。書いているあいだは、はっきりそれに気がついていなかった。書くということは、そういうことなんです。先ほどお話したように、使っているのは自分だけの言葉ではないから。ずっと昔から使われてきた言葉の流れに身を置いているという意識を失わずにいると、そういうことが起こり得る。外的な要因が内部を変革する。もちろん、これは書き手の側に立った、ひとつの読み方にすぎませんけれど。
─堀江先生はかつて別のインタビューで、“早稲田大学で、“書くために「読む」ことを教えています。”とお答えになっていました。詳しくお伺いできますでしょうか。
読まなければ書けないということです。食べ物と同じように、言葉だって飲んだら出て行ってしまいます。でも、少しは身体のなかに残るんですよ。残滓物としてでもいいし、栄養としてでもいい。とにかく残る。必ずしも量の問題ではありませんが、ある一定量以上の読書を積んでいない人は、はじめのうちこそ感性でごまかすことができても、やがて頭打ちになる。そこから先は、ごく普通の意味での勉強によるところが大きいんです。こんな作品を読んできたから、こんなふうに書くようになったんだということが、漠然とでもわかっていないと、自己修正は難しい。「ちょっと鉄分が足りないから、それを補えるものを読んでみよう」というイメージです。若いうちどんどん読んだ方がいいと思いますね。しっかり忘れるためにも。そして、読んで書くというサイクルを、愚直に続けることです。
─早稲田大学の学生たちはたくさん読んでいますか。
もちろんです。読んではいますが、かなり偏った読み方をしている。偏読は、よほど深ければべつですが、たんなる偏りではかえって逆効果になる。これは自戒をこめて言っています。偏読は、一人でできる人が一人でやればいいことで、わざわざ大学に来る必要はない。教室で他の学生たちと読む以上は、ふだん食べ慣れていないものをつまんだほうがいいのです。それを誠実に繰り返していくことで、基礎体力ができる。満遍なく読む力があって、やがて読みたいものが絞られてくる。すると、その延長線上に書きたいものが、少しずつ見えてくる。
─そうですよね。
僕も、元々は仏文学を勉強していて、そこから横滑りしてきた人間です。専門分野でやりたいことは、多少はあったんです。だから学生たちには、勉強の柱はあったほうがいいよと伝えています。専門分野の経験が、創作にも生きてくると思うんです。
─堀江先生は小説を書くことについて、“熟成の期間は人それぞれです。だから、急がずに続けることが大切だと学生たちには話しています。”とお話になっておられました。
書きたいと思って書いたとき、力が足りないことは自分でわかる。たいていの人は、そこで辞めてしまう。だけど、足りないことを理解して、それでも続けていると、一周してまた書きたいと思った場所に戻ってくる。位置は以前とおなじでも、一周分の力はついているんです。僕が早稲田大学に来たのは2007年ですが、最初の教え子の何人かは、物書きとしての活動をはじめています。教師としては励まされますね。
─卒業後も努力を続けていたんですね。
それに、書くことに年齢は関係ありません。60歳で商業誌に登場した人もいれば、70歳をこえてから認められた作家もいます。彼らは、書きたいという気持ちと書ける力が合致する時期を、じっと待ち続けたんです。待つ勇気があった。何歳までなにを書かなければだめというような縛りは、この世界にはありません。年齢で可能性のあるなしを考える必要は全然ないと思います。
─なるほど。
僕の場合は、初めて小説のようなものを書いたのは37、8歳の頃でした。『熊の敷石』に収録されている「砂売りが通る」という作品です。ただ、それは、小説のつもりで書いたものではありません。文芸誌「新潮」(新潮社)で三島賞受賞作家特集があったとき、何でもいいですと依頼されて書いた原稿が、編集部の判断で創作欄に載せられた。「エッセイ」の枠でも全く問題無かったんです。文字にしたものには、すべて創作だと考えていますから。ともあれ、それで、僕は「散文」の書き手から「小説的な散文の書き手」として、やや小説寄りに分類された。
─第三者にカテゴライズされてしまったということですね。
