崔実(チェ・シル)
1985年生まれ、東京都在住。2016年、『ジニのパズル』で第59回群像新人文学賞を受賞してデビュー。
『ジニのパズル』崔実(講談社 2016年7月5日)
オレゴン州の高校を退学になりかけている女の子・ジニ。ホームステイ先でステファニーと出会ったことで、ジニは5年前の東京での出来事を告白し始める。 ジニは日本の小学校に通った後、中学から朝鮮学校に通うことになった。学校で一人だけ朝鮮語ができず、なかなか居場所が見つけられない。特に納得がいかないのは、教室で自分たちを見下ろす金親子の肖像画だ。 1998年の夏休み最後の日、テポドンが発射された。翌日、チマ・チョゴリ姿で町を歩いていたジニは、警察を名乗る男たちに取り囲まれ……。 二つの言語の間で必死に生き抜いた少女が、たった一人で起こした“革命”の物語。全選考委員の絶賛により第59回群像新人文学賞を受賞した、若き才能の圧倒的デビュー作!
─新刊『ジニのパズル』とても楽しく拝読させていただきました。まずは、この作品を書いたきっかけからお伺いできますでしょうか。
書いたきっかけはたくさんありますが、一番大きかったのは、30歳を目前にして感じた、それまでの人生の総決算をしたいという思いでした。少し大人になりたかったんですよね。それで、大人になりきれないかもしれないけど、私にとって大人として20代の最後にできることってなんだろうと考えて辿り着いたのが、この物語を書くことだったんです。
─崔実さんは、かつて映画の専門学校に通っていたと伺いました。もともとは映画を作りたかったんですか?
もともとは女優になりたかったんです。幼稚園の頃からずっと。小学生の頃は、「ジュラシック・パーク」を観て、今もこんな風に恐竜と遊ぶことができるんだ、と大きな衝撃を受けました。「バットマン」や「スーパーマン」もそう。俳優になってゴッサムシティで暴れたかったし、海賊にもなりたかった。ずっと映画の世界に行くのが夢でした。
─俳優が夢だった。
それで、20歳のとき、映画の専門学校に俳優専攻で入学したんです。だけど、そこで初めて現実的に俳優という職業と向き合って、そうした役を手に入れるまでの困難さを実感しました。恐竜と遊んだり海賊になるのってすごく大変なんだなって。しかも、私はアジア人だからより狭き門だろうと。だんだん現実的になっていきました。
─ええ。
それに、専門学校の授業にも満足できなくなってきてしまったんです。俳優の授業用に監督専攻、脚本専攻の人が持ってくる脚本に物足りなさを感じてしまって。だから私は、学校に通うのをやめ、家に引きこもってずっと脚本を書いていました。それで、書き終わったものを、せっかくだから誰かに読んでもらいたいと思い、学校に行って脚本の授業を覗いたら、話しやすそうな先生がいたので声をかけて読んでもらえるようにお願いしたんです。そしたら、読んでくれた先生が、「あなた、こっちの専攻に来なさいよ」と誘ってくれて。脚本専攻に移りました。
─そうやって脚本を書くことに。ご自身が書いた脚本のなかで映像化されたものはありますか?
ありますけど、絶対観たくないです。1時間半くらいの作品ですが、耐えられないですよ(笑)。
─監督もご自身で?
