古川真人
1988年7月福岡県福岡市生まれ。國學院大学文学部中退。2016年「縫わんばならん」で新潮新人賞を受賞。2017年同作が第156回芥川龍之介賞候補に、「四時過ぎの船」が、第157回芥川賞候補となる。神奈川横浜市在住。
『四時過ぎの船』(新潮社 2017年7月31日)
島の漁村の古い家を片付けるために訪れた稔は、生きていたころの祖母佐恵子の日記を見つける。「今日ミノル、四時過ぎの船で着く」。そのメモに中学一年の時にひとり祖母を訪ねてきた自分を思い出し、忘れかけていた祖母のことが、稔の胸に強く響いてくるのだった……生き迷う青年の切実な現実を、老いていく時間の流れと照らして綴る。
─新刊『四時過ぎの船』とても楽しく拝読させていただきました。前作『縫わんばならん』の続編と言える本作には、認知症をかかえた佐恵子という老女が登場します。認知症をかかえる人物が登場する小説の多くは、介護する側の視点で書かれているという印象がありますが、本作では、佐恵子が視点人物です。彼女を書く際、特に意識したことはありますか?
佐恵子は認知症という苦労をその身に負った存在です。彼女の意識は決して、途切れていない一本の線のように何の苦もなく自在に辿りもすれば遡りもでき、別のことにかまけて一時忘れていても、注意せずとも軽々と再びその線上に戻っていける、そういったものではありません。この彼女の意識を私は外からの視点として書きたくはありませんでした。では、どういったものであるというのか、あるいは、どういったものとして書こうと思ったのかと言いますと、それは間断のない途絶です。これが私の特に意識した点です。
─奇数章は佐恵子、偶数章はその孫である稔、と視点が入れ替わり、次第に交錯していくという構成が面白いと感じました。これは、執筆前から決めていた形だったのでしょうか?
初稿の段階では、最初のご質問にあった〈介護する側の視点〉で書いておりました。孫の稔が見ている風景と過ごす時間の中だけで完結させるつもりでした。けれども、それでは何のために認知症である佐恵子を描くのか、意味がないのではないか。ただ死にゆくひとを眺め、その死を糧にして稔が成長するための戸口に立ち終わる物語――これはとんでもなく傲慢ではないのか、と思いまして、佐恵子の視点からも書かなければならないと改稿いたしました。ですので、執筆前と実際に書き進めていった時点では、大きく構成が異なっております。
─前作に続いて方言が印象的でした。前作のタイトルにもなった「縫わんばならん」という言葉については、新潮新人賞の受賞者インタビューで、<書いていて自然に出てきた言葉>(「新潮」2016年11月号)とお答えになっていましたが、今回の<やぜらしか>という言葉はどのように出てきたのでしょうか? もともと古川さんご自身に馴染みのある言葉だったのでしょうか?
馴染みのある言葉であるような、ないような……使うといえば使うのですが、そうそう頻繁に用いる言葉でもないかと思います。〈やぜらしか〉は、標準語にすると「(うるさいため、またはいそがしいために)煩わしく感じる」といった程度の言葉なのですが、『四時過ぎの船』の中では、なおこれにもうひとつ、苦労する全てのことを指したものとして用いました。というか、苦労すること、ひとが生きるうえで背負わねばならない嫌な、でも逃れられず、それがために忌々しく感じるが、しかし、やはり身に負って生きていかねばならない苦労を書きこもうと考えたときに、そうだ〈やぜらしか〉だ! と思いついたのでした。もっとも、それが成功したのかどうかは分かりませんが。
─大学を辞めてからの<無為な六年間の後半は隠居した爺さんのようなメンタリティになってました>(「新潮」)という古川さんは、大学を中退後、30歳を目前にしても定職に就いていない稔に自己を投影した部分はありましたか? あったとすれば、どのようなところでしょうか?
投影した部分はありました。定職に就いていない、そのことに不安を感じている、ならば就職活動なり、せめてアルバイトの募集が住むところの近くで出ていないか調べれば良いわけですが、そうはしたくない。すると、当たり前で退屈な結論ではあるのですが、解決する方法をあらかじめ放棄したうえで、自分はこれからどうやって生きていくのだろう? という青臭い問いだけが胸のうちに残ることになります。どうするもこうするも、働けば良いのです。でも、それは先にも言いましたように捨ておいてしまっている、すると、これもまた当然のこととして、どうすれば? という問いだけをいつまでも胸のなかで弄ぶ、ボンクラならではの「観念のごっこ遊び」に耽溺することになるわけです。稔の堂々巡りの自問は、このボンクラな気質に由来しているように思います。
─舞台となった九州の島の漁村の描写は、ご自身の記憶をもとに描いたものでしょうか? あるいは、実際に取材されたものでしょうか? また、土地を書く際に何か意識していることはありますか?