そういうことですね。外から見れば違うと思われるかもしれませんが、自分としては、世間で言う小説もエッセイも書評も、書き方も筆致も変わりないのです。与えられた場を利用して、そこで自分が何を書きうるのかを、言葉を足したり引いたりしながら見極めていくということですから、作業としてはどれも同じなんです。
そこで、なぜ書いたのかという質問に繋がりますけど、編集者の方が「こういうものを書いてくれませんか」と言ってくださるのは、こちらに対して幻想や思い込みがあるからでしょう。でも、これまで愚直に続けてきたことが評価されてそういう誤解を生んだと考えれば、喜ばしいことなんです。
─『象の草子』の依頼がきたのもそういうことですもんね。
そのとおりです。「『御伽草子』ならこの作品をやります」と即答できれば丸く収まるのでしょうけれど、自分では手を上げられない。しかし残り物には福があるとも言いますからね(笑)。
─ありがとうございました。
*賞金100万円+ショートフィルム化「第5回ブックショートアワード」ご応募受付中*
*インタビューリスト*
馳星周さん(2019.1.31)
本谷有希子さん(2018.9.27)
上野歩さん(2018.5.31)
住野よるさん(2018.3.9)
小山田浩子さん(2018.3.2)
磯﨑憲一郎さん(2017.11.15)
藤野可織さん(2017.11.14)
はあちゅうさん(2017.9.22)
鴻上尚史さん(2017.8.31)
古川真人さん(2017.8.23)
小林エリカさん(2017.6.29)
海猫沢めろんさん(2017.6.26)
折原みとさん(2017.4.14)
大前粟生さん(2017.3.25)
川上弘美さん(2017.3.15)
松浦寿輝さん(2017.3.3)
恩田陸さん(2017.2.27)
小川洋子さん(2017.1.21)
犬童一心さん(2016.12.19)
米澤穂信さん(2016.11.28)
芳川泰久さん(2016.11.8)
トンミ・キンヌネンさん(2016.10.21)
綿矢りささん(2016.10.6)
吉田修一さん(2016.9.29)
辻原登さん(2016.9.20)
崔実さん(2016.8.9)
松波太郎さん(2016.8.2)
山田詠美さん(2016.6.21)
中村文則さん(2016.6.14)
鹿島田真希さん(2016.6.7)
木下古栗さん(2016.5.16)
島本理生さん(2016.4.20)
平野啓一郎さん(2016.4.19)
滝口悠生さん(2016.3.18)
西加奈子さん(2016.2.10)
白石一文さん(2016.1.18)
重松清さん(2015.12.28)
青木淳悟さん(2015.12.21)
長嶋有さん(2015.12.4)
星野智幸さん(2015.10.28)
朝井リョウさん(2015.10.26)
堀江敏幸さん(2015.10.7)
穂村弘さん(2015.10.2)
青山七恵さん(2015.9.8)
円城塔さん(2015.9.3)
町田康さん(2015.8.24)
いしいしんじさん(2015.8.5)
三浦しをんさん(2015.8.4)
上田岳弘さん(2015.7.22)
角野栄子さん(2015.7.13)
片岡義男さん(2015.6.29)
辻村深月さん(2015.6.17)
小野正嗣さん(2015.6.8)
前田司郎さん(2015.5.27)
山崎ナオコーラさん(2015.5.18)
奥泉光さん(2015.4.22)
古川日出男さん(2015.4.20)
高橋源一郎さん(2015.4.10)
東直子さん(2015.4.7)
いしわたり淳治さん(2015.3.23)
森見登美彦さん(2015.3.14)
西川美和さん(2015.3.4)
最果タヒさん(2015.2.25)
岸本佐知子さん(2015.2.6)
森博嗣さん(2015.1.24)
柴崎友香さん(2015.1.8)
阿刀田高さん(2014.12.25)
池澤夏樹さん(2014.12.6)
いとうせいこうさん(2014.11.27)
島田雅彦さん(2014.11.22)
有川浩さん(2014.11.5)
川村元気さん(2014.10.29)
梨木香歩さん(2014.10.23)
吉田篤弘さん(2014.10.1)
冲方丁さん(2014.9.22)
今日マチ子さん(2014.9.7)
中島京子さん(2014.8.26)
湊かなえさん(2014.7.18)