いえいえ。自分で監督をやるのはちょっと……。監督にいい意味で裏切ってもらえるのが脚本を書く楽しみだと思っていますし、私には、人をまとめる素質がありませんから(笑)。監督って本当に大変だと思います。全体を俯瞰できる人でないと務まらない。
そのときは、監督に脚本を渡して終わりにしようと思っていたんですけど、人手が足りないからと言われて嫌々現場に手伝いに行ったんです。
─嫌々(笑)。
脚本を書く人ってみんな、頭の中で最初から最後までその映画を観てしまっていると思うんですけど、私の場合、自分の観たものが正解ではないと理解しながらも、撮影で違う部分があると口を出したくなってしまうんです。だから行きたくなかったし、現場でも我慢して監督に任せたかった。だけど、全部表情に出ていたみたいで(笑)。「監督が思うことをやってくださいよ」と言いながら、顔がキレてるみたいな状態。そうすると監督に「ここ違うのかな?」と聞かれてしまう。結局、編集まで立ち会うことになってしまったのですが、感謝も反省もいっぱいつまった宝物です。脚本自体があまりにも未熟なので、もう二度と見返すことはないですけど。
─監督もやりにくかったでしょうね(笑)。そう考えると、脚本から小説に移ったというのは自然な流れなような気がします。
自分では移ったとは思っていないんです。書くこと自体が好きなので、同じ感覚です。ただ、脚本だと、内面や心情など映像化できないものを書いてはいけないという制限があります。小説の場合、自分が思うことを存分にぶつけることができますし、絶対に小説でなければ書けない物語もあるので、そういう違いはあるかもしれませんね。専門学校を卒業してからは、ファンタジーの絵本を書いたりもしていました。下手なんですけど、絵も自分で描いて。私はそうやって、最初に小説で書こう、絵本で書こうと決めるというよりは、まず物語があって、それに適した形を選んで表現しているんだと思います。
─『ジニのパズル』の主人公パク・ジニは、危ういほどのエネルギーを持つ少女でした。書き手として崔実さんは、ジニをどのように見つめていましたか。
見守るという感覚が近かったような気がします。何か事が起きて、それに対してジニがリアクションすると、「ああ、そういうリアクションしたんだ」と思ったり、ジニが進んだ方に付いていきながら、でも、自分としては「こうあってほしいな」と感じたり。最初に書いているときは、ジニが最後にどうなるか自分でもわからなかったんですが、中盤あたりで、この物語は救いなしでは終われないなと思いました。ジニは絶対救う、どういう救いであれハッピーエンド以外はありえないと。この作品を書いているとき、賞のことは全然意識していなかったですけど、やっぱり読者のことは考えていたので、ただ自分の思いをぶつけるのではなく、読者が勇気を出せるような作品になったらいいなという願いを込めていました。
─物語のなかの、『空が落ちてくる。何処に逃げる?』という言葉が印象的でした。
私が昔つけていた日記にあった言葉です。専門学校在学中だったと思いますが、空についてよく書いていて。雲と雲の間を悪魔みたいなものがシュシュッて通り過ぎていったりとか、空に金魚が泳いでいたりとか、色々あります(笑)。そのなかの一つが「空が落ちてくる」。その頃、本当に空が落ちてくるのではないかと怖がっていたみたいなんですよね。その時の自分への一つの答えとして、今の私がこの言葉について書いたということだと思います。
─作品の中に、「空模様は心模様」という言葉もありました。
自分の気持ち次第で、空の見え方が違うんですよね。だから、隣にいる人と同じ空を見上げても、同じように見えることはありえないだろうなと思います。今でも空は好きなので、よく見上げます。
─ジニが「間違い探し」をする姿も印象的でした。自分はウォーリーだと。
小さい頃から自問自答するのが好きだったんですね。一つの物事に対して色々な見方で繰り返し考えてみることが。そうすると、何に対しても正解なんてないんだなって思えてきて面白かった。そういう考え方が、ジニの間違い探しにつながったような気がします。
─小さい頃からそういう習慣があったのは何かきっかけがあったのでしょうか?
私もジニと同じように私立の小学校に制服で通っていたので、制服一つで、周りとお揃いの格好をするだけで、外部の反応が一変するということをその頃から実感していました。不思議な世界だなって。それで、自分がウォーリーになったような、間違い探しをさせているような気分になったことはあります。
─ホームスティ先のステファニーはジニにとって、とても大切な存在でした。崔実さんにとって、ステファニーはどんな存在ですか。
自分が高校生の時に、大人にどんな言葉をかけて欲しかったか、どう受け入れて欲しかったかを考えたら、ステファニーのような存在が思い浮かびました。青春時代に自分がどんなことをしでかしてしまったとしても、彼女みたいにどんと受け入れてくれる大人と出会えていたら、自分を許せただろうなって。やっぱり私は、自分を許せる人間になることってすごく大切だと思うんです。自分を許せなかったら他人のことも許せないし、自分を許すというところから、色々な世界に広がっていけると思う。そういう瞬間が若い時にあったら素敵だなって。私は会えなかったけど、ジニには会ってもらおうと思ったんです。
─ジニはステファニーに出会ったことで、「ドラゴンを見つけた」と優越感にも似た感情に酔いしれます。愚かな質問かもしれませんが、ドラゴンというのはどんな存在なのでしょうか?