描写の多くは記憶に頼ったものです。古い時代の景色などについては、舞台に選んだ島に住むひとから聞いた話をもとにこしらえた部分もあります。意識しているのは、土地の「におい」が嗅がれるような文章を書きたいと、いつも考えています。記憶の惹起と嗅覚の関係については言うまでもありませんが、やはりその土地に固有の「におい」というものは確実に存在し、しかもそれは古い昔と現在とで、また季節によって、またあるいは一日の中で、さらにまた同じ土地であっても広い船着き場と狭い道で、それぞれに異なっているものと思います。それらの時間と場所のなかに漂う「におい」を、一行のうちにでも何かそっと添えることで、その土地にしかない空気を表現したいものだ、と考えております。
─『縫わんばならん』で描かれた佐恵子の通夜で稔が、<婆ちゃんのことを(中略)みんなして記憶ば出しあって笑いよったら、まるでいまも婆ちゃんが死んどらんで、あの頃の姿のままで島の家に居る感じがしてくる>と感じたように、稔が、忘れていた祖母の姿—病をかかえる前、目の見えない兄浩の未来を涙ながらに案じていた姿—を思い出したとき、彼の中で佐恵子の存在がありありと立ち上がったように感じました。人間の記憶と実存の関係について、古川さんがどのように捉えてらっしゃるのか教えてください。
とてもむつかしいご質問です。このご質問に対しては私の書いたものよりも、彩瀬まるさんのお書きになった『やがて海へと届く』、また現在「新潮」に連載中の村田喜代子さんによる「エリザベスの友達」をお読みになっていただいたほうが〈人間の記憶と実存の関係〉についてより深い洞察を得ることができると思います。そのうえで申し上げますと、死者や認知症が進行したひとをして「こちら」に生きており、また「これから」を生きていかねばならない私たちにその声を届けてくれるもの、生と死、あるいは現在と過去とを強く結びつけることで、人間ひとりの存在が決して現在だけにあるのではなく、叢のなかに横たわる死者、また施設の日向でうつらうつらとしている年老いたひととの、関わりのうちにこそあるのを示すものが、記憶の役割なのではないかと思います。そしてさらに申せば、それは発話されなければならない。語られなくてはならない。そのときにはじめて、私たちとすでに生を終えた存在、終えようとしている存在とのあいだに、ご質問にある言葉でいえば〈ありありと立ち上が〉るものがあるのではないでしょうか。
─『縫わんばならん』と『四時過ぎの船』はどちらも、九州の小島を主な舞台とした一族の物語ですが、次回作も同様のモチーフに取り組んでいかれますか? あるいは、別の構想をお持ちですか?
次に書くものでは島から街へ出ることにしました。それは、書かなくてはならない、と感じる出来事が街で起こったからなのですが……しかし、さらにその後はどうしようかな、とうんうん唸りながら構想のためのメモを取っております。片足は島に、けれども、もう一方の足をどこまで外の世界へ伸ばせるかと試行錯誤する日々です。
─話題は変わりますが、私たちブックショートは、「おとぎ話や昔話、民話、小説などをもとに創作したショートストーリー」を公募する企画です。過去3回の開催で、『桃太郎』や『シンデレラ』から芥川龍之介、太宰治の二次創作まで、5,000作品以上が集まりました。先行作品をもとに新しい作品を作ることについて、お考えがあれば教えてください。
あらゆる先行した、既存の、すでに最後の一行が書き終えた作品の中には、実に多くの書かれなかった「ありえる・ありえたかもしれない・ありえそうもない」という三つの「在り」が潜んでいると思います。その一例として思い出すのは、何よりもジーン・リースの『サルガッソーの広い海』です。この作品を世に出すことで作家は『ジェイン・エア』の中で不当にも狂死するよう仕向けられた女性に、胸の内を語るひとりの人間としての権利を持たせ、物語の終焉の悲劇も含めて女性の人生として救いだしました。そのようにして、多くの先行作品の中にはまだ、救わねばならない存在が多く居る、というのは「ありえる」と思います。
─最後に、小説家を志している方にメッセージいただけますでしょうか。
たくさん読んでください。そして書いてください。書いていると、きっとこれ以上は書けない瞬間、また、どうしてこの程度しか書けないんだろうと思う瞬間、なおまた、これで良いんだろうかと思う瞬間が幾度もやってくるかと思います。それでも書きつづけたその先に、言葉がやってくる瞬間があります。この幸福な一瞬を逃さずキャッチするためのアンテナこそが日々の読書にほかなりません。
─ありがとうございました。
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