ドラゴンというのは私にとって特別な、聖なる存在です。おそらく小さい頃に、「ネバーエンディングストーリー」を観たこともきっかけだと思うんですけど、「いつかドラゴンに会いたい」というとても強い思いが私にはあるんです。選ばれし者しかドラゴンに会えないし、ドラゴンに会うためには自分の人間力をすごく高めなければいけない。ドラゴンのような存在を見つけることってすごいなと思っています。
─小さい頃からずっと憧れ続けているんですね。
そう言われるとしつこい人間なのかもしれない(笑)。私は、全てを架空の世界に見つけるという寂しい子だったのかもしれないです。小学生の頃は、映画館を出た後、本当に元気を無くしていたんですよね。「最悪だ、またこの世界に戻ってきた」って。誰とも話したくないし、ご飯も食べたくないし、誰の顔も見たくない。「なんであの世界に行けないんだ」という怒りに満ちていました。だから、女優になりたいという夢は、ずっとあちら側の世界にいたいという現実逃避だったのかもしれません。そういう憧れが今は、別の形になっているんだと思います。
─崔実さんが雑誌「本」に書かれていた「デビュー作『ジニのパズル』に込めた作家としての決意表明」の、“世界中に埋もれている少数派の人達に私が出来ることは、やはり「関係あるね」と言い続けることだと思った。”という言葉が心に残りました。
たとえば、友達が何か問題を抱えて悲しんでいたら、自分もすごく悲しいし助けてあげたいですよね。だけど、その問題の原因が社会に通じるものであったとしたら、自分にできることがほとんど何もない場合があります。私は、そういうことってすごく多いと感じているんです。
─そうですね。
でも、そういう状況だったとしても、私は、その気持ちを物語に乗せて、人間に託して書くことはできる。私は、そうすることで周りと関係を持ち続けたいんです。「これっておかしいよね」とみんながわかっていても、やっぱり自分に直接関係なくて面倒くさいことは誰もしたがらない。だけど、そういう風にどんどん進んでいってしまったら、その先には何もないですよね。それで、自分が不利な立場になった時に泣いたって、誰も助けてくれないでしょう。私は、そういう社会になってしまうのがすごく嫌なんです。だから、「関係ある」と言い続けることが本当に大事だと思う。問題って誰かが問題化しないと問題にならないですから。
─崔実さんの次回作がとても楽しみです。作品の構想はすでにお持ちでしょうか。
今まさに書いている途中なんですけど、まだ登場人物との付き合いが浅いから、自分でもどうなるのかはっきりとはわかっていないですね。もっと書いて、登場人物たちがどういう人間で何を言いたいのかを深く知らなければいけない。「ジニのパズル」も、一旦書いたものを書き直して応募して、それから本になる前にまた書き直して、という段階を踏んだこともあるので、まずは書いていくことが大事だなと思っています。
─次回作にも、ジニのような存在がいますか?
ジニと全く別の存在かというとそうでもなくて、通じるところはあるかもしれません。私の中では、テーマごとに音楽のアルバムのようなものを作りたいなと思っているんです。ミュージシャンの人たちって「愛」や「失恋」といったテーマで、アルバム一枚、大体13曲を作りますよね。私も同じように、しばらくは「関係あるね」というテーマでアルバムを一枚作れたらいいなと考えています。何冊で一枚のアルバムになるかはわかりませんが。
─音楽といえば、作品中でジニが聴く曲も素敵でしたね。崔実さんはどんな音楽が好きなんですか?
音楽は、ジャンルを問わず好きなものが好きです。有名な曲を知らなかったりもするんですけど、オペラも、クラシックも、ジャズも、ラップも、ロックも好きです。アメリカにいた頃は、朝起きたら、部屋のドアの隙間に布団を突っ込んで、ACDCやレッド・ツェッペリンを大音量で流しながらダラダラ支度して、登校中はセックス・ピストルズを聴いて、学校に着いたら、レディオヘッドやランシド、マリリン・マンソン。ボブ・マーリーを聴きながら家に帰るという生活でした(笑)。
─素敵なBGMですね(笑)。さて、話題が変わりますが、私たちブックショートは、「おとぎ話や昔話、民話、小説などをもとに創作したショートストーリー」を公募する企画です。崔実さんは、小学校の学園祭で『ラレデンシ』という、お姫様ではなく掃除のオバちゃんと王子様が結婚するという劇を書かれたそうですが、先行作品をもとに新しい作品を作ることについてのお考えがあれば教えてください。
そういうもじったユーモアは好きですし、面白いなと思います。今は思い浮かばないですけど、いいアイデアを思いついてチャンスがあるなら、いつも「何か撮ろうぜ」と話している映画の専門学校時代の友達と一緒に、そういう作品を作っても面白いかもしれないですね。
─最後に、小説家を志している方にメッセージいただけますでしょうか。
デビューする前の自分の考え方で良かったなと思えるのが、焦ったり切羽詰まったりしなかったことです。賞を獲りたいとかデビューしたいとか考えてしまうと苦しいし、窮屈になっていい作品は書けないような気がするんです。小説を書くためには、紙とペンだけあればいいし、年齢も関係ない。死ぬまで目指したっていいんだから、とにかく焦らずに、常に自分に正直に、自分が読んで、「これが自分の作品だ」って自信を持って言えるものを書いていくことが大切なんじゃないでしょうか。自分にとって一番楽しいこと、切実なことをどんどん表現していってもらえたらいいなと思います。
─ありがとうございました。
*賞金100万円+ショートフィルム化「第5回ブックショートアワード」ご応募受付中*
*インタビューリスト*
馳星周さん(2019.1.31)
本谷有希子さん(2018.9.27)
上野歩さん(2018.5.31)
住野よるさん(2018.3.9)
小山田浩子さん(2018.3.2)
磯﨑憲一郎さん(2017.11.15)
藤野可織さん(2017.11.14)
はあちゅうさん(2017.9.22)
鴻上尚史さん(2017.8.31)
古川真人さん(2017.8.23)
小林エリカさん(2017.6.29)
海猫沢めろんさん(2017.6.26)
折原みとさん(2017.4.14)
大前粟生さん(2017.3.25)
川上弘美さん(2017.3.15)
松浦寿輝さん(2017.3.3)
恩田陸さん(2017.2.27)
小川洋子さん(2017.1.21)
犬童一心さん(2016.12.19)
米澤穂信さん(2016.11.28)
芳川泰久さん(2016.11.8)
トンミ・キンヌネンさん(2016.10.21)
綿矢りささん(2016.10.6)
吉田修一さん(2016.9.29)
辻原登さん(2016.9.20)
崔実さん(2016.8.9)
松波太郎さん(2016.8.2)
山田詠美さん(2016.6.21)
中村文則さん(2016.6.14)
鹿島田真希さん(2016.6.7)
木下古栗さん(2016.5.16)
島本理生さん(2016.4.20)
平野啓一郎さん(2016.4.19)
滝口悠生さん(2016.3.18)
西加奈子さん(2016.2.10)
白石一文さん(2016.1.18)
重松清さん(2015.12.28)
青木淳悟さん(2015.12.21)
長嶋有さん(2015.12.4)
星野智幸さん(2015.10.28)
朝井リョウさん(2015.10.26)
堀江敏幸さん(2015.10.7)
穂村弘さん(2015.10.2)
青山七恵さん(2015.9.8)
円城塔さん(2015.9.3)
町田康さん(2015.8.24)
いしいしんじさん(2015.8.5)
三浦しをんさん(2015.8.4)
上田岳弘さん(2015.7.22)
角野栄子さん(2015.7.13)
片岡義男さん(2015.6.29)
辻村深月さん(2015.6.17)
小野正嗣さん(2015.6.8)
前田司郎さん(2015.5.27)
山崎ナオコーラさん(2015.5.18)
奥泉光さん(2015.4.22)
古川日出男さん(2015.4.20)
高橋源一郎さん(2015.4.10)
東直子さん(2015.4.7)
いしわたり淳治さん(2015.3.23)
森見登美彦さん(2015.3.14)
西川美和さん(2015.3.4)
最果タヒさん(2015.2.25)
岸本佐知子さん(2015.2.6)
森博嗣さん(2015.1.24)
柴崎友香さん(2015.1.8)
阿刀田高さん(2014.12.25)
池澤夏樹さん(2014.12.6)
いとうせいこうさん(2014.11.27)
島田雅彦さん(2014.11.22)
有川浩さん(2014.11.5)
川村元気さん(2014.10.29)
梨木香歩さん(2014.10.23)
吉田篤弘さん(2014.10.1)
冲方丁さん(2014.9.22)
今日マチ子さん(2014.9.7)
中島京子さん(2014.8.26)
湊かなえさん(2014.7.